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風船になった信藤三雄

私の大好きな友達、信藤三雄さんが遠いところへ旅立ってしまった。
日本を代表するアートディレクターであり、映像作家であり、写真家であり書家であり… 渋谷系 の代名詞。ひとつのカルチャーを作った人。
肩書きがありすぎて、訃報リリースを書く際にどこまで入れるか迷った。
でも、なんでもやってしまうのが信藤さん。だからアートディレクターで済ますのはやめよう、そして本人は結構「書」のアートワークを好んでやっていたから、書家は入れようと、入れた。

信藤三雄

信藤三雄にCDジャケットやPVを作って貰ったら絶対売れると、有名なミュージシャン誰もが必ずお願いした伝説をもつ巨匠 信藤三雄。
ユーミンから始まり、ミスチル、サザン、ピチカート、フリッパーズギター、オリジナルラヴ、信藤さんの作品見たことない人いないでしょ、というような人。

どうやら若い頃は、信藤さんはミーティングで30分無言とかがザラとの伝説があったらしいが、私にとってはちょっと違ってて、そんな伝説を聞いて「え?ちょっと誰の話?笑 どうせ寝てただけでしょ!?」と言いたくなるようなお茶目で、誰にでも分け隔てなく接して、若いエネルギーを常に取り入れるのが大好きな、出会った頃から既に「お爺ちゃん」だったずっと変わらないお爺ちゃんだった。笑

ずっと寅さんみたいなお爺ちゃんw

正直、優柔不断で、頼りないところもあって、すぐ甘えてくるから、お世話になった…というより、いや、むしろ、お世話してたわ!!って言っても過言ではない。笑
本当に、友達にも「お爺ちゃんが呼んでるからちょっと行ってくるわ」と言って「ああ、またあのお爺ちゃんね」
ってそんな家族みたいな人だった。

信藤さんのエピソードを話し出すと止まらなくなるけど、とんでも面白エピソードとしては、とにかく甘え上手で私には甘えるから、沖縄と東京と2拠点生活をしている時に、東京で一緒に住んでいた人が確か結婚か何かで一緒に住めなくなった時に、私に「フキちゃん、信藤さんと一緒に住んでくれない?もりばやしもフキちゃんなら安心だろうし…」って言ってきて。笑
奥さんのもりばやしさんのマネジメントも一時期してる事もあったから、仲良いけど、さすがに無理!!って思って「何言ってんの!?やだよ!!そんなの老介護みたいなもんじゃん!笑 私、彼氏と別れたりしたのは結婚する気がないわけじゃないからね!結婚自体はする気はあるからね!!信藤さんいたら婚期遅れるじゃん?彼氏できて、家連れてくる時に、お爺ちゃんいるんだー。でも血は繋がってないの!何それ!?ってなるじゃん!?無理無理!!」と言っていたら、当時の信藤さんのマネージャーが「信藤さん、それはいくら何でも芙樹ちゃんが可哀想ですよ!笑 ねぇ、まだお年頃だし、、、」と助け船を出してくれて、その話は免れた。
でも結局、まだ結婚してないんだから、ちょっとくらい、一緒に住んであげても良かったのかな?笑 なーんて…。笑

でも、今思うと、凄く学ぶところも多くて、偉ぶらないし、年齢関係なく分け隔てなく、いいと思ったらいいね!って言って、任せてくれる人だったから、自分もそうでありたいと思ってそう人に接するようにしたし、彼の周りにいる偉人たちも同じような方々ばかりで、ああ、本当に尊敬される人、天才、偉人って偉ぶらないし、人をコントロールしようとしないんだな、って思った。
信藤さんに可愛がってもらえた事で、そんな偉人達からも対等なお付き合いをさせて頂けたのは、とても大きな宝物でもあると思う。

自分のことを褒める時も、凄く愛嬌があって、「信藤さん、天才だと思わない!?」とか「信藤さん、天才だからさ!」って大真面目に目をキラキラさせながら言うから子供みたいで可愛いのです。嫌味がないとはこの事。
そして自分のことを褒めたと思ったら、急に自信無くしちゃって拗ねちゃったり。笑

そして人を褒めるのが上手い!
「やっぱ芙樹ちゃん最高だね。」「芙樹ちゃんしかいないよ」「芙樹ちゃん信藤さんが太鼓判押す天才だからさ!」「芙樹ちゃんって凄いんだよ!!」「さすが芙樹ちゃん!!」
その言葉に踊らされて、何度「信藤さん、困ってるんだ、、、なんとかならない?芙樹ちゃんならなんとかしてくれると思ってるんだよね。」
って言われると、何の特にもならない事だけど、人肌脱ぐか〜ってな感じで、やってあげると飛び上がって喜んで「うわー!!やっぱりフキちゃん凄いね!!できない事ないのが凄いね!!」って…よくよく考えたら例えば凄い大きなクライアントの仕事だから、経験値は上がってるけど、自分では仕事だと思ってないしギャラもでてないからスッカリ忘れてるけど、今考えたら、職務経歴書に書ける大きな仕事タダでさせられてたな。。。笑 とかね。
でも不思議と嫌な気持ちになってない不思議な力があるんです。笑
とにかく愛くるしい。
なんだろう?みんなが放っておかないし、みんなが独り占めしたくなるような人なんだよね。笑

MASKZのイベントフライヤー

一緒にやっていたmaskzという活動も、錚々たる面子の中、なぜか私を中心人物に選んでくれた。
MCももっと適任者がいるのに、湯山玲子さんと並んで任されたり、モデレーターや、maskz代表パネリストに選んでくれたり、Tシャツやら映像やら作った時に「芙樹ちゃんが色決めていいよ」「芙樹ちゃんが曲作って。信藤さん、こんなのがいいな。あとは任せる」
って言ってくれた。
色んな経験値を無理のない範囲で与えてくれて、なんかよくわからんが仕方ないなーって気にさせられながら、気持ちよく育ててくれてたんだなと今となっては思う。
それって最高の育て方じゃないか!?

多分、maskzのイベントの時。
もしくは桑原茂一さんのイベントに呼んでいただいた時。

というのが、私はさっき言った通り、信藤さんのお仕事の場合は助ける立場が多かった。
なんか虫の知らせとはこの事か、と思うような出来事なんだけど、去年末に、それこそ、私にとっては信藤さんに紹介される事でちゃんとお顔とお名前が一致して、知り合った人とたまたま連絡をとる機会があり、その子と話している中で、最近信藤さんに会ってる?という話になった。
勿論、私は癌を患われた事は知っていたので、それを彼に伝え、その後治療してるのは知ってるけど、どうやら大阪にいることはわかっているが、それ以降会っていないという話になり、私は関西出身なので、年末年始に帰郷する際に、会ってこようかなと思っていると伝えたところ、彼も、今の自分があるのは信藤さんのお陰だから自分も会いたいとの事だった。
そしてfacebookのメッセンジャーで連絡をしてみたところ既読にならず、おかしいな、と言ったら、電話した方がいいと言われ、電話してみた。
正直、そこで強く電話した方がいいと言われなかったら、もしかしたら、私は電話をしていなかったかもしれない。
そして電話をすると、なんだかいつもの信藤さんじゃないような気がした。
だから、私より密に連絡をとっている友人に連絡をして、状況を教えてもらうと、会いに行けるなら行ってくれた方がいいとの事だったので、1月に大阪に会いに行く事にした。

信藤三雄なアイコン

信藤さんに会ったら、なんか私が知ってる信藤さんじゃなくなっていて、前は、気づいたらすぐ居眠りする甘えん坊のちょっと手のかかる爺さんで、元気だから、「もう!!信藤さん!!死んだの?死なないで!」って悪ふざけできてたけど、そんな冗談言える状況じゃくなってて、言葉を失って一緒に行ったその子が察して喋ってくれてなかったら、泣き崩れてしまってたとおもう…。
なんとなく、もしかしたらこれが最後かもしれないってどこかで覚悟してお話した…。

とにかく、沖縄に帰りたいと言っていたので、頑張ってちょっとでも食べて元気になって沖縄行こうね、って話した。

その時に、途中で寝たいと言うので、ヘルパーさん呼ぼうか、と言ったら「悪いので、自分でできます」
って言うので「うん、じゃあ、手伝うよ。どうすんのさ?」と言って、一緒に行った子が抱えようとしたら、何故か、一緒に行った子が「あ、フキちゃんがやった方が信藤さん嬉しいね。僕は後ろから支えます」と言い出して、え?私が前?どうすんの?教えてよ。骨でも折ったらどーすんのさw って思ってオドオドしながら手を持って、「信藤さん、支えてるからじゃあ、立って!」と言ってもびくともしない、、、。
とりあえず抱っこする形で抱きかかえて
「え?ねぇ、ちょっと!信藤さん!どうすんのよ!?いつもどうやってんのか教えてよ!?じゃないとわかんないから!」
ってダウンタウンのコント状態で抱えながら言ったら「どうすればいいと思いますか?」
と言われて、なぞなぞだしてる場合じゃないっつーの!!笑
って思ってたら、一緒に行った子が、「僕、後ろから抱えて持ち上げて椅子どけるんで、芙樹さん前から支えてあげて、まずお尻ベッドに乗せてあげてください」と言われてやっとのことでベッドに乗せたが足がベッドの枠からちょっとはみ出てしまった…
「もちょっと上にあがってくんない?」と言っても簡単に上がれるもんでもなく、2人でちょっとずつ動かして、信藤さんのパンパンになった足を私がマッサージしてあげたら、帰る間際まで、「ふきちゃんのマッサージがすごく上手で気持ちよかったよー」と何度も言ってくれた。

そしてそこを出た後に、一緒に行った子に「ねぇ!あのナゾナゾ何よ!?笑」と言ったら「あれが信藤さん節ですよ!ふきさん、信藤さんと仕事してないから知らないんですね?僕いたから、あのプライドが最後まで出したんだろうなぁ、、、ああやって考えさせるんですよ。絶対答え出さないんですよ。」
と。
「マジで!?あんなとこでそんな巨匠節いらないからさ!笑 いや、介護手伝ってんだからさ!笑 事故ったら大変じゃん!?笑 何あの面倒くさいかんじ!!笑 めちゃくちゃウケるんですけど…!抱えて重いっつーのに答え言わないからさ、腰砕けるかとおもったよ!笑」
と、、、。
私が知らない巨匠 信藤三雄の噂の信藤三雄の一面だった。

遂に沖縄に帰れたという吉報を受け、足の浮腫も取れて、なんだかいい感じになってきたねと思っていた数日後、突然、訃報をうけた。
ずっと帰りたかった沖縄にやっと帰れたことで、もう目的が果たされて、気持ちが落ち着いたんだろう。

320(ミツオ)ガールとしてサヨナラ言いにいかないわけにはいかないと思い、沖縄に会いに行って来た。
怒涛のような3日間。
ずっと気を張り詰めていたからか、面影がなくて、なんかあまり実感湧かなかったからか、
側近で最後まで信藤さんのマネジメント会社まで務め上げた湯川くんが言ってたように風船の空気が抜けていくように、徐々に信藤さんの気は既に抜けていて、この世に未練や念や執着心を残さずに行った感じがするからか、悲しいようで、不思議とそんなに哀しくはないんです。

なんか涙は滲みでてくるのだけど、肉体はただの物体でしかないって言われてるみたいで、悲しいけど暖かいのです。
安堵のようなものを感じるというか。
だから、しんみりしたお別れは似合わない気がして、スクーターズ の楽しい曲ずっとかけて、ただただ、お疲れ様って言ってお別れした。

家族葬で親近者のみだったけどある意味親近者が多すぎるんだよね。
誰にとっても特別で独り占めしたい人だから、聞きつけた色んな人がいても立ってもいれずに、名前は書けないけど、錚々たる面子が来て、信藤さんがいないと今の自分はないってオイオイ泣いちゃうんだよね。
正に恩師でもあり、チャンスをくれた人でもあるからさ。

ちなみに、その大阪での信藤さんのなぞなぞエピソードを、かつて信藤さんのマネジメントをしていた女の子に話したら「わかるー!それそれ!信藤さんといえば、その感じですよ。そっか!芙樹さんは知らなかったんですね!?笑 私はそれでしごかれてますから!想像するだけで、芙樹さんのそのハッキリした感じと信藤さんの会話が笑えます。笑 」と言われた。

今は虚無感に襲われてるけど、それは自分に対しての、全速力で走り切った後の疲れに似てる。

もう少ししたら、実感が湧いてしまうのかな?
でも、またどこかで会える気がするんです。
ひょっこり現れて
「信藤さん、ちょっと旅してきた」
って言って戻って来そうなんだもん。

信藤さん、たのしい時間をありがとう。
仲良くしてくれて、本当に有難う。
願いが叶って良かったね。
ゆっくり休んでください。
またいつか。
大好きだよーーー

どうでもいいんだけどさ、帰りの飛行機でさ、羽田着いて、荷物取る時後ろ見たら、真後ろに信藤さんと同じニット帽かぶってるお婆さんがちょこんと座っててさ、卒倒しそうになったよね…
あ、連れて帰ってきちゃった!?笑
って思ったよね。笑
でも、今も側にいる気がするー

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