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かなしみ

突然現れる悲しみがあるだろう。
突然現れる、といっても突拍子のないところから出てくるわけでもない。
自分の身体の中どこかにいつもじんわり染みていて、ふとした時に胸に頭に、どこか分からないけどまあ心ってやつがあるところに沁々滲み出てくる悲しみだ。

悲しみに理由があればいい。
理由のある悲しみは易い。
だけどこういう悲しみは、人間という生き物の悲しみだ。
個人には到底背負いきれるものではない。
悲しみに苛まれて、悲しみを味わうようにこんな文章を書いてみたりして、悲しみから逃れるように楽しいことをしたりして、けれど理由のない悲しみは消し去る術もなく、ただまた身体のどこかに染みて馴染んで見えなくなる時を待つばかりで。
見えなくなるだけで悲しみはいつでもそこに染みていて、私は身体のどこかにその気配を感じていて、またいつか呼び起こされるその悲しみに少し怯えながら。

悲しみを、どうやって拭い去ろうと考える。
好きな音楽を聴く、趣味に没頭する、自分を研鑽する、ドラマを観る、好きな人と笑う、どれもただ悲しみを忘れるだけで、無くした訳じゃない。
悲しみを見つめる。
涙を流す、これは少し楽になれる気がする。悲しみを涙に溶かして身体の外に絞りだすような。
けれどもやはり無くせない、これは人間の悲しみだから。
降り積もる悲しみじゃなく、沸き上がる悲しみだから。

この、身体から。
悲しみを漂白することはできるのだろうか。
できることならまっ晒に。
私を怯えさす、この悲しみ。この、悲しみを。


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