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出来ないからこそ出来たこと――当たり前を越えていけ

記事タイトルを見て「どういうこと?」と思った方がいるかもしれない。私がこの記事で伝えたいのは、「出来て当たり前なことが出来ないのは、みんなが出来ないことを出来るようになるきっかけだ」ということ。うん、ややこしい。

――あなたは当たり前のことを当たり前に出来るだろうか?

学校に行く、仕事に行く、ご飯を食べる、寝る、友人と話す、など世間一般に当たり前だと思われていることはたくさんある。例えば、ここに書かれていること全部出来るよ、という方もいるだろう。一部なら出来るよという方、一部は出来ないよという方もいるだろう。


私は当たり前のことは当たり前に出来ると思い込んでいたが、今になって振り返ると結果として出来ないことが多かった。ただ、何かの病であるとか、そういうことではない。学校には行けたし、何なら地元では有名な進学校に通い、程よく有名な大学に通っていた。仕事も就職活動に苦しむことなくすぐに決まり、真面目に一生懸命働いた。

しかし、幼い頃から時折感じていたのは、「当たり前はどうやって当たり前になったのか」ということ。小学生から高校に至るまで、一つの箱の中で一定の人数の人間が同じ授業を受けて同じご飯を食べて、毎日飽きることなくそれを繰り返すことに息苦しさを感じていた。

そして、「当たり前」の概念を丁寧に自分に刷り込まないとそこから逸脱してしまうという、ぼんやりとした不安を感じていた。日々の暮らしのなかで「当たり前」はぐらぐらと揺れるのだ。


――授業の声だけが響く人気の無い冷たい廊下を歩いたらどんなに気持ちいいだろう。

一般的にいう不良少年少女が抱くような反抗的な気持ちではない。そんな情熱は全くなく、ただただ当たり前を当たり前だと思わなくなった世界線を空想しているだけ。

それでも私はきちんと当たり前の生活をこなしていた。生活に関して脅威がなかったからこそこの思考が生まれたのも理解していた。それに、当たり前を当たり前と受容できるのはありがたいことだとも知っている。

そんな私が自分の思い描く当たり前から逸脱したのは、社会人になってからだった。


銀行に就職した私は、およそ半年で体に不調をきたした。会社には行こうと思って準備するものの、通勤途中の電車で倒れたり、準備中に吐き気を催したりした。会社に行ったものの倒れてしまい、病院に搬送されたこともあった。周囲からどのように見えていたかは知らないが、私自身は何か体調がおかしいな程度の気持ちだった。

仕事を頑張りたいのに体が言うことをきかない。そう言う私を、母は無理矢理に病院へ連れて行った。そこで医師に言われたのは、自制心が強すぎるということ。職場で意図的にプレシャーをかけられ、人間関係でも様々な出来事があったにも関わらず、「負けてたまるもんか」、「泣いてたまるもんか」と必死に堪えていた私に対して、体がSOSを出してくれているのだという説明だった。「つらい時は泣いて大丈夫だよ」と言われてはじめて大泣きした。

それからしばらくの間、復帰を目指して毎日仕事へ行く準備をしては出勤出来ない日々が続いた。最終的には「ここで一生立ち止まっているわけにはいかない」と思い、悩みを断ち切って転職をした。決まった就職先でずっと仕事をすることが当たり前だと思いこんでいた私が、当たり前から抜け出した瞬間だった。


「人生一度きりだしどうせなら好きなことをやってみよう」という思いから、転職先はアトリエ系の設計事務所に決めた。大手ではなかったけれど、さまざまな賞を受賞するような事務所で、設計をしながら町おこしやイベントの開催を行っている先進的な会社だった。社長は仕事熱心で厳しくも優しく、文系学部で設計について何も知らない私にCADを用いた製図の仕方や設計のノウハウを教えてくれた。

結局その会社に居たのはちょうど1年間。休日がなく深夜まで続く仕事に体力の限界を感じて辞めた。しかし、その短い期間に経験させてもらった仕事は数多く、製図はもちろんのこと、クライアントの方とのミーティングや設計デザイン、インテリア選び、イベント開催、町おこしの会議などにも携わらせてもらった。きついけれども大変楽しい職場で、かけがえのない経験だった。


現在私は、教育関連の事務職をしている。初めて正社員ではない立場。なおかつ、完全にPCと向き合うだけの日々。やりがいはほぼないが、生活は整っている。正社員の方を見ても、ゆっくりランチをしてお菓子を食べ定時に帰っている。それでいて今までの会社より正社員の給料が高いのだから、いろんな職場があるものだなと驚いた。

そんな職場で、周囲の方から驚かれることがある。それは、金融関連知識とデザイン系ソフトの使用に関してだ。これまでの職場で一生懸命仕事に取り組んできた結果自然と身についたそれらのスキルが、実はそんなに一般的ではないことを知った。私にとっての当たり前はみんなにとっての当たり前ではなかったのだ。

そして、私のスキルが重宝されるたびに不思議な感覚を覚える。私はみんなの当たり前である「1つの職場で長くスキルを磨くこと」が出来なかった。しかし、職場を転々としたおかげで、普通では見られない世界をたくさん見て、実際に参加し、そこで得られる最大限のスキルを身に着けることが出来た。

もちろん今の職場では正社員より立場が低く、社会の構図にふと嫌気がさす時もある。しかし、今後仕事を変えたければまた探せばいいし、ネガティブに考えないようにしている。それより今は「出来なかったからこそ出来たこと」、「出来る人には出来ない面白い経験」を楽しんで大事にしていきたい気持ちが大きい。

同じような経験をしている方に伝えたいのは、自分の経験を決して悲観しないこと。出来ないことをそのまま受け止めず、それを武器にしていくこと。会社に頼らず磨けるスキルをこつこつ磨くこと。他の人と違う自分に自信を持つこと。


新型コロナウイルスの影響もあり、社会は良くも悪くも大きく変わった。また、終身雇用制も崩壊しつつある。もちろん私も、今後の仕事や生活がどうなるのか分からず先々のことを考える夜もある。しかし、人生は1度きりだし自分だけのもの。

――社会や自分が持つ当たり前を越えていけ。

そう言い聞かせて、全力で毎日を楽しんでいく。


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