外で働きたくなくて使用済みパンツを売っていた話


コミュニケーションが苦手だ。特に対面。
周りが普通に出来ている世間話とやらのやり方が全く分からん。絶対に1ターン目で会話が終わる。俺のターン!「ヘラヘラする」!ターン終了。終わり。私が知らないだけでみんな学校で教えてもらっていたのか????確かに高校にはまともに行っていなかったが………(これもクラスにうまく馴染めなかったため)
生まれ育ったこの地域は、ド田舎のくせに一丁前に観光地を謳っているせいで求人はだいたい接客業ばかり。
私は今、そんな地元の神社で働いている。客はそんなに来ない。


話は変わるが、私は絵が描ける。
極論、「絵を描く」だけなら基本的に誰にでも出来ると思うのだが、私は「お金を貰える程度」には絵が描ける。
高校卒業後はデザインの専門学校に行ってコミックアート学科を選択したし、実際にソーシャルゲームのカードを描いたりノベルゲームのスチルを描いたりしたこともある。

専門学校に入ったあたりで薄々気付いたのだが、
自分、絵描くの別に好きじゃないな……

楽しいかと聞かれれば「まあそれなりに」と答えるが、専門学校で仲の良かった同期と比べるとそこまで熱量はない。
キャラクターデザインは好きだったのでなんとな〜くゲーム会社でそんな仕事ができればな〜と思っていたが、尽く就活に失敗し結局卒業までに就職は決まらず、金もなく、田舎に戻りしばらくニート生活をしていた。

冒頭にも書いたように、私のような特にこれといってなんの資格も持っていない人間にある求人は接客ばかり。家族からは「早く働け」と急かされる。祖母が新聞に載っていた海の家のアルバイト募集の切り抜きを持ってきて、「これでええやんか、とりあえず行ってみれば」と言う。
この頃私はうつ病の診断を受けて精神病院に通院していた(今現在も通院中である)が家族には内緒にしていた。私は家族からの圧に疲弊しきっており、夏の間だけなら…と勇気を振り絞り面接を受け、このような陰キャの精神病患者には到底向いていない海の家でのアルバイトをすることになった。結果はご想像におまかせする。


地獄のような夏が終わり、「外で働きたくない」という気持ちがどんどん大きくなってくる。とにかく外に出たくない……外に出ると人間がたくさんいる……もう嫌だ……勘弁してくれ……
その後も短期の接客バイト(駅のコンビニ、柿のたたき売り、シードアイス売りなど)で騙し騙し生活していた。

なんとか外に出ずに済む方法を………
絵を描くのは多分得意…だが、Twitterやpixivなどで自分の絵を積極的に不特定多数に見てもらいたい!という欲求がかなり薄く、そもそも就活に失敗したこともあり絵に対する自信が無くなっていた。同期はみんな前に進んでいる。当然絵もうまい。自分の売り込み方も分かっている。
「お前だけだ。甘ったれたこと抜かしてんのは」
自罰的になりうつ病が悪化する悪循環。動けない日は一日中、天井を眺めて過ごした。こんな状態の人間がフリーランスでやっていけるわけがない。

みんななんでそんなに一生懸命になれるんだ。私はやりたいことなんて無いよ。将来の夢もない。
疲弊。金欠。おしまい。


血迷った私はパンツを売ることにした。(!?)


そうだパンツを売ろう!使用済みパンツを!
実家住みだろうと金は必要だ。最初はパパ活をしようと思っていたのだが、それも結局都会まで出なくてはいけない。このド田舎にラブホとかないし(いかにも"出そう"なやってるかやってないか分からんラブホはある)。交通費やその他諸々…特に自分の容姿のことを考えた結果、私はパンツを売ることにした。変に行動力があって自分でも怖い。
今はどうだか知らないが、当時1日履きパンツの相場は約3000円。インターネットで1枚300円程度のやっすいパンツを買えば10倍になる。変態おじさんたち、ありがとう!!!

新しくTwitterアカウントをとり、もはや別人になるまで加工した自撮りをアイコンにし、可愛くデコった料金表を作り、売りたい下着たちを並べた写真を撮ってアップした。

かくして私はパンツ売りの少女になったのだ!(少女という歳ではないが)

これがなんとまあ、フォロワー数がどのアカウントよりも1番多くなった。いわゆる100%フォロー返しもせず、おっぱいを出した自撮りも、何時間もかけて描いた絵もアップせずにフォロワー数が4桁になった。
性コンテンツがくたびれることはないんだろうな。三大欲求のひとつだし。人々が持つエロへの探究心はすごい。

取引は主にTwitterのDMでする。
(私とて少しは罪悪感を持ち合わせているので、これを見て真似する人が出ないように詳細はボカす。)(真似しないでね!)
もちろん、変なDMはたくさん来る。冷やかしおじさん、若い女と会話したいだけおじさん、自分の性器写真貼り付けおじさん、値下げ交渉おじさん、セックスしたいおじさん(おにいさん)、説教おじさん……
ただ、きちんと取引してくれる人は普通にめちゃめちゃいた。
私は幸いにも金銭のやり取りでトラブったことはなかったし、取引が終わった後クレームが入ることもなかった(「申し訳ないのですが柔軟剤のニオイがあまり好きじゃないので、次から柔軟剤のニオイがキツいものは省いて欲しいです。」というお願いは来た。この人は後にリピーターになってくれて、とても紳士な人だった)。嫌な目に遭ったら売り子同士で注意喚起をしていたのでヤバい人は即ブロック。
直接会って渡す子もいたけど(生脱ぎ)、私は郵送していたので危険な目に遭うリスクは圧倒的に低い。

決して毎日飛ぶように売れた訳では無いが、思っていたより需要はあった。
私は主に下着を売っていたが、下着以外にも靴下、部屋着、ストッキング、タイツ、ローファー、制服、はたまた使用済み生理用品なども売れる。

1番印象に残っているのは「足の裏の動画を撮って売ってくれませんか?」という依頼。1分500円位で取引した気がする。
足の裏を撮るのは意外と難しい。何本か取引したが、画のパターンがそんなに思いつかない!頑張って水をかけたり、ストッキングを脱いでるところを撮った。こちらも丁寧で紳士な人だった。

商品送る際、メッセージを添えた可愛いメモ用紙を入れたらすごく喜ばれたのを覚えている。
「是非またお願いします」、そう言われるのが嬉しかった。


そんなこんなでパンツを(実際にはパンツ以外も)売りはじめて4ヶ月ほど、外で働かずにそこそこのお金が手に入った。

ではなぜ私はパンツ売りの少女を辞めてしまったのか?
答えは簡単だ。私はコミュニケーションが苦手である。
「特に」対面が苦手なだけであって、そもそもどんな形態であろうとコミュニケーションをとるのが苦手なのだ。

最初は外で働くよりずっとマシだ…と思っていたのだが、いよいよDMのやりとりをするのが精神的に参ってきてしまった。
なんとも情けない。いや本当に。
毎日約5人程度の顧客とやり取りしていたので頭も使う。この人は前にアレを買ってくれた人だとか、この人は料金上乗せしてくれた人だとか……そういうのを考慮して接待(?)をするのもこの界隈では大切なことだった。
もうバレていると思うが、私の頭は良くない。決定的失態はしなかったが、最終的に頭が全く回らなくなった(キャバ嬢やホストの人達は凄いな〜)。具体的に言うと、宛名を書き損じることが圧倒的に多くなった。文字が分からなくなったのだ。
その上家族から「アンタしょっちゅう郵便局行ってくるって言うてるけど仕事もせんと何してんの?」と言われる始末。買い手の中には追跡をつけて欲しい人、発送方法を指定したい人など様々だったので郵便局には足繁く通っていた。当然「使用済みパンツを出しに行ってる」など口が裂けても言えない。そんなことを言った日には祖母は怒りで頭の血管が切れて死ぬだろう。

もう新規の人は受け付けないでおこう、今進行中の取引が終わったら辞めよう…とうっすら自分の中で決め、私はパンツ売りの少女の暖簾をおろした。


月日は経ち、結局私は社会とのコミュニケーションがうまくとれないまま、今も人生を誤魔化しながら過ごしている。
縁があって知り合いの漫画家さんからアシスタントの仕事を貰ったり、仲介業者を通じて絵の仕事を貰ったりしているが、基本的には神社(外)だ。
給料は少ない。携帯代を払うのもギリギリ。通院の方は自立支援医療制度を使っている。絵を描くことは、相変わらずそんなに好きではない。
でもお金は必要だし、明日もやっていかなきゃいけないらしい。なんてこった。


この社会でコミュニケーションを一切とらずに生きていくことは出来ない。
でも、なるべく最小限に抑えられる手段はきっとたくさんある。それを掻い摘んでいきたいよ、私は。
私の考え方が「甘い」と思う人はたくさんいるだろう。実際に母親から言われ続けているし、自分でもたまに思って落ち込む。でも仕方ない。25年間、それなりに模索した結果うまくいかなかったのだから、これから劇的にうまくいくことなんてことは多分ない。お金の余裕も心の余裕もない!!7億円当たれーい!!!!

私は私に合ったやり方で、人生をうまく誤魔化していきたい。それだけ。


私もあなたも、今日もなんとか。






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