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母に置いていかれたけれど

「どうしてお母さんはあなたを置いていったのかね。こんなに可愛いのに」

おばさんは私によくこう言った。
おばさんは父の妹で、私の家の隣に住んでいる。

私を育ててくれた、第二の母だ。

夏の暑い日、私の母は、子どもの私を役場の前に置いて、そのまま戻ってこなかった。

「まっててね。迎えにくるから」

私は役場の前で、忠犬みたいにずっと待っていた。
不安になって時々涙がにじんだ。
汗と涙がしょっぱい。

クーラーにあたりたくて、役場の中に入る。
すると、私を心配した職員に、どうしたのかと聞かれて気まずいので、ずっと役場の外にいた。
夏の暑い日だったので、汗だくだ。

夕方から夜になり、役場はもう閉まった。

どうやら母は、私をもう迎えにこないらしい。

子ども心に「やりやがったな」と思ったのを覚えている。

母は自分を優先する性格だったので、置き去りをしてもおどろきはしなかった。

昔から、小さな私を寝かしつけると、そのままいなくなることがよくあったからだ。
目を覚ました私は裸足で外に飛びだして、泣きながら母を探し回る。

近所の人が、泣きじゃくる私を見つけては保護して、泣きやむまで家で待たせてくれた。

しばらくすると、母は何事もなかったように、ケロっとした顔で帰ってくる。
スーパーに行っていたらしい。

「なんで泣いてるの?さあ、晩ご飯よ。」

こんな調子だったので、私は小さな心を守るためか、母はいつか本当にいなくなるかもしれない、とかまえるようになった。

そして、母は家事全般が下手だった。
水みたいなカレーを私は一生忘れない。

私の体操着にはいつも黒カビが生えていて、学校の体育の時間は恥ずかしかった。

テーブルの下を掃除しないから、明け方になると、食べこぼし目当てのネズミの鳴き声が聞こえる。
清潔ではなかったのだ。

それでも、母は母なりに愛情を注いでくれた。

眠れない夜に、母は私をよくおんぶしてくれた。
「だいじょうぶよ~。ねむ~くな~れ~。」
ゆらゆらと体をゆらす母の背中は、やさしい。

運動会には、私の好きなエビフライをこれでもかと重箱に詰めてきて、リレーで走る私に「負けるな、負けるな~!」と声援を飛ばした。

寒い夜には、布団の中で「おいで」と呼んで、私の冷たい足を太ももにはさんで、あたためてくれた。

記憶の中の母は、あまり言葉をつなげてしゃべらない。
今思うと、自分の考えや感情を説明する姿を見たことがない。

怒るときは、
「なんでこんなことする!」
と言った具合で、一言で私を怒った。

ある日、おばさんの家の手伝いをしたと自慢気に話したら、
「そんなことするな!」
と怒られた。

褒められると思ったのに面食らった。

のちにおばさんにこの話しをした時に、
「あなたのお母さんはね、お嬢様育ちだったから、あなたにお手伝いさんのようなマネをさせたくなかったのよ、苦労させたくなかったんだと思う」
と聞いて、母の怒りの解像度を上げることができた。

小さな私でも、何がダメなのか、理由を説明してくれたら、母がなぜ怒っているのか理解できたかもしれない。

母の少ない言葉と状況から、彼女が怒る理由を推測するのは難しかった。

言語化する力が弱い人だったのだと思う。

母は言葉にできない反動か、怒りの感情がすさまじく、目をかっぴらいて鬼のような顔で大声をあげ、物にあたった。

それでも小さな私にとっては、母が与える世界がすべてだ。

家事が下手でも不器用でも、自分を産んでくれた母が大好きで、母を求めた。

しかし、相変わらず私を寝かしつけてはどこかへ消える。

時々、コーヒーを飲みながら、ぼんやりと外をながめる母を見て、1人になりたがっているような気がした。
そして、母は出て行った。

それから私の生活は、一変する。
家の状況を見かねたおばさんが、私の家にきて、世話をしてくれるようになった。

「お腹空いてない?何か作ろうか?」

おばさんはいつ会っても、私がお腹をすかせてないか心配する。

お腹がすいたと言うと、こりゃ大変だとあわてて冷蔵庫の中を見繕い、ご飯を作る。
おばさんの作るご飯は、食べたことのない物ばかりで、びっくりするほどおいしい。

見たことないスパイス料理や、おしゃれなお皿に盛りつけられたご馳走。
服や靴もよく買ってくれて、学校でも、もう恥ずかしくなかった。

自分の身の回りを整えることも、おばさんが教えてくれた。
髪はきとんと梳かすのよ、とか。
食べこぼしたら拭くのよ、とか。

私は大人になっても整頓は苦手だけど、清潔にすることだけは大事にしている。
ネズミの鳴き声はもう聞こえない。

おばさんには息子がいたけれど、娘がいなかったから、私を娘みたいに大事にしてくれた。

新しくできたお店や旅行にも連れて行ってくれて、いろんな楽しい体験をさせてくれた。

私を置いてどこかに消えたことは1度もない。
待ち合わせにも5分前にはきてくれる。

おばさんは、
「一緒にいると、楽しいわ。」
とよく言ってくれた。

私を置いていく母と違い、必要としてくれる気がして、おばさんの事がますます好きになった。
おばさんのおかげで、年相応の青春を過ごしたと思う。

ティーンになると、ティーンらしい思い出も沢山つくった。

学校を抜け出して、他校の子とカラオケしたり男の子とデートをした。

ある日、大人のフリをして
「うちの子、今日は風邪を引いているみたいなので学校休みます」
って澄ました声で学校に電話をいれたけど、なぜか速攻バレて、学校からおばさんに電話がいった。

おばさんは怒らなかった。
私に何も言わなくて、なぜ怒らないのかを聞いてみた。

「あなたなりの理由があると思って。それに私が問い詰めたら、あなたの居場所がなくなると思ったのよ」

「アナタナリノリユウガアルトオモッテ。」
私は頭の中で復唱した。

おばさんは言葉で考えを伝えるのがうまい。
人はお互いに折り合いをつけるため、考えを言葉にして伝える必要があることも、おばさんと一緒にいて知った。

そして、行動でもわかりやすく、私を大事にしてくれた。

クラブに行って朝5時に帰ってくると、おばさんはずっと起きていて、
「よかった、帰ってきて安心したわ」
と言って眠りについた。

ごめんね、おばさん。さっきまでアメリカ人の膝の上に載って王様ゲームをしていたわ。

時間もお金も気力も体力も、私のためにかなり使っただろう。

世の中におばさんみたいな人もいるなんて、私は宝くじの一等に当たったようなもんだとよく思った。

その後、おばさんの援助は続き、私は大学まで卒業して、公務員になった。
しかも、母に置いて行かれた役場で働いている。

小さな村の役場だから、私の過去を知っている人も多い。

大変だったね、と声をかけてくれる人もいるけど、私はちっとも大変じゃなかった。

おばさんがいてくれたから。

私が、宝くじ一等当選に相当するラッキーガールであることを、村の人達は知らない。

役場で働いていると、いろんな事情を抱えた人に出会う。
子どもを放置する母親の話なんて、めずらしいくない。

身勝手な母親と苦境の子どもを、過去の自分と重ねあわせる。
その子達を思うと心がしめつけられて、幸せに生きることを心の隅で思う。

そして、私がどれだけ稀な境遇だったかを考えずにはいられない。

産んでくれた母を、あわれに思うこがもある。
彼女の能力と不器用さを、大人になった今では理解できる。
彼女にとって子育てはキャパオーバーだったのかもしれない。

しかし、母は母なりに一生懸命、私を愛した。
置いていったことは事実だけれど、愛してくれたのも事実だ。

私はまだ、母を探す気にはなれない。
傷は昇華されてないのだろうか。
別にそれでいいと思っている。

おばさんは70歳を過ぎて、体が段々小さくなってきた。
耳も遠くなってきたし、眠る時間も増えた。

きっと母も同じだろう。

小さな私に伝えたい。
あなたは大人になったら、自分でおいしい料理をつくれるようになっている。
勉強を頑張って大学にいき、自分で稼いで暮らしているよ。
それに、2人の母の愛の記憶だってある。

あなたは将来、幸せになるから、役場の前で泣かなくてだいじょうぶ。

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