<短編小説>嘘つきショートホープ

 一

 嘘つきショートホープ。それが、俺の名前だ。勿論、本名ではない。仕事上のあだ名のようなものだ。いつの間にか、同業者からそう呼ばれていた。直接呼ばれる事はないけど、陰でそう呼ばれていると聞いた。
 特段、仕事に思い入れやプライドがある訳ではない。ただ、実入りが良いというだけで、長年嫌々やっている。中には、この仕事を天職だとほざく奇人変人もいる。理解に苦しむ。ただ俺には、才能があるようで、未だかつて一度もミスをした事がない。能力と好みは、別物のようだ。
 唯一、気に入っている事があるとすれば、一度のミスが命取りだという事だ。たった一度のミスも許されない、このひりつく緊張感は気に入っている。
―――殺し屋。これが俺の仕事だ。
 そして、たった今、初めてのミスを犯したところだ。たった今ではないな。確かに、ターゲットを殺し損ねはしたが、俺の一番のミスは、クライアントの選択ミスだ。あのババアの執念を見誤った。
 血まみれの少女を膝に抱え、スーツの内ポケットに手を入れる。煙草とジッポライターを抜き出した。俺のあだ名の由来の一つであるホープという煙草に火をつけた。十本入りの小さな煙草だ。ショートホープと呼ばれている。
 煙を吸い込むと、激しくむせ返った。口から血液が飛び出し、少女の顔に付着した。俺の膝の上で寝息を立てている少女の顔に、手の甲を当てる。起こさないように、そっと血を拭き取ってやった。少女に付着している血液は、全て俺のものだ。肺に穴が空いているのかもしれない。陽の光が届かない細い路地の片隅で、ビルの壁に背を当て座り込んでいる。背中に受けた切り傷も、思ったよりも深そうだ。壁にもたれているだけで、悲鳴を上げそうなほどの痛みが走る。だが、少女を抱えて全力疾走した足腰は、もっと悲鳴を上げていた。
「煙草は、体に悪いからやめた方がいいよ」
 咳の激しさと、伝わる振動で、少女は目を覚ましてしまったようだ。あのまま、ずっと眠っていた方が良かったのかもしれない。
 この子の母親は、殺されてしまったのだから。確認はしていないが、あの状況では、生きてはいないだろう。俺は、この少女を連れて逃げるので、精一杯だった。
「ご忠告、ありがとよ」
 むせ返りながら、煙草を吸って、煙を吐いた。体の事を気に掛けるならば、直ちにこの仕事を辞めた方が良いだろう。
 別にこの少女を助けた訳ではない。この少女も、ターゲットの一人なのだ。つまり、母子ともに始末しろという案件であった。クライアントのババアもそうとうエゲツナイが、俺も俺でなかなかだ。仕事を引き受けたのだから。
 予想外な事は、現場で同業者とバッティングした事だ。獲物を取り合う形になった。これもババアの魂胆なのだ。同業者三人に、同じターゲットを狙わせた。莫大な財産に物を言わせて、下品な真似をする。ターゲットを奪い合わせ、始末の確率を上げ、互いに食い合わせ口封じだ。
 これだから、金持ちはいけ好かない。
 それにしても相手が悪かった。ババアもそうだけど、鉢合わせた同業者の面子だ。俺は、この仕事の能力と成功率が高い。しかし、中の上もしくは、上の下といったところだ。どうあがいても、上の上には勝てないし、勝てたとしてもよっぽど最適な条件がそろった時だけだ。運の要素が強すぎる。
 この業界で、上の上である有名どころと言えば、ギンバエ、カマキリ、スズメバチ、ハリネズミ、コブラ。この五人だ。少し前まで、阿吽兄弟というのもいたが、コブラにやられたと聞いた。この五人は、まさに化け物だ。そう、不運にもバッティングしたのが、カマキリとスズメバチの二人だ。敵う訳がない。
 名は体を表すのか、体は名を表すのか分からないけど、二人はコードネームを体現していた。カマキリは、両手に草刈鎌を持っていたし、スズメバチはアイスピックを持っていた。
 背中に×印のようにつけられた切り傷は、カマキリによるものだし、肺に穴があいているのかは定かではないが、スズメバチに胸を貫かれた。
 俺が、少女を抱えて逃げたのは、ターゲットを全て奪われない為だ。母親の方は諦め、少女だけでも始末しようと目論んだ。そう思っていたのだが、もう体に力が入らない。それでも、あいつらに一泡吹かせてやれたのは、気分が良い。
 それにしても、この少女は、とんだ災難だったな。母親が殺されたのだから、ここで始末してやった方が、幸せなのかもしれない。
「ねえ、おじちゃん。飴玉食べる?」
 俺の膝を枕にしている少女が、両手の握りこぶしを突き出した。現状を理解していないようで、屈託のない笑みを浮かべている。
 俺の想いとは裏腹に、呑気なものだ。

 二

 ひょっとしたら、この少女はあの男の娘なのかもしれない。
 投資家であり大富豪のバン=ローレライン。ローレラインの妻である、バン=カルネラが、今回のクライアントだ。この少女の母親は、ローレラインの愛人である。八十歳近いローレラインであるが、噂以上のタフネスぶりだ。同じ男として、頭が下がる。
 今回の案件は、妻が夫の不倫相手と、その子供を始末するという依頼だ。カルネラもこの少女が、旦那の子供だと疑っていたのかもしれない。カルネラは確か六十代のはずだ。いくつになっても、嫉妬というものは、なくならないようだ。この子の母親は、まだ二十代で美しい容姿をしていた。孫ほどの年齢の隔たりを埋めるのは、やはり莫大な財産なのか。金の為に働く事が、正当化された気がした。
「おじちゃん、おじちゃん! どっちだ?」
 寝そべる少女が、体の前で左右のこぶしを動かしている。左右のどちらかを選んで欲しいようだ。少女は大きな瞳を輝かせて、俺を見上げている。年頃になったら、美しい女性になるだろう。その頃まで、生きていられたらの話だが。きっと、左右の拳には、飴が握られているのだろう。正直、甘いものは、あまり好きではないけれど、少女の右手に触れた。少女は、ゆっくりと右手のこぶしを開いていく。案の定、少女の手の平の上には、飴が乗っていた。ピンク色の紙に包まれている。
「当たりぃ!」
 嬉しそうに少女は、手足をバタバタと跳ねさせた。当たり? 実は、左手のこぶしから、黄色の包み紙が、少し見えていた。きっと、少女は、ピンク色が好きなのだろう。少女から飴を受け取った俺は、指で摘まんだ飴を茫然と眺めた。視線を少女に向けると、俺が飴を口に入れるのを楽しみにしているように見えた。が、彼女の期待に応えてやる気になれない。まさか毒でも入っているのでは、そんな疑いはない。単純に、甘みを体が欲していないだけだ。
 ニコリとほほ笑んだ少女は、左手をポケットに入れ、ピンク色の飴を取り出した。そして、飴を口に含む。ん? と、首を傾げた。どうして、黄色の包装紙の飴をしまって、ピンク色の包装紙の飴をわざわざ取り出したのだろう。ピンク色が好きなのだろうけど、中身も違うのだろうか? 少女は、両手で頬を挟み、幸せそうに目を閉じた。
 きっと、これが少女の短い人生最後の幸福なのだと思うと・・・特に何も感じない。これまでも、そうだったのだから。これまでに、沢山の人間の人生を終わらせてきた。老若男女分け隔てなく、平等に扱ってきた。例え、対象が小さな少女だとしても、特に心は痛まない。道徳とか倫理とか、そんな腹の足しにならないものは、とうの昔に捨てた。
 仕事をまっとうして、金を頂くだけだ。気が付くと、少女がジッと俺を見上げている。摘まんだままでいる飴が気になるのだろう。飴を投げ捨てて、空いた手で拳銃を引き抜くだけだ。が、少女に見つめられながら、飴を捨てる事に抵抗があった。引き金は引けるのに、飴を捨てる事に戸惑う様に、なんだか笑えてきた。善悪の価値観が破綻している。今ほど、『ロクな死に方はしないだろうな』と、強烈に感じた事はない。
 包装紙を破いて、飴を口に含んだ。思った通り、甘ったるい。苦虫を噛み潰したような顔になっているだろう。眉間に力が入り、顎の辺りに違和感を覚えた。
「ね? 美味しいでしょ?」
 俺のどの部分を見たら、美味しそうに見えるのか疑問だ。飴を舌で転がして、吐き出すタイミングを伺う。しかし、少女は、視線を外してくれない。ああ、そうかと、俺はスーツの内側に手を入れる。指先に、拳銃の感触が伝わった。
 少女の額に銃口を押し付け、強制的に目を閉じさせれば良いのだ。

 三

「また、煙草を吸うの? 飴の方が美味しいのに」
 少女は、不満そうに唇を尖らせている。ああ、そうかと、拳銃から煙草に手を移動させた。そして、煙草とジッポを取り出した。飴を奥歯でかみ砕いて、強引に飲み込んだ。煙草に火をつける。口内が熱い苦みで満たされていく。ああ、美味い。少女がくれた甘ったるい飴が、煙草の旨味を引き出す装置なのだとしたら、なかなかに優秀だ。今度は、少女が苦虫を噛み潰したような表情を見せ、俺はざまあみろと笑った。
 立ち上る煙を眺めていると、ふと『こんなにのんびりしていて、良いものなのか?』と、疑問が浮かんだ。少女の母親は、もう殺されているだろう。それなら、奴らは、この少女を追ってくるのではないか。もし見つかってしまえば、逃げる事はできないだろうし、応戦しても勝ち目はないだろう。ベストコンディションでも勝てないのだから、手負いの今、考えるまでもない。
 今回の報酬を放棄し、逃げた方が良いのではないだろうか。仮に少女を始末したところで、半額の報酬を手に入れられる保証もない。俺が言うのもなんだけど、あの性根が腐っているババアが、それで納得するとも思えない。
 命がけで仕事をする人間を否定する気はないが、俺はそんな人種ではない。命をかけるほど、仕事にプライドを持っていない。金にならないなら、さっさと逃げるべきだ。しかしながら、俺はこれまで、仕事でミスを犯した経験がない。ミスをした人間に、どのようなペナルティが下されるのか、分からない。謝って済むと思えるほど、温い仕事ではない事は承知している。なにせ、色々知ってしまっているのだから。
 投資家であり大富豪のバン=ローレラインの妻である、バン=カルネラが、夫の愛人に殺し屋を差し向けた。そんな一大スキャンダルを掴んだ男を、みすみす逃すはずもないだろう。きっと、殺し屋を差し向けられる。最上級の強者を容易く、しかも二人も扱える財力とコネクションを、今回の案件で思い知らされた。
 そうなれば善は急げだ。少女をこの場で置き去りにして、俺はただちにこの場を離れなければならない。血だまりの地面に手をついて、体を起こそうとした。が、立ち上がる事ができなかった。腰を下ろしてしまったのは、失敗だった。立ち上がる事を、体が拒否している。そして、少女の小さな体でさえ、負荷となっている。恨めしい気持ちで少女を見下ろすと、真っ白な歯を見せて笑うのだ。少女は、俺の膝枕で、我関せずとくつろいでいる。肩を落として、深い溜息を吐いた。
「おい、お前。現状を理解しているだろう? お前の母親は、もう戻ってこない。じきに追手がやってくるだろう。お前もすぐにここを離れるんだ」
 自発的に、少女にはいなくなってもらった方が都合が良い。深手以外の重荷は、勘弁してもらいたいものだ。少女の頬が右・左・右と膨れる。飴を左右に転がしているようだ。呑気にもほどがある。
「もうすぐママは、戻ってくるよ。追手なんかこないよ。だから、ここを離れる必要がない。それに、あたしの名前は、サラ」
 ダメだ。現状をまるで、理解できていないようだ。こうなれば、強硬手段に出るしかないだろう。拳銃を突きつけて、この休日の昼下がりのようにくつろいでいる少女を、追い払うしかない。いっそのこと動けなくしてしまった方が、早いかもしれない。だけど、俺は無益な殺生は、しない主義だ。仕事に誇りを持っていない俺が、主義とかいうのも滑稽な話だが。別に好き好んで、人殺しをしている訳ではない。大金という折り合いをつける対価がなければ、やってられない。とは言え、このままでは、俺も彼女も野垂れ死にだ。
 俺は、懐に手を突っ込み、拳銃を握った。

 四

「あれ? 誰かきたみたい」
 少女が首を起こして、薄暗い路地の先を見た。俺は、つられるように、顔を少女の視線の先に向ける。確かに、地面を踏む足音が、こちらに向かってきている。路地の先に、人型の影が見えるけど、人相はまるで分からない。もう追手がやってきてしまったのか。それとも、ただの通行人か。通行人なら通行人で、この状況は、あまりにも不自然だ。拳銃を握る手に力が入る。頬を伝う汗が、顎から落ちた。どうやら、人影は一人のようだ。カマキリか、スズメバチか、それともただの通行人か。同業の二人なら、もうお終いだ。心臓が早鐘のように、体の内側から殴りつけてくる。
 影の切れ間から、ヌッと顔を出したのは、見知らぬ初老の男であった。俺と少女の存在に気が付き、目を丸くして立ち止まった。まずいな、どうやって誤魔化そうか。大声で叫ばれ、人を呼ばれたらたまったものではない。最悪、警察に通報されてしまうかもしれない。
 血まみれの男が、少女を膝枕している絵は、怪しさしか感じないだろう。すると、少女が、両手で顔を隠した。
「パパッ!! ヤダ! 恥ずかしい! ママは、まだこないの!? どうして血が出るの!? ねえ、パパ! 早く、ママを呼んでよ!」
 少女は、叫び声を上げて、大声で泣き出した。俺は、突然の事で、あからさまに狼狽えてしまった。
「あんた娘さん、どうしたんだい? 大丈夫なのかい?」
 初老の男が、歩み寄ってきた。俺が、少女と初老の男を交互に見ていると、少女が手を開き大きく口を動かした。俺だけに、少女の顔が見えるように、手の角度を調整している。口をパクパクと動かしている。
「え、ええ、大丈夫ですよ。ありがとうございます。どうやら、急に生理が始まってしまったようで・・・すぐに妻が来ますので。こんな時、男親はダメですね。ハハハ」
 俺は、初老の男を見上げて、苦笑いを浮かべた。初老の男は、気を使ってくれたようで、労いの言葉を残し去って行った。初老の男の小さくなっていく背中を眺め、安堵感から体の力が抜けた。少女が、『せいり、せいり』と口を動かしたのを見て、そのまま口にした。冷静になって考えると、この少女は生理がくる年齢には、まだまだ早い気がする。いや、そもそも、俺には時期なんか分からないのだが。少女の機転の早さに助けられた。それに、ウソ泣きの技術にも。
「ねっ? 上手くいったでしょ?」
「ああ、上手くいったな」
 少女は、ペロッと舌を出して、俺達二人は、声を出して笑った。笑った振動で、体のあちこちに痛みが走った。けれど、それでも笑ってしまう。声を出して笑ったのは、いつ振りだろう。
 俺は、この時、完全に油断していた。
 俺と少女の笑い声に、気配と足音を溶け込ませて、接近していた人物がいた。そうとう熟練の者なのだろう。頭部に固い感触がするまで、その者の接近に気が付かなかった。
 ハッとした時には、俺の頭部には、拳銃が突きつけられていた。
「嘘つきショートホープだな? 最後に言い残す事はないか?」

 五

 息を飲んで固まっていた。拳銃を突きつけられた状態では、身動き一つできない。ゆっくりと、目玉だけを上に動かしていく。しかし、その者の姿は、視界に入ってこない。俺は観念して、大きく息を吐いた。
「言い残す言葉はないが、最後に煙草を一本吸わせてくれ」
「ああ、分かった」
 汗でベトベトになった手で、煙草とジッポを抜き取った。一瞬、拳銃を素早く抜き出そうかとも思ったが諦めた。笑ってしまいそうなほど、冷静だった。人間の死の間際は、こんなにも呆気ないのだろうか。俺が見てきた連中のように、醜く命乞いをする事だけは、したくなかったのも原因なのかもしれない。煙草を咥え、ジッポで火をつけた瞬間であった。
 発砲された。しかし、飛び出したのは、弾丸ではなく、液体であった。その液体によって、煙草の火が消されてしまった。俺が呆気にとられていると、膝の上で少女が笑い出した。
「もう、ママ遅いよお」
「ああああ! ごめんなさいねえ、サラ」
 俺に拳銃を突きつけた人物は、少女の母親のようであった。俺は、頭が混乱している、なぜ、この女は、生きている? 最上級に位置する殺し屋二人に狙われて、逃げられる訳がない。俺の膝の上から、飛びのいた少女は、母親に抱き着いている。
「ねえ、ママ? さっきのなに? お芝居?」
「ええ、そうよ。この人の真似をしてみたの」
 親子そろって俺を見て、笑っている。苛立ちもなにも感じない。体だけではなく、思考も固まっていた。何がなんやら、訳が分からない。母親に詰め寄ろうとしたが、体の痛みで言う事をきかない。痛みで悶絶していると、徐々に頭の中の靄が晴れていく。
「お前は、どうしてここにいる? どうして、生きているんだ?」
「どうして? そんなの簡単よ。私の方が強いからよ」
 確かに、強い方が生き残る、至極真っ当な意見だ。しかし、腑に落ちない。相手は、あのカマキリとスズメバチだぞ?
「虫より、蛇の方が強いに決まっているじゃない?」
「蛇・・・だと? ・・・コブラか!? お前が!?」
 俺が目を丸くしていると、親子は互いに見つめ合い『ねえー?』と、首を傾けている。この女が、あのコブラとは・・・瞬間的に、俺は口と鼻を手で塞いだ。今更、こんな動作なんの意味もなさないが、反射神経とはそんなものだ。コブラの得物は、毒だと聞いた事があった。毒ガスを散布したり、液状の毒を放出するらしい。それゆえに、コブラ。
「安心なさい。あなた、解毒剤食べたでしょ?」
「・・・解毒剤だと?」
「ええ、この子に飴もらったでしょ? あれがそうよ」
 視線を少女に向けると、彼女は『ニシシ』と白い歯を見せた。そして、母親の首に腕を回し、抱き着いた。
「ねえ、ママ! 聞いて聞いて! あたしね、お姫様抱っこしてもらったの! しかもね、命がけで守ってもらったの! あたしドキドキしちゃった! 本物のお姫様みたいだったのよ! それからねえ、このおじちゃんとても運が強いの。あたし、おじちゃん気に入っちゃった! だからね・・・」
 少女は、母親から離れて、俺の方を見た。
「殺しちゃダメだからね」
「分かったわよ。運が強いのは、一目瞭然ね。生きているのだから」
 親子は、俺を見つめて、目を細めた。俺は、まるで笑えない。

 六

 確かに、俺は生き残っている。運が良かったとしか言いようがない。否定する余地は皆無だ。力なく、肩を落とした。
「あら? 落ち込む事ないわよ。この商売、運が重要だから。運に見放された者から、死んでいく。あなたは、運がいいわ。二択を制したんだもの」
「・・・二択だと?」
「ええ、あなたは、ピンクの飴を食べたのでしょ? ピンクは解毒剤。黄色の方は、猛毒よ。私達は二人でコブラなの」
 開いた口が塞がらない。娘になんてものを与えているのだ。
「この娘は、俺を殺そうとした訳か・・・」
「生かそうとしたのよ。でも、無条件で誰もかれも生かせる程、甘い世界ではないからね。判断は、あなたの運に委ねたのよ」
 運か・・・。確かに、その通りだ。俺は、運が良かった。よくよく考えれば、娘に解毒剤を持たせておくのも合点がいく。いつ・どこで・誰に襲われるのか分からない商売だ。咄嗟に毒を使用して、娘に被害が及ぶ訳にもいくまい。そして、毒を散布すれば、彼女の衣服などにも毒の残り香が付着しているかもしれない。と、すると、先ほど俺の煙草の火を消した液体も毒なのかもしれない。
 ああ、なるほど。俺は小さな少女に、助けられたのか。
「私も一つ聞きたいわ」
 母親・・・コブラが俺を見た。目の前にいるのは、にこやかに微笑んでいる母親なのだが、やはり緊張してしまう。言葉一つ誤れば、それこそ運の尽きだ。
「・・・なんだ?」
「あなたは、どうして、あんな事をするの?」
「あんな事?」
「とどめを刺す前に、『言い残す言葉はないか?』と尋ねるわよね? そして、あなたは了承してから、とどめを刺す。相手の願いを聞き入れず、嘘を付くわよね? どうして、そんな事をするの? ルーティンワークなのかしら? だとしたら、あまりにも悪趣味だわ」
 だからこそ、俺は『嘘つきショートホープ』と呼ばれている。悪趣味と言われても、言い返す言葉がない。俺が問いかけると、十中八九のターゲットが、命乞いをする。命を乞う言葉を聞いてから、言葉では了承し、引き金を引く。
「ルーティンワークなどではない。そんなものを作るほど、この仕事に熱を入れてはいない」
 俺は、少し逡巡し、溜息と共に観念した。
「俺が問いかけると、全てのターゲットが命乞いをする。その姿は、あまりにも醜いんだ。涙を流し、鼻水や涎を垂らし、土下座をしたり、俺の足元に縋りついてきたり・・・美しいものは、壊しにくいが、醜いものは、壊しやすい。ただそれだけだ。俺自身の心の安寧の為だ」
 好き好んで殺人を犯している訳ではない。それならば、少しでもメンタルを保つために、少しでも長くこの仕事を続ける為に、少しでも安定的に収入を得る為にやっている。
 生きている同業者で廃業する者の多くは、身体を破壊されるか、心を病んだ者だ。臆病者の処世術だ。
「まあ、その気持ちは、分からなくはないわ。善人よりも悪人の方がヤリ易いのは、事実ね。こんな仕事をしていても、一応人間なんだし。気持ちの安定を図るのは、大切な事よ」
 母親は立ち上がり、娘と手をつないだ。
「あなたのクライアントは、バン=カルネラでしょ?」
「あ、ああ。そうだが? 消すのか?」
「ええ、勿論。私のターゲットだもの。クライアントは、旦那よ。ほんと、あの夫婦終わってるわね。いくらお金持ちでも、心が貧しかったら、幸せにはなれないわ」
 ああ、なるほど、そう言う事か。この殺し屋は、バン=ローレラインの愛人ではなく、殺しの依頼を受けていたという事か。それで頻繁に接触していたところを、探偵か何かを雇った妻にばれてしまった。その密会を不倫だと勘違いしたカルネラが、殺し屋を雇ったというところか。
 嫉妬もここまでくると、悲劇としか言いようがない。もとより、ローレラインの日ごろの行いが、そうさせたのかもしれないが。
「カルネラは、あんたを愛人だと思ってるみたいだな」
「まあ、そんなところでしょ。実際、月百万で愛人契約の打診をされたけど、断ったわ。あんな爺さんに触れられただけで、鳥肌が立つわ」
 同業者の中で、最高ランクに位置する彼女が、最後にポツリと零した言葉が、印象的であった。
 二人で生きてくには、十分過ぎるほどのお金を稼いでいるわ。これ以上を求めて、身の丈に合わないお金を手に入れても、身を亡ぼすだけよ。

 七

 殺人で最も多いのは、夫婦間だという話を聞いた事がある。
 愛情と殺意は、表裏一体という事なのだろう。独り身の俺には、理解に苦しむ。そう言えば、コブラ親子には、夫はいないのだろうか? まあ、同業者のプライベートに首を突っ込む気は、さらさらないから、尋ねたりはしない。
 今回は、オケラだったけど、命があるだけましだ。しかも、俺のクライアントを始末してくれるなら、報復行動もないだろう。色々と思うところは、無い訳ではないが、拾った幸運はありがたく頂戴する。
 命と経歴の傷を買ったと思えば、安いものだ。
「ねえねえ、ママ? サラね、すんごい頑張ったよ! ご褒美頂戴!」
「あ! そうだったわね! サラは、頑張ったものね。いいわよ。何が欲しいの? なんだって、買ってあげるわよ」
 母親が娘と視線を合わすように、しゃがみ込んだ。ん? なんだ? 気のせいだろうか? 少女が俺の事をチラチラと見ている気がする。
「サラね、えっとね。パパと妹が欲しいの」
「それは、さすがにお金では買えないわね」
 毒使いのコブラが、グリンと首を回し、俺を見た。まるで値踏みをするように、俺の事を眺めている。
「あなた今回の事は、貸しにしといてあげるわ。もろもろ、私達のお陰よね?」
「え? ああ、そうだな。この貸しはいつか必ず返す」
「今すぐに返しなさい」
 呆気にとられて茫然としていると、母親に腕を掴まれ、強引に立ち上がらされた。この華奢な腕のどこに、こんな力があるのだ。全身に痛みが走って、悲鳴を上げそうになった。母親は、片手で俺を引きずっていく。反対側の手には、娘の手が握られている。
「ど、どこに行くんだ?」
「汗と血にまみれた体なんか嫌よ。シャワーを浴びに行くわ」
 混乱する俺をよそに、母親と娘は歌を歌い始めた。
 薄暗い路地裏に、俺の悲鳴が響き渡った。

<完>


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