一芸がないことに焦りを感じているのなら。
「コイツは、筋トレが趣味でして」
新卒で働いていた会社でのこと。上司はそう、お客様先へ僕のことを紹介してくれていました。大してウケないし、それくらいしか紹介のネタが無いのか...と、自分にはキラリと光る「一芸」がないことにコンプレックスを抱えていました。(ちなみに、未だに「趣味は筋トレ」です)
一芸というと、「デザインができる」「文章が上手」「分析が上手」「法律やお金に強い」など特定の分野で磨かれたスキル。どちらかと言えば器用貧乏かなという僕自身、「この人はこれに詳しい」というようなスキルや芸が無いことに、焦燥感を感じてました。
同僚や先輩、後輩、社外のあらゆる人を見ていても、「デザインやプログラムができていいな」「◯◯に詳しくてすごいな」と、その人が持つスキルや、繰り出す能力に関心が向いていたんですね。
そうやって人を見る眼差しは自分へも向けられていて。「デザインができない」「プログラムもかけない」「◯◯にも詳しくない」自分は一体、何ができるんだろう。そう思い悩むことがあり、迷走して、webデザインを独学してサイトをつくってみたり、プログラミングの勉強をしてみたり、記事を書いてみたり、あれこれ挑戦した時期がありました。
価値は、スキルだけが生むのではない
ただしばらくして気づいたのが、仕事の成果は必ずしも「スキル」だけで生まれるわけではない、ということ。そして、その人自身の価値も決して「スキル」だけで決まるものではないということです。
・圧倒的な気遣いで、チーム運営を円滑にしている人の存在。
・異なる個性や強みをかけ合わせて、目標達成へ導くマネジャーの存在。
・ちょっとした一言で、チームの雰囲気を明るくしてくれる人。
・「大丈夫、なんとかなるから」とまわりを安心させ、困難を乗り越える勇気を与えてくれる人。
僕が見ていた分かりやすい「スキル」以外の「気遣い」という姿勢や「掛け合わせる」という能力、その人自身がその場にいるから生み出される安心感や希望。
そういった「振る舞い」、いわば仕事へのスタンスが、困難な目標を達成する要因になったり、チームで成果を生み出す力になるんですね。
その事に気づいてからは、分かりやすいスキル以外も含めて自分自身であり、相手であると、ほんの少し奥行きを持った形で観ることができるようになりました。
自分自身、まだ「コレだ!という武器」を携えられていない心もとなさは若干ありながらも、あらゆる職能を組み合わせることで価値を生み出すこと、姿勢や振る舞い、そんな「見えづらいこと」も含めて自分なんだと受け入れられるようになりました。
相手をどう見るかで、自分の見え方が変わる。
相手が持つスキルを羨ましく思うことは、自分にないものを吸収しようと健全な原動力として活かせるのであればプラスに働くと思うんですね。
ただ、相手のスキルを見るまなざしは自分へも向けられていて、相手のスキルを羨ましく思う分、自分に「足りていないもの」が際立ってきます。
どうしても表面的なスキルの方に目が行きがちなんですが、その裏側にある仕事への姿勢こそ、チームに大きな影響を与えていたりします。
なので、一芸がないことに焦りや不安を感じて身動きが取れなくなったときは、「自分が仕事と向き合う上で大切にしている姿勢は?こだわりは?」と、スキル以外の奥の方にある姿勢や考えに目を向けてみるのはどうでしょうか。
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