変な話『二個の胡桃』

 胡桃を二つ拾った。
 堅い殻に覆われた胡桃だった。
 何故だか物凄い興味を惹かれ、私はその二つを握った。そして何かに駆り立てられる様に私は、ぎゅっと力強く握り締めた。頭で考えるよりも先に行動していた。不可解な事であったが、私は、その行動に一寸の疑問も抱かなかった。

 そして、この二つの胡桃を道具一切使わずに、割ることができたならば、その時に私は、何者かになれる様な気がしていた。

 私は、どこに行くにも常に握り締めていた。
 しかし、どうにもこの堅い殻は、なかなか割ることができない。石でぶっ叩いて割ってやろうという気が起きないでもなかった。ほんの些細な出来心から、車行き交う道路に投げ入れ、ダンプカーに轢かせようとした事もあった。しかし、その時になると、運が良いのか悪いのか、それに見合ったダンプカーが通らなかった。
 私は、すんでの所で無理やり割ってやろうという衝動を回避し胡桃を握り続けたのであった。
 その後も多くの誘惑と闘い続けた。

 それでも私が、頑なに割らないでいられたのは、あやふやで実体の無かった私自身が、何者かになれるような気がしていたからであろう。

 当時の私は、花が美しいということは知っていたが、その花を私自身が美しいと感じているかと聞かれると、私にはわからなかったし、クラシックピアノの音色が、美しく心を豊かにさせる事も知っていたが、私自身の心を豊かにさせているかどうかと聞かれると、私にはわからなかった。
 祖父が亡くなった時、皆は悲しんだ。祖父の死が悲しい事だという事は、私にも理解できていた。しかし、私自身の悲しみについては、わからなかったのだ。

 この世のあらゆる物の美しさや醜さ、悲しさの存在については理解していた。多くの人々が、何に心を打たれているのか、何に悲しんでいるのか。その多くは理解できた。しかし、私自身について問われると、私は途端に答える事が出来なかったのだ。
 私は、実体なき空っぽの人間であった。

 その日は、前触れもなくやって来た。私は、居間テレビを観ながら、いつものように二個の胡桃を握っていた。すると急にパキッとなって手の中の抵抗力を失った。
 開いてみると一つの胡桃の殻は割れており、もう一つにはヒビが入っていた。
 えも言えぬ達成感のようなものが、臍の下の方から生暖かく湧き上がって来たのを覚えている。
 その時、何故か私は「なぁんだ。こんなもんか」と誰に伝えるでもなく小さく呟いたのだが、それは私なりの照れ隠しだった。

 私自身がその時、何者かになれたかどうかはわからなかった。しかし確実に変化はあった。割れなかったものが割れるようになったのだ。
 その当時の私の言葉で言うと「強くなった」のだ。


 割ることができたその日の夜、私は精通を迎えた。

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