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白いごはんが食べられない /揺れる日本のコメ文化

子どもを対象とした食育の仕事にかかわっていたことがあった。一緒に給食を食べるとき、白いごはんが食べられない保育園児と出会った。その子の給食の食べ方は、まずはおかずだけを食べてしまい、最後に白いごはんを嫌がりながらほんのひと口食べて残す、を繰り返していた。

実は、そのような食べ方をする子は、その子だけではなかった。これまでも数人、幼児から小学生にかけて、似たようなケースを知っている。

最初はなぜ、おかずだけを食べてしまい、白いごはんだけが手付かずの状態で残るのか分からなかった。しかし、色々と調べていくうちに、家での食習慣が原因であることに気づいた。

その子たちが、家で白いごはんを食べるときは、お味噌汁をかけたり、ふりかけや生卵をかけて食べたり、ケチッャプライスやおにぎりという形で食べることが日常となっているようだった。要するに、ごはんに味をつけ、単体で完結させて食べていたのだ。だから、おかずと白いごはんを交互に食べるということが苦手、もしくは出来ないのだ。

白いごはんは、それだけで食べるということをしない。白いごはんには強い味があるわけでもない。白いごはんは、おかずと一緒か、または交互に食べて、口の中で味をミックスさせて味わうものだ。これは「口中調味」と呼ばれる日本の食文化のひとつでもあり、日本人の味覚を培ってきたものだとも言える。

口に入ってしまえば栄養としても同じなんだし、どんな食べ方をしたっていいじゃないか、と思われる方もいるかもしれないが、こうした食習慣の問題は大きい。とくに幼少時は一生を決定してしまう場合がある。私の友人も子どもの頃からの習慣を直せないまま大人になり、今だに白いごはんは食べられないままで、常にふりかけを持ち歩いている状態だ。

■ お米を食べない日本人

数年前に、無農薬農法を取り入れているお米の生産者さんとおにぎり屋さんとの交流イベントに参加したときの話だ。あるお米農家の方によると「糖質ダイエットの影響もあり、お米を食べないひとが増えてきていて悲しい」と言っていた。「厳密にいえば、お米は冷えると消化しにくいデンプンのレジスタントスターチになり、血糖値上昇を抑えたり、ダイエット効果もあるんだけどね」とは、おにぎり屋さんのコメントだ。いずれにしても「糖質ダイエット」ブームによりお米が嫌忌されてしまっているのは確かだ。一方で、グルテンフリーの影響で別の意味で米は注目されてはいるようだが「せっかく作った米は米粉にはせずに、そのまま食べて欲しい」と農家の方は話されていた。

子ども時代、田園広がる村で育った私の一年は田んぼの稲とともに四季折々があった。ご飯を残すと「目が潰れる」と叱られ、お米を一粒でも残すことは「お百姓さんに申し訳ない」と言われて育った。大学で民俗学や宗教学を学んだときも、こんなに日本人は稲作文化に影響されているのかと驚いたほどだった。

それが、いま、食の多様化により根幹から揺れている。また、食生活の変化は、稲作文化だけでなく、日本の食糧自給率の低下にもつながっている。

戦前の日本は国内生産が主な米・野菜を使った食事が中心だった。しかし、戦後は、食生活が欧米風に変化し、国内生産が少ない小麦を使ったパン、飼料や原料の多くを輸入に頼る肉類や油脂類の輸入に頼っている。

昔からプラスチックごみは問題視され、環境問題として取り組んできたが、問題が大きくなりすぎた今頃になって企業レベルでの具体的な対策がやっと打ち出されている。食糧自給率の問題もやがてそれに順じていくだろう。自戒も含めて、いまいちどそのことを見直すべきではないか、と思う。

同時に、日本文化を唯一無二の日本らしくしているルーツは、決してクールジャパンではなく、ホットな稲作文化であることも忘れまい。

自然を尊ぶ日本人の気質に基づいた「食」に関する習わしとして、「和食」が、日本人の伝統的な食文化と題しされ、ユネスコ無形文化遺産に登録されたのは、平成25年(2013年)のことだ。