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泡沫(うたかた)の凝(こご)り

 私たちの日々は、川の澱みに浮かぶ泡沫のように、過去を作っては消え、留まることのない時の流れが、人生の筋書きを残していく。

 だがこの泡沫も、社会に漂う懸濁な不条理な「もの」を吸収してしまえば、さまざまな汚れを吸収した消えぬ泡となって存在し続けるであろう。

不条理の感性との出会いは日常生活に起こる。これまで何の疑問を持たず過ごして来た機械的な日常のことが色を失う。

ある日、ふと「何故?」が頭を翳め、そこからどっぷりと倦怠感に漬かっていた自分の意識に目覚める。

 色を失って不条理を認識した上で、その不条理と向き合い、葛藤すること自体に意義を見出し独自の色を創り出す

 日常化された不条理は「凝り」となって澱み、何かの機会を捉えて記憶の中から呼び起こされる。

 些細な矛盾を不条理と語るには、あまりにも飛躍しているかもしれない。突き詰めると、矛盾という素地が不条理に行き着くことは否定できない。

Ⅰ 命を繋ぐ

 1・老い桜

 コロナによる外出自制で、私もラインを利用しての情報交換が多くなった。

 恒例だった花見は、友人から送信される地域の桜名所の映像を、専らの楽しみとした。絢爛なソメイヨシノや幻想的な枝垂桜の宴・山桜の桜源郷etc。送ってくれた映像は、その地を訪れずとも爛漫さを競う桜を堪能できた。

 映像は桜を仰ぎ見た感動とは比類できないが、間接視野の拡がりを感じ取れた。

 撮り手の技術やセンス、コメントなど気づいていなかった感性までも添付してくれる。

 そして何よりも時系列に咲く四季の花たちが、美しき日本を再認識させてくれた。

 ある日、往来の激しい道路沿いに立つ桜の老木に目を止めた。

 道路の両側は、街路樹や花壇といった環境の美化もされず、商店と住宅が盾を並べたように整然した景色を見せる通りであった。

 桜の木はコンクリート歩道の一角を、四角い鉢に収められようであった。

 木の高さは3〜4mほどで、その幹は捻じれたように曲がっていた。

 木肌が削げ落ち骨格を顕わにした痩せた体から、細腕のような枝が数本垂れていた。その先には僅かな桜の花を付けていた。

細い枝に咲く桜は、簪のような房なりはなく、一輪一輪が自らの存在を誇示しているように花びらを広げていた。

 老木は何故、たった一本ここに存在するのか、記念樹なのか、歴史を背負った木なのか、物語りが隠されているのか、老いの風貌は意味ありげに町を俯瞰していた。

 映像で見るあの桜源郷とはあまりのも較差があり、たった一本のこの老木が華やかで人を惑わす桜の真髄の行き着く末期を、見せているようだった。

 老木の姿態は、植木の匠が長年かけて完成させた盆栽芸術のような構図を成していた。自然の生き様が創り上げた作品の集大成といえるかもしれない。

 私が「老桜の魂」と銘を付けたその木は、落陽を光背としたシルエットとなり、人間の斜陽までも暗示していた。

 老木の根元を見ると20cm程の幼木が数本、母にすがる子供のように育っていた。老若の母子の姿に慈しみが投影し、ほんのりした気持になった。

 それから数日経てその路を通ると、桜は散り葉の緑が点在していた。青葉からまだまだ老木の生きるしたたかさを感じた。

 ふと根元に目をやると、あの健気に小さな花を付けていた数本の幼木が、悉く切られていた。

 母桜が命を托した幼木への容赦のない切り跡を見て憤りを感じた。人間の事情はさて置き、引き継ごうとした命の息吹を絶ったことへの慚愧の念が走った。

 切るはずの老木を憐れんで、自然枯れを待っての存在のため、命を繋ごうとしなかったのかとも思ったりもした。

 1ヶ月後、老木に目をやると、切られた根元の脇からまた、小さな芽が出ているではないか!

 考えてみれば、土中の根がある限り、親から子へと引き継がれる命ではあった。

 「この命どうしても後世に引き継いたい!」という老い桜の心意気を感じた。

 それまで植物の命の在り方をあまり考えはしなかった。枯れる花・残る種や根を無感情に見過ごし、季節が来れば「花が綺麗に咲いている」と感嘆するだけのことであった。

 植物も生きるギリギリの環境で適応能力を付け、その逞しい生命力を子孫に受け継がせようとしている。

人間本意の造形する環境の中で、一本の桜からその力に抗う強い生命力を見たような気がした。

 2・害虫と云われる虫たち

 ヒアリとは南米原産のアリの一種で、お尻に毒針を持つ特定外来種にも指定されている害虫である。

 刺されると痒み・痛みなどの症状や、体質によりアレルギーショックで死亡する殺人アリとも呼ばれることもある。

 数年前、日本国内で初めて人的被害が出ニュースで報道された。

 その脅威な嫌われ者のヒアリの生態をある番組で紹介したことがあった。

 それはヒアリの生き延びるための知恵と戦いで、観終えた後心に残るものがあった。

 中南米のアマゾンは雨量が多く、土地は川と変貌してしまう時期がある。泳ぐことの出来ないヒアリは水量が上がれば溺れ死んでしまう。そこでヒアリは数百匹が集まり一つの塊となっていれば水面に浮かばすことが出来る。

ヒアリの体には僅かな毛が生えているために、何百匹の沢山の毛が塊となれば水面に浮くのである。

 その塊のまま流れに任せているうちに雨季が去る。水が引くとまず、守り抜いた女王アリを枝に伝わせ安全な場所に移す。

 塊の下部を守ったアリは溺れ、命を落としたものもいたであろう。

 DNAにプログラムされた行動なのか、ヒアリたちの本能が「知」となって結束力を生み、命を繋ぐ結果となったのかといろいろ想像する。

 ゴキブリを駆除するため仕掛けをした時のことである。ゴキブリホイホイにかかりもがいている姿を見ていた。すると、ゴキブリは死から逃れないと悟ったのか、ガマ口のような形をした卵鞘を産み落として息絶える。「死して尚、子供を生かす」これは子孫を残す本能の表れであろうが、私には親の犠牲愛とも映る。

 害虫と鉢合わせをすると、駆除しなければとは思うが、害虫の存在を否定する人間の不条理を、彼らは嘆いているだろうと思うことがある。

 人間主体の世界において、生命を脅かす害虫を容認するわけではないが、生物たちは子孫を残すという本能のため、命を守ろうと必死に戦っている姿は害虫と言えども。

 直視すべきと思う。

 弱い私たちは「知性」によって作られた道具によって命が保守されている。

 カフカの小説「変身」の主人公のように、ある日、昆虫に変身した自分を想像したことがあるだろうか。

 嫌われ虫になって人間社会を俯瞰すると、人間行動になんと「エゴ」が多いと感じるかもしれない。

 社会や家族の帰属意識の中で安泰している日常生活に、異端視された者の存在は無視や排他される。このことは人間にとっては耐え難いものである。

 この小説の変身虫は、家族から頼りにされていた人間から一変して、虫という過酷な環境の中で生きなければならなくなる。家族は虫に変身したことは分かっている。

だが息子であろうと兄であろうと、虫は虫なのだ。そこが変身虫の理解しがたいことではあるが、そんな仕打ちにも慣れ、虫としての環境に同化して行く。

 自然に生きる生物たちは、過酷な自然環境に加えて、人間という脅威に曝されて生きている。だがそれらにも耐えうるだけの生命力を持ち、生物の長い歴史の中のかなり早い時期に完全体に近い生物として進化してきた。

 人間は文明を発達させることで、食物連鎖の最高のポジションを独占し、他の生物の命を思うがままにしているが、生物の中には高度な生命力を身に付け、ときに人間の住環境に忍び込んで、確実に命の脈絡を保ち続けた生物たちがいる。

害虫と呼ばれる虫たちの中には、人間の生活に入り込んで安楽な生活を覚えてしまったため、人間の視野をうろうろする厄介者とされてしまった。だがこういう虫たちからも学ぶ生き方がある。

人間は野生動物の領域を侵し、命の危機に貶めていることも確かである。

 私たちは地球の主役というポジションをまずは離れて、自然生物の生き延びるための「業」は通用するべきことがある。それは危険予知・機転能力などは本性の目覚めによって表出できるのではないだろうか。

日頃のその意識が苦境に陥ったとき、他力本願なくして発揮出来ると考える。

Ⅱ 不思議な体験

 1・天才降臨

 あれは、東京浅草駅のホームで電車を待っていた時のことである。

 私は先程から不快感に襲われていた。そうするうちに眩暈が起こり崩れるようにベンチに座り込んだ。

 すると映る景色が色を失い始め、思考力も薄れ意識も混沌として来た。

 セピア色の街は電車の到着と同時に、粒子で構成されたテレビ画面のように変わった。まるでスーラの点描画を見ているようであった。

それもつかの間、今度は立体であるはずの景色が分解され平面化し、様々な方角から視た複数のピースとなり、そのピースは複雑に形を成していった。意識に映し出されたのは、キュピズム画風のあのピカソの「ゲルニカ」のようであった。

 不思議な感覚が頭の中で渦を巻いているうちに、私は気を失ってしまった。

 「お客さん、大丈夫ですか!救急車を呼びますか?」誰か呼びかける声に意識を取り戻した。駅員が肩を叩いていたのである。私は着ていた服が嘔吐と失禁で汚れていることに気づき、何が私に起きたかを察知した。その瞬間、汚物まみれの自分の姿が恥かしく、取り巻く人々に「大丈夫ですから!」と、逃げるようにその場を去りトイレに駆け込んだ。

 着替えを済ませ鏡を見ると、そこには生死の境界を彷徨って戻って来た、生気の失せた青い顔が映っていた.

 ようやく気分も回復し、化粧を直してホームを出た。

 それからはあの不思議な感覚を思い返していた。抽象画より具象画のほうが好きな私が何故、物質をミクロまで分解し、感覚の命ずるまで抽象化する感性に支配されたか。これはピカソに相並ぶ感性が出現したと思えた。

 そんなことを思いめぐらしているうちに上半身に異常な痒みが拡がり、瞬く間に発疹が現れた。

 急いで下り電車に乗り、地元の皮膚科クリニックへ直行した。診断は「アレルギーによるじんましん」とのことであった。蓄積した疲労の身体が、食べたものに異常な反応を起こし発症したようだ。

 身体の異常な反応による脳内の錯乱と片付けてしまうには、惜しい経験であった。。

 残念なことに一瞬の感覚で消えてしまったため、「天才ピカソの再来」と思われる感覚を作品化して披露するまでは行かなかった。今は記憶の残骸を語るしかないため、信憑性には欠けてしまうだろう。

 見るものが具象絵画のように、そのまま脳から視覚に返されるのが当然のことなのだが、その時は脳に取り込んだ具象映像が分析され、心象に変換され複数の角度からの事物の表現が視覚されたと私は考える。 

 あれはまさしく「天才の降臨」を感じた瞬間であった

 エジソンの名言に「天才と言われる人は99%の努力と1%の閃きがある」とある。

 私たちにも「1%の閃きまたは1%の異常な感覚」が降臨するときがある。

 その時、それをどう捉えるかの意識の有無の違いが、その後の方向づけとなる場合もある。

 そんな不可思議な経験が、自分を特別な才能が潜んでいるのではと買い被った瞬間であった。

 2・母の心を覗く

  母は何度も骨折を繰り返し、入院するたびに認知症を進行して行った。

 車椅子生活を余儀なくされた母は、在宅が困難となり、特別養護老人ホームが「終の棲家」となってしまった。

 私の訪問を満面の笑みで迎えるが、数分後には「家に帰りたい」と訴え、顔を曇らせていた。「息子と夫の待つ仏壇の部屋で一生を全うしたい」という母の願いを封じて来ていた。

その度「ほら愁眉を開いて!みんなから「福顔だね」と言われてきた顔が顰め面に変わってしまうよ」と諫めると、無理に笑顔を作る母の心情がいじらしかった。

 母はますます言葉が少なくなり傾眠していることが多くなった。だが呼びかけると瞑想から解放された僧のように、薄っすらと目を開けた。

俗世のいう認知症症状は静かな母の姿から払拭されているようだった。

 臥床している母の身体には、経鼻経管栄養、点滴、導尿カテテールの管が挿入されそれぞれの内臓に送りこまれていた。

 そんな姿の母の心は、「全身を動かす事もできず、話すことも、貴方たちを見たいと思っても、直ぐ目を閉じてしまう。「ハーイ食事ですよ!」の声かけは、生きる原点の食事までが、ガソリンを補給するように、栄養液を体内へ注入されているのに納得できない言葉。これが生きていると言えるの?。」と叫び声を上げていると思い込んでいた。

 ある早朝のこと、私は母になっていた。

私はいつものように、布団から起きようとしたのだが身体が動かない。手足までがままならない。叫んでも声にならない。

 目の前も白日の世界であった。ただ耳だけが様々な音や声を伝えた。

鋭敏な意識だけがグルグル頭を巡っていた。

 「これは母の感覚ではないか?私は母の心と体になったのだ」という実感があった。母になった私は母の意識であるはずだ。意識を探ろうとしているうちに、何とも云えぬ不思議さと、心地よさに包まれた。

 この白日の世界は、聴覚だけを俯瞰した意識であり、聴こえる声は子供たち家族、よき人達の会話なのである。

嘆いていた不自由な身体は浮遊し、意識が必要に応じて動いてくれる。

 そんな夢心地の中で私の意識が「この意識が母のいる世界なのではないだろうか。ならば嘆き悲しむことではない。

 母の意識は思い出を過去から呼び戻し、その記憶のエピソードを膨らませながら楽しんでいる自分の世界でいるのかもしれない・・・と思えた。。

 意思が表現できない母を憐れんだが、それは言葉だけのことであり、心は通い合うことができることが実感した。

 この不思議な感覚を体験してからは、母の傍らで見るもの聞くものを語り尽くした。

すると、目を閉じた母の顔から「うふ!」と微かな笑みを見せることがあった。

 誰にでも、不思議な感覚や、異常な体験をしたことがあると思う。それが単なる錯覚や妄想であっても、それを自分がどう捉え、生き様にフィードバックするかであろう。 

 ユングは「無意識の中にあるものはすべて、外界へ向かって現れることを欲しており、人格もまた、その無意識的状況から発達し、自らを全体として体験することを望んでいる。」と言っている。

 不思議な体験をしたならば、深層に潜む無意識が外に出たがっている現れと、真っ向勝負をするのも必要なのではないか。

あとがき

 常識とされていることが不条理を含んでいることが現状である。

 不条理を感じながら「声なき呟き」と化してしまうことが常識化されてしまう。

 流れの水面に浮かぶ泡も出来ては消えはしているが、いずれ水の中の汚れを含み消えぬ泡となって留まる。

 一喜一憂のたわいもない出来事の話から本質を深く見極め、何を意志として行動すべきか自らを問うてみたい。

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