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「最悪の虐待」で二次障害を起こさないために考えるべきこと:発達障害再び

先週この記事を書いたのは、日経ビジネスオンラインのシリーズ「もっと教えて!「発達障害のリアル」」で高橋医師の記事を読んだからでした。

その時も感銘したんですが、今週の記事も良かったのでご紹介したくなりました。

今回も、膝を打つ発言の連続です。

勝間さんだって環境を整える

例えば、発達障害を治そうとするのではなく環境を整える。

なぜこのように、本人ではなく環境を変える必要があるのかというと、本人を変えることが難しいからです。遺伝の支配を受ける素質というものは誰にでもあって、自分ではどうにもならない側面がある。ですから自分を変えようと無理するより、自分にとって自然で心地いい日常を過ごして、自分を生かせるような道を選ぶほうがいい。これは発達障害に限ったことではありません。人の根本的な生き方や性格、素質というのは、多くの場合、思い通りには変わらないし、おそらく変えようとしないほうがいいと思うんです。念のために申し添えれば、これは「諦める」とは大きく異なる考え方です。

これは、自分が発達障害だと気付かずに社会で成功した人に、実はよくみられることではないかと思います。

例えば、経済評論家の勝間和代さんは自分が発達障害であることを公表していますが、東大在学中に公認会計士に合格した才女のどこに発達障害があるかといえば、勉強はできるけど忘れ物が多い。

「自分の特性を知ることは大事ですね。たとえば私は軽度の発達障害の特性として注意欠陥の傾向があるんです。そのため、しょっちゅうモノにぶつかったり、転んだり、モノをなくしたりするんですね。それが自分の大前提だとわかっているため、スマホは片方なくしても大丈夫なように常に2台持ち歩いています。買い物もなるべくネットで。ログが残るので、ダブって買ってしまうこともずいぶんなくなりました」

だから、彼女は自分の周りを最適化することで自分の作業効率を上げるとともに、自己肯定感を下げずに自分の特性だと割り切るようにしています。

忘れ物をしないように注意するよりも、それを前提に環境を整えることで結果として、ロスを防ぐ。

まさに高橋医師の指摘する活動を実践されていると思います。

発達障害には遺伝的要因があることを認める

さらに、遺伝的要因があるのだから、親子で考えるべき問題でもある。

 ADHDもASDも、遺伝的素因は50~60%といわれています。ただ、これは発達障害だけの話というわけではなく、身長だって、アレルギー体質だってそうです。遺伝的素因が強い病気はほかにもあって、糖尿病とかがんとか、あと痛風もそうです。みなさん、「うちはがん家系だから気を付けなきゃ」と平気で言いますよね?

あらゆる身体的特徴、病因の発症確率など、全てに遺伝的要員は関わっているのは当然ですが、それは、短絡的に遺伝すると考えるべきものでもない。

発達障害でも、おそらく多くの遺伝子の組み合わせによって素因が左右され、そこに環境要因も影響しながら特性が決まっていきます。ですから、両親にはそんな傾向は全然ないけれど、子どもはADHD、ASDという場合もあるわけです。ただ、何万人という患者さんのデータを統計学的に処理してみると、遺伝的素因の強さは50%を超えてくる、ということです。

でも、なぜ遺伝的要因があると言いにくいのか、脳のことだからでしょう。

勝間さんも指摘しています。

「人間、お腹の具合が悪いとイライラしがちですからね。──というふうに、腸の治療や投薬をしていることは大きな声で言えるのに、発達障害の薬を飲んでいるということを言えないという風潮は変だと思うんですよ」

同じ病気の一種なのだという視点で見られないだろうかという問いかけです。

だからこそライフスタイルを適応させる、ストレスを減らす暮らしをすることが大事だと勝間さんは言います。

お母さんだけで悩まない

勝間さんのお子さんがどうかは知られていませんが、多くの場合、子供の発達障害に気がついた親御さんが、実は自分も同じようなことで子供の頃に困っていたことに気がつくそうです。

だって親子ですものね。

「お父さんには、お子さんの気持ちが分かるのではありませんか?」と聞いたら、「よく分かります」って。お子さんが今苦しんでいることは、お父さんもこれまでに経験して乗り越えてきた、あるいは今も体験していることだったんですね。ですから、「お父さんは君のこと、よく分かってくれるんじゃないの?」と、お子さんに聞いたら、「うん」と言っていました。お母さんは心配はしてくれても、本当の意味では分かってはくれていなかったのだと言えます。

特に男の子の場合はお父さんは同じだったかもしれない。おばあちゃんに聞いてみると、「ああ、あの子もそんなだったよ」というかもしれません。

だからお母さんは一人で悩まずに、おばあちゃんや周りの人に相談した方がいいんだと思います。

お母さんが一人で抱え込みすぎるのは良くないと高橋医師も指摘します。

母性がすごいのは、一言で言えば「最終責任を負う」という意気込みです。いいことは「よかったね!」と子どもを褒める。でも悪いことは「自分のせいだ」と……。
でも、まずその肩の荷を下ろさないといけない。なぜなら、発達障害と分かったなら、これからは、より客観的にお子さんの「できること」と「できないこと」を見極めていかなければならないからです。

概して、そうした見極めはお父さんの方が得意なので、両親で意見を交えて、対応していくことが大事だそうです。そこで重要なのは、決して同じでなければいけないと思わないこと。

高橋氏:両親の言うことがぴったり一致していたら、子どもは逃げ場を失ってしまいます。両親の意見の隙間が、子どもの逃げ場をつくることにもなる。だから両親の意見が違うのは決して悪いことではないんですよ。

最悪の虐待は「夫婦喧嘩」である

夫婦の意見は違っていいけれども、それで揉めてはいけないそうです。

高橋氏:これ、意外とみなさん知らないんですよ。最も重大な虐待は、子どもの面前で両親が激しい言い争いをしたり、父親が母親を殴ったりすること、あるいはその逆ですね。子どもは両親の不仲を目にするよりは、自分が殴られたほうがいいとさえ思っているかもしれません。ですから子育ての意見が違ったときにも、子どもの面前での口論は避けてくださいね。

確かにDVはいけません。でも、何よりも子供にとって辛いのは、自分のことで愛する両親が仲違いすることなのです。ただ揉めているのも嫌なのに、その原因が自分だと気がついた時は、子供の心は千々に乱れます。自分が生まれなかったら良かったのにとさえ思ってしまう。

私も覚えがあります。

夜中に目が覚めて、両親が口論をしているのが聞こえました。でも内容はどうも私のことらしい。大人になって母から聞いたのは、お前の育て方以外でお父さんと口論したことはないという話でした。つまり、夫婦の口論の原因は全て私だったということです。

ありがたいことですが、その頃は辛かったですね。申し訳ないというか。前の記事でも書きましたがかなり問題のある子供だったので、親は大変だったと思います。

80歳を過ぎても元気に夫婦で暮らしている両親には感謝しかありません。

親が二次障害の原因にならないように

いろいろ考えても、親は自分のことを踏まえた上で、子供の状況を見てあげてもいいんじゃないでしょうか。だって親子なんですから。

 あまり心配が過ぎると、かえって子どもの成長を阻害することがあります。お受験の教室にお子さんを通わせているお母さんが、授業に集中していないと注意された、という理由で来院されたりするんです。「この子はADHDではないですか」「よく効く薬があるそうですね」と。確かに癇癪(かんしゃく)が強めのお子さんでしたが、話を聞くと、連日、塾や習い事のスケジュールで埋まっているんです。それではお子さんも参ってしまうでしょう。

自分もお受験したから、子供にも、という人もいるでしょう。自分が大変だったから、子供には少しでも良い環境をという人もいるでしょう。でも、あなたが今そういうふうに育ったように、子供もそれなりに育っていくのです。それが幸せかどうかは、親の問題ではなく、子供の問題です。

もちろん、阻害してはいけませんが、過干渉は阻害と裏表です。

高橋氏:教育への過度な期待と焦りに、親は気を付けなければなりません。よけいな介入などしなくても、そのまますくすく育つ子のほうが圧倒的に多いのですから。早期教育をするのはいいのですが、「いい学校に入れて、いい人生を歩ませる」といったふうに親が先回りして責任を果たそうとするのは、一人の人間である子どもに対して失礼だと僕は思います。

私もそう思います。

自分で遠回りすることも人生には必要な時もあります。

手を差し伸べ過ぎて自分も子供も苦しいのは、やはりお互いにとって不幸だと思います。

子供には子供の人生があると割り切ることも必要ではないでしょうか。

などと、子供を持たない私がいうのも失礼な話ですね。

本を読んで勉強します。


サポートの意味や意図がまだわかってない感じがありますが、サポートしていただくと、きっと、また次を頑張るだろうと思います。