面白い? 伝わる? それが知りたくて
これ私には面白かったのだけど、世間にはどれくらい伝わるのかが知りたい。
何かが面白いと思うには、その背景が共有されてないといけない。
落語でも歌舞伎でも、時代背景とか下敷きになっている事件とか物語を知っているか、そうでないかで、受けとり方が全然違う。知らなくても楽しめるだけのエンターテインメントにはもちろん仕上がっているのだけど、知っていて観ると、台詞の一つ、演出の一つに気持ちが入って、なるほどそうきたか、などと膝を打ったりするものだ。
江戸時代に現代にも連なる庶民文化が生まれたのは、識字率の高さもあって、この共通になる話題のレベルが高かったことが土台にあると思われる。同時代の事件を瓦版で知っているだけではなく、歴史的な背景や過去の名作を貸本で読んでいる人が多かったから、歌舞伎などは本歌取りが出来るし、同時代のことを過去の時代にした置き換えをしても受ける。多くの人が知っている情報があるから、流行を生むことができる。
共通理解なしにはマスに広がらない。
昭和はテレビを中心に共通理解となる事物があった。平成にネットが生まれて怪しくなり、令和では共通理解という概念すら怪しい。
だから、マスに流行るということが難しい時代になっている。
それが文化の発展という意味では、ある分野のオタクを多分野で産むしかない状況にあるのではないか。アニメとか鉄道とか写真とかはそうなっているけど、芸能はどうなんだろう。
現代日本のそうした知の分断というのが、日本文化も相対化されてある種のオタクの中にしか発展が見出せない状況を生んでいるのだろう。
漫才が辛うじて日本文化となっているのは、その共通の話題を生活の中から拾い出して、共感からのズレとしてのボケと、共感と共通理解をベースとしたツッコミが成り立たせている笑いだからなのではないかと考えている。
そういう意味で、冒頭の記事を「うける=笑う」には、共通認識を背景としたボケになっているのか、ツッコミになっているのか、という判断ができるかどうかが重要になる。
だから、どれくらいの人が、どんな人が、クスッとするのか、あるあると思うのか、どういうこと?と思うのか、そんなふうに感じたのだ。
記事を書いた人は全くそんなことは気にしなくて良いのだけど、私はこういうことが気になるたちなので。面倒くさいなあ、と自分でも思う。