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漫才論| ¹³⁰これは「ルッキズム」の問題ではない

M-1グランプリでのもものネタを,「ルッキズムの点で問題がある」と指摘する人もいれば,その指摘を批判する人もいたりして議論になっていますが,「ルッキズムにあたるのか」という議論はあまり意味がないと思います。こういう方向で議論し出すと,「ハラスメント」のような混沌とした状態に陥るような気がします

「ハラスメント」の種類は増え続けています。それによって,「『いや』と言えなかった人が声を上げやすくなる」という意味では一定の効果はあるとは思いますが,「ハラスメントハラスメント」という新たなハラスメントが生まれていることからも分かるように,「ハラスメント」の種類を増やし続けて規制しても,問題は解決しません

重要なのは,「何がハラスメントにあたるのか」の一覧表を作ることではなく,「相手が何を嫌がっているのかを知り,それを受け止め,人が嫌がることはしない」ことだと思います。これと同じように,「ルッキズムにあたるからやめるべき」とか,「ルッキズムにあたらないからとやかく言うべきではない」というのは,本質的な話ではありません

「傷つけた側」の責任

「ルッキズムにあたるのかどうか」ということよりも,それによって「傷つく人がいるのかどうか」ということのほうがはるかに重要です。「人が何に傷つくのかを知り,それを受け止め,人を傷つけるようなことはしない」というのは,「芸人」以前に「人」としてのあるべき姿です

これは,「『傷ついた』と感じる人が一人でもいれば,そういうネタはすべて排除すべき」ということではなく,その人が「何に傷ついたのか,なぜ傷ついたのか」を,まずは真剣に考えてみるということです

「傷ついた側」の責任

同時にこれは,「『傷ついた』と言いさえすればその人の意見が通る」という意味でもありません。傷ついた側もまた,自分が「何に傷ついたのか,なぜ傷ついたのか」を真剣に考えてみる必要があります。自分が「傷ついた」と言うことによって誰かを傷つけることもあるからです。自分が「傷ついた」と感じたのは妥当なことなのか,それとも,"自分も"考え方を変える必要があるのかを考えてみます

できるだけ多くの人を笑わせる

定義を設け,それに「あてはまるかあてはまらないか」を議論して,どちらが"正しい"かを決めようとしても,みんなが納得する答えは出せません。なぜなら,「感じ方」は人それぞれで,「どちらが"正しい"」というものでもない場合が少なくないからです

むしろ,お互いの「感じ方」をできるかぎり理解しようと努め,尊重し,譲れるところは譲り,自分も変化していく。こちらのほうが断然,「みんなが納得する答え」が出しやすいと思いますし,自分も成長します

芸人が目指しているのは,「できるだけ多くの人を笑わせる」ことです。本気でこれを目指しているのであれば,人がどう感じるのかを「知りたい」と思いますし,「尊重したい」と思うはずです。そのうえで,できるだけ多くの人に心から笑ってもらえる「芸」を提供するのが,「真の芸人」だと思います

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