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障がいを越えたあと

最近の技術ってすごいなーと思う。

「Ontena」ろう者の方が音を感じることが出来るデバイス http://ontenna.jp/
「VR認知症プロジェクト」VRを使って認知症の方の現実を体験する
https://peraichi.com/landing_pages/view/vrninchisho
「OTOTAKE PROJECT」乙武さんが義足を使ってまちなかを歩く
https://www.sonycsl.co.jp/tokyo/ken/6644/

この記事で印象的だったのは『笑顔』

デバイスの力を借り、障がいに立ち向かい少しづつ乗り越えた時の笑顔、デバイスによって障がいが障がいで無くなったときの笑顔。どの笑顔も素敵だった。そして、その笑顔のためにエンジニアは障害をテクノロジーで乗り越えようと日々努力していると感じた。エンジニアとは人の笑顔を作るためにテクノロジーを駆使する人たちだと思う。

これまでも、人間はさまざまな障害を乗り越えている。やりたかった事が出来ない悲しさを乗り越えるために医療があり、会いたい人に会えなかった悲しさを乗り越えるために移動技術が発達し、飢えを無くすために食糧生産が発達する。土木だってそうだと思う、地形を乗り越えるためにトンネルや橋を作り、水から人を守るために堤防やダムを作り、清潔で安全な水を手に入れるために上下水道が存在する。

船で渡っていた川を橋で渡れた時、人々はどんな笑顔を見せたのだろう
つらい峠を越えていた山をトンネルで通れた時、人々はどんな笑顔を見せたのだろう
少しの雨で氾濫していた川に堤防が出来た時、人々はどんな笑顔を見せたのだろう
衛生環境の悪いまちに上下水道が通った時、人々はどんな笑顔を見せたのだろう

土木技術者は人々の笑顔を見るために日々技術を磨き、いくつもの失敗を重ねながら実用化していったのだと思う。

では、障がいを乗り越えたあと、そのテクノロジーは価値を失うのだろうか?一般化された形式知は徐々に暗黙知に戻りそしてコモディティ化していく。コモディティ化した技術は市場価値を失い、レッドオーシャンの中で埋もれていき、価値を無くしたとき市場から消えていく。しかし、社会基盤に関して言うと社会価値があるので、継続的に残さなければいけない技術になっていく。そうなると、如何に安くするか?日々レッドオーシャンの中で戦い続けなければいけない。土木技術の現状とはそんな状況にあるのではないかと思う。

障がいを乗り越えたその先に

土木技術はこれからどのようにあるべきなのだろうか?どうすれば人々を笑顔にさせることが出来るのだろうか?僕はメガネにヒントがあると思う。

JINSが「メガネ業界の非常識」と言われながらも成功した理由
http://bunshun.jp/articles/-/6997
平成 29 年度 メガネ企業の競争~業界の変革と成長~
https://www.kochi-tech.ac.jp/library/ron/pdf/2017/03/14/a1180447.pdf

もともと視力の低下という障がいに対するテクノロジーだったメガネが、今ではアイウエアとしてライフスタイルまで提案している。誰も視力の低下を障がいとは思っておらず、目が悪くなったらメガネやコンタクトを迷わず選ぶ。すこし前までのメガネ業界なら競争原理が働かず、価格の高い老舗メーカーが市場を押さえていた。でも、次第にコモディティ化した中で価格のイノベーションが起こり、「JINS」など低価格のメガネが市場を押さえ老舗メーカーは売り上げを落としていった。そして、次のフェーズとしてJINSなどは「ブルーライト」といったライフスタイルに応じたメガネを提案していき、将来的にはメガネをベースとした場の創設まで考えている。
障がいを乗り越える道具だったメガネがライフスタイルに応じて変化し、ライフスタイルを提案するまでに発展している。それはメガネという道具が新しい価値を生み出している証拠になりえると思う。

では、土木はどうなんだろうか?

川を越える橋は新しい価値を提案しているか?峠を横断するトンネルは新しい価値を提案しているか?水害を防ぐ堤防は新しい価値を提案しているか?(三陸の堤防は今までの価値すら壊しているようにも思えるが・・・)遅いかもしれないが、土木は新しい価値を提案する時期なんだと僕は思う。

和歌山県の串本町にある赤いアーチ橋(正確に言うとランガー橋)の古座大橋は太平洋を航行した船が和歌山に着いた目印になっていると聞いたことがある。このことから橋はランドマークとして新しい価値を生んでいると僕は思う。そして、新しい価値を提供できるのは大きな橋だけではないと思う。

この前、姫路のとある橋の上で「ワイン会」をした、友達4人で仕掛けたイベントで20人近くが集まってくれた。そこは都市公園にかかる小さな橋で普段は見過ごされそうな橋だ。その小さな橋の上で渡る以外の価値を生み、みんなが笑顔になってくれた。これこそが土木が生み出す新しい価値の一つであり、多様なライフスタイルの提案になると思う。日常の中に溶け込んだ土木を別の視点から新しい価値を生み出す。それこそが障害を越えたあとの技術なのかもしれない。王道の土木技術者から見ると色物的に見えるかもしれない。でも、そこに使った人の笑顔があるなら、それは立派な技術だと僕は思いたい。

「つかう」ために「つくる」を考える

土木技術者、Civil Engineer=市民のための技術者としての矜持を持って、まちを使いながら作っていきたいと思う。

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