民芸品

利用文脈を取り出す

『用の美』

僕はこの言葉が好きです。
民芸運動を起こした柳宗悦(やなぎむねよし)が提唱した言葉です。
名も無き職人たちが日常の什器として作った茶碗やお箸などに得も言われぬ美しさがある。

人間が自分の意志で作ろうとするのではなく、自然の利用文脈を読み解き形を取り出していく。
そこに美しさがある。

昨日ここに書いたカラーコーンもその一つだと僕は思う。

まちの景色にとけこもうとしたとき、どうやってまちの文脈を読み解くか?
地蔵コーンの作者である長谷川維雄さんは記事でこう書かれてました。

日本では仏教が伝来したとき、地蔵は土着の道祖神信仰と習合して『道の守護者』という捉え方をされました。道ばたや、村の境界に置かれてきたのも、カラーコーンの役割に似ているなと思いました。また、地蔵は『仏』の代わりではなく、修行段階の『菩薩』のことです。苦しむ衆生(=生命のあるすべてのもの)を放っておいて自分だけ解脱すまいと、“あえて生滅をくりかえす輪廻の中に留まっている”のだと信じられています。そのため、素材は石や金属ではなく、風化するプラスチックがふさわしいと思いました。
(oricon news)
https://www.oricon.co.jp/special/52270/

お地蔵さんという昔ながらのモノとカラーコーンという現代のモノ
どちらも道端にひっそりとあるものだけれど、そこに共通点を見出そうとする人はなかなかいない。でも、その利用文脈を読み解きカラーコーンという素材から形を取り出したときに地蔵コーンという『用の美』が生み出されたのではないかと思う。

思わず笑っちゃうものかもしれないけれど、そこにはしっかりと利用文脈を読み取り、そこから『用の美』を取り出しているのではないかと思う。

全部で751文字でした。(タイトル除く)

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