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【モノなし生活63〜73日目】 土偶が生活に必要不可欠な理由


所持品0でスタートして100日間1つずつアイテムを取り出す生活をやっています。必要なものがほぼ揃ってきて、新しい境地を迎えています。


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【63日目】醤油

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少ない調味料でなんとかしようという時期を経て、そろそろバリエーションを増やしていきたいと思いはじめる。塩と油しかないところから、発酵食品のうまみを取り入れようとお醤油を追加。意外な順番だった。この生活を始める前に予想していた必要な調味料の順番は、塩→砂糖→サラダ油→醤油→鶏がらスープの素……のような感じ。山!川!みたいな、塩とくれば!砂糖!みたいな、実感を通過していない発想だ。鶏がらスープの素とかコンソメはヘビーユーザーだったけど、2ヶ月塩味だけで素材と向き合ったらもはや不要になった。久々に会った醤油パイセンはやはり一朝一夕では出ない深みというか雰囲気を醸しだしてくれるなぁ、と思った。


【64日目】砂糖

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醤油に砂糖を入れてあまじょっぱいタレを作るのが好き。ぶりとか、豚肉とか。ピーマンと牛肉炒めもいい。あとつくねとか。お肉を焼いたあとのフライパンに醤油と砂糖を入れてとろみが出るまで火にかける〜ってのをやりがち。でも逆に言うとそれ以外でまだ砂糖使うシチュエーション思い浮かばないな、となった。貴重な1/100なのに。やっぱりまだあれなのか、調味料といえば〜?砂糖!っていう意識で砂糖を召喚してしまったのか。うーん、まずいぞ。今週はどんどん調味料を追加するぞ、と思っていたけど、こんなノリじゃ上滑りする。本質が見えていない。あのあまじょっぱい味が食べたい、と心から思ったけど、私の人生に醤油が、砂糖が、なにをもたらすのか。わかっているのかい?


【65日目】料理本

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白崎裕子『白崎裕子の必要最低限レシピ−料理は身軽に』(KADOKAWA)

このまま闇雲に調味料を追加していくことに不安を感じたので、この生活2冊目の料理本を投入。モノも大事だけど、情報も大事。モノを大切にするためにも情報が欲しいと思った。この本は「まずお湯に塩を溶かして飲み、味覚を取り戻しましょう」みたいなところから始まるストイックさ。そんなふうに0からスタートするところや、基本の調味料の役割について丁寧に書かれているところが今の私にぴったりだ。

たくさんある調味料、何から選ぶ? 味付けの軸は塩、そのまわりに味を広げていくのが調味料。私にとって調味料は、「塩を引き立てる係」という存在です。それぞれの調味料を、酸味係、うま味係、甘味係……といった風に考えておくと、優先順位がシンプルになります。(P.62)

ちなみにこの本に砂糖は登場しなかった。調味料に限らず、最近は手に入れたものの本質を掴みたいという意識がものすごくはたらいている。


【66日目】ワイングラス

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土曜日だしテンションのあがるアイテムを追加しようと、今年の誕生日に妹からもらったイッタラのワイングラスを取り出す。こういう形のグラスを探してたのでとても嬉しかった。ちょっと四角っぽいやつ。5年くらい前に旅先のホテルでこういうグラスに出会って以来、憧れていた。白ワイン用だけど水やビールを飲むことの方が多い。ビールをワイングラスで飲むとゴージャスな気持ちになれる。ワイングラスって飲むたびに「おめでとう!」って言われている気がする。祝福アイテム。日常を祝福していきたい。


【67日目】ごま油

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また油だ。サラダ油、オリーブ油、ごま油。油ばかり増えている。ラー油もほしいし。私がほしい調味料ってほぼ油なんだな。ごま油は調味料の役割もそうだけど味的にスタメンなのだった。家族で火鍋するときなんかはいちどで一瓶使い切る。

かなり昔、TVのレポーターの仕事でごま油工場に行ったことがある。なぜだか茶色い革靴を履いて行ってしまい、油染みで水玉模様になった。ディレクターさんも案内してくれた工場の担当の方も、なぜ……革靴を……なんかごめん……でもなぜ……という顔をしていたが、私としてはごま油好きだからいっか、いい匂いがしてお得、と感じた。そのくらいごま油が好きだ。


【68日目】ボードゲーム

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『ナンジャモンジャ』というロシア発祥のカードゲーム。モンスターたちに名前をつけて覚えて、早く名前を呼んだ人の勝ち、みたいなゲーム。ボードゲーム初心者の人に最初に紹介する準備体操みたいな位置付けだったり、子どもと大人が一緒に盛り上がれるゲームの定番だったりする。2歳半のピンクピン太郎とも四川人の義父母とも大盛り上がり。いちど義理の母が笑いすぎて泣きながら息が止まりそうになってみんなで心配したことがある。

モンスターの見た目から、大人はよく「つぶつぶちゃん」とか「まるまるくん」といった名前をつけがちなんだけど、ピンクピン太郎の場合は「ドゥンヴォヴァア」とか「バァチバァルァッバァルッウ」とか、型にはまらない、体の内側から湧き上がる擬音そのままの名前をつけてくるので覚えづらく、かなり難易度が上がる。それもいい。


【69日目】掃除用クリーナー

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キッチン周りの油っぽい汚れも落としやすいクリーナー。

掃除について、実は少しズルをしている。家じゅうなんでもかんでも、おしりふきで拭いている。いつでも手に届くウェットティッシュなのでつい……。ピンクピン太郎が成長したらやがて家からおしりふきは消えるし、なによりエコじゃないのでこの習慣は改めなければと思う。道具ひとつひとつを意識して、愛着を持つようになって、なるべく長いつきあいにしたいなと思うようになった。例えばテフロン加工のフライパンは1、2年で剥げて使えなくなるからステンレスや鉄がいいなとか。そのほうが環境にもいいなら気分もいいので、さらに愛が増幅する。そういう心地よさの中でおしりふきを湯水のように使っている自分に違和感がうまれた。いろんなバランスを見て、消耗品だと割り切って付き合っていくものもあっていいけど、いまのおしりふきの使い方はあんまり良くないとわかるので見直す。ズルだし。


【70日目】本

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小島信夫『アメリカン・スクール』(新潮文庫)

保坂和志『試行錯誤に漂う』(みすず書房)を読んだあと芋づる式に選びたくなった本。保坂氏いわく小島作品とは、

小説という形などないものとして書いた小説家など、カフカと小島信夫くらいしかいないからだ。(保坂和志『試行錯誤に漂う』(みすず書房)p.30)
小説とはいくつかの要素が原因となったり前ぶれとなったり伏線となったりして、時間の中である破局や大団円に向かって展開していくはずのものではなかったか。しかし小島作品では前ぶれなく襲いかかる。それは主人公に襲いかかるだけでなく、読者の読むという行為に向かっても襲いかかる。(小島信夫『アメリカン・スクール』(新潮文庫) 解説/保坂和志 p.384)
意味にばかり囚われていた日本文学の中にあって意味が形成される以前の事態を書き続けた初期作品群(…)(同前 p.390)

とのこと。たしかにまだ読み始めたばかりだけど、すでに「もってかれる」感じがある。なぜ「もってかれる」のか、それは言葉で説明できるようなものではないし、説明せずにいたい、言葉ではない形の体験、思い出として記憶したい。

わけのわかる文章を書かねば、という強迫観念がずっとあった。でもわけがわかることと伝わることは違う。わけがわからないけど伝わる、でもいい。それで最近、やりやすくなった。


【71日目】遮光器土偶

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ドーーーーーーーーーン!

生活に、道具に、意味は必要だろうか? 必ずしもそうではない。機能的なアイテムの良さは身にしみている。でも土偶と暮らしたい私もいる。

本当は、わかりやすい理由があるとすれば、「好きなもの」に関するエッセイに添える写真を土偶と撮りたかった。でもこの執筆依頼が来る前から、100日間のどこかで土偶が登場するかもしれないなという予感はあった。100日目かな?とも思っていた。

6年ほど前から縄文時代にハマっている。この遮光器土偶は3年前に購入したもので、重さは3キロ、もちろんレプリカ。縄文人がなぜ土偶を作り、どのように使っていたか、本当のところは誰にもわからない。儀式の道具じゃないかとか、なにかしらの祈りをこめたのではないかと言われている。乳房など女性的な特徴を持つものが多いことから、安産や子孫繁栄を願った女神像なのでは、という見方もある。土偶=女神像という印象を持つ人も多いが、女神と一括りにしてしまうにはあまりにも多様な土偶が出土しているので、私は土偶=女、と決め付けたくないと思っている。資料館で改めてじっくり見つめてみたり、いちど作ってみたりするとその技術の高さに感服する。細かな模様や形、そして中を空洞にする方法などなど。こんなに技術が高いのだから、写実的な人間や動物を作ることだってできそうなのに、そういうのはほとんどない。動物でも人間でもない、でも生きていそうなもの、というのが多いので、精霊だという説もある。これはなんだったんだろう?と考えるのがとにかく面白い。それって、1万5千〜3000年前も昔の人たちとコミュニケーションをとっているということだ。ヤバいなぞなぞ出されてる。写実的なものよりなんだか意味深そうなメッセージ性がある。だから縄文人の「心」が気にならざるを得ない。

土偶とは何か。正解はないし、全部正解かもしれないけど、私の考えは精霊説に近い。目に見えないものにも命がある。遮光器土偶を見るときにいつも湧いてくる畏怖の感情。自然を、世界をなめんなよ。って感じがする。

縄文遺跡に立っているときに浮かぶスピッツの歌詞がある。

生きるということは木々も水も火も 同じことだと気づいたよ(スピッツ『青い車』)

これは、このシンプル生活のなかでもたまに浮かぶフレーズだったりする。

おそらく、縄文人が合理的でわかりやすさや利便性を求める人々だったらこんなにせっせと土偶を作ってないんじゃないか。私は慌ただしい時間の中ですぐ損得を考えたりしがちなので、土偶みたいなものを部屋に置いて、「いけないいけない、縄文縄文っ」と心を落ち着かせていたい。生活を考える、というテーマにも土偶は必要不可欠なアイテムだったと思う。


【72日目】枕

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いまさら!

きっと枕は1週間以内に絶対欲しい、という人もいるだろう。私はなくてもいけた。でもあると、最高だった。

いままで生きてきて所持していたものも、ほとんどはそうなんだろう。本当に必要なものは100個もなくて、ほかは、本当はなくてもいいけどあると嬉しいから、最高の気持ちになるから、だから持っていたはずなんだ、でも忘れてしまっていた。「あると最高だから持ってる。」って気持ちを覚えていたい。


【73日目】オイルヒーター

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大物きました。ずっとエアコンは使っていたけど、乾燥が気になる。オイルヒーターは中に入っているオイルをあたためて熱を発する仕組みだから、じんわり温まって、空気を汚さないし乾燥もしにくくていい。

エアコンでも事足りるけど、もっと快適にしたくてアイテムを追加するっていうのは73日目ならではで、非常にぜいたくなことだと思った。

続く


土偶の話に登場した、好きなものについてのエッセイはこちらです

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