【モノなし生活7〜15日目】キッチンに到達したが、サバ味噌の記憶で白米を食べた
こちらはシンプルライフチャレンジの記事3本目です。
その2「【モノなし生活1〜6日目】 ものがない自分はからっぽだと思った、けれど」
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【7日目】 爪切り
深夜のまぬけな事故だった。枕はなくてもいけるなあ、なんて余裕ぶっていたけれど、夜ふと目覚めたとき、無意識のうちに手探りで枕を探している。頭上で手を振り回したあと、あっそうだシンプルライフだった、と気づいてまた頭を平らにして眠る。そんな動作を何日か繰り返しているうちについに手が壁に激突、親指の爪がちょっと割れた。見た目はひじょうに地味、でも当人にとっては無視できない、いや〜な感じの痛み。穂村弘さんの、
髪の毛がいっぽん口に飛び込んだ だけで世界はこんなにも嫌
という短歌を思い出す。爪が割れるとか靴擦れするとかそういう小さなことでいとも簡単に絶望して、そんなことで絶望する自分にまた絶望する。
まだ日付が変わって間もないのに今日のアイテムは爪切り、と決まってしまった。ぐぬぬ……いろんなことができるスマホも1と数えるのに、爪切りなんかで1……。悔しい気がしたけれど10日にいちど切るとしたら100日で10回も使うのか。足合わせたら20回。20回はすごい。果たして足と手をばらばらに数える必要はあったのか。
【8日目】 毛布
えっ急に寒いじゃん。秋なめてた。昨日に続き必要に駆られてアイテムを取り出すことになってしまった。でも毛布はいい、あたたかいし手触りはとぅるとぅるだし、1枚あると心が落ち着く。しかもこれは洗濯機で丸洗いできるやつ。洗濯機まだないけど。
100日間で100アイテムしか手に入れられないということは、こんなふうに不可欠なものをぎりぎり取り出していくだけで精一杯なのではないかと不安になった。
【9日目】 本
阿久津隆『読書の日記』(NUMA BOOKS)
やった。やってやった。鍋もシャンプーも洗濯機もないけど、本をゲットした。爪が折れたから爪切り、寒すぎるから毛布と、自由に選べない日が2日間続いた反動もある。100アイテムという上限がある以上、そう何冊も取り出せないなと思ったのでとにかく分厚い本にした。1100ページ、枕にもなる。しないけど。自分にとって読書とはどんなものか考えたかったので、著者の阿久津さんがとにかく本を読んで読んで読みまくるこの『読書の日記』はぴったりだと思った。引用も多い(本文の1/4ほど?)から、1冊でたくさんの本のエッセンスを味わえるし、次に読みたい本も見つかりそう。
本がないと落ち着かないとは思っていたけれど、実際この生活で初めて本を手に入れたときのよろこびは期待をはるかに上回るものだった。ちょっとびっくりした。
日中、ピンクピン太郎(2歳)と過ごす時。たとえば彼が65ピースのパズルに集中した瞬間とか、全部のトミカを裏返しに並べているあいだ、本をひらく。最高だ。心の窓をあけて、そこからいい風が入ってくるような心地。向き合いすぎるとお互い疲れちゃうから、たまに一息つけるとちょうどいい。ほんの5分でも楽になる。
スマホ・テレビのない夜の膨大なフリータイムもこれで無の修行ではなくなった。読むことは能動的な動作だから、無意識に情報が入ってくるときみたいに疲弊することがあまりない。疲れたら寝るだけだ。頭の中の静けさと刺激のバランスがちょうどいい。この生活をはじめてまだ10日も経っていないけれど、なんだか以前より感覚が研ぎ澄まされてきた気がしている。
本がなくても生きていける。でも、ただ生き延びることと暮らすということは違っているのかもしれない。
【10日目】 全身シャンプー
やっと水浴びを卒業できる。シャンプー、ボディソープ、フェイスソープの三役をも担ってくれる優秀なアイテムだ。100日生活において少なくとも3日ぶんの価値があるといっていい。本当にありがとう。
この生活の少し前から家族全員これ1本、という方式にしているけれど浴室がごちゃごちゃしなくてうれしい。でも全員で集中して使うから当たり前だけど減りが早くてびびる。いざとなればリンスもドライヤーもなくてもなんとかなるからショートヘアーはやめられない。
お風呂上がり、水浴びのときとは違って「わたしはいまピカピカです!」という感覚がはっきりとある。泡で洗えてうれしい。洗うということは自分を大切にする毎日の儀式みたいなものなんだな、と思った。
【11日目】 洗濯機
なぞの洗濯物目線ショット失礼します。
手洗いでなんとかやりすごしていたけれど、パーカーとか厚手のものはなにより水気をしぼるのが大変だった。洗濯機って洗う能力もさながら、脱水力が優れているなあと実感した。乾燥を終えて仕上がった洗濯物はホッカホカで、取り出すたびに愛を感じる。わたし、洗濯機に愛されてる。汚れた服が祝福された服に生まれ変わる感じがして幸せだ。
この生活を始めてからいちいちしあわせだなあと思うことが増えた気がする。それは「当たり前のことに感謝しよう」みたいな標語にありそうな感覚とはちょっと違っていて、こうあるべき、なんて思わなくても毎日があたらしい喜びに満ちている。生きる、暮らす、ということが上滑りしていない。とはいえ、まだ最低限のものも揃っていないので、だんぜん不便さが勝っている。スマホほしい(煩悩)。
【12日目】 鍋
ついに台所に到達。宮崎製作所「ジオ・プロダクトシリーズ」のステンレス片手鍋。これでスープを作ると野菜のうまみがこの銀色の聖域から一歩も逃げ出さないという感じがする。ごはんも美味しく炊ける。さっそく炊いた。久しぶりの自炊で湯気がいい匂いすぎて腰をぬかしそうになった。
よぉーし、いただきます、と勢いよく食べ始めようとしたらしゃもじも箸もなかった。そうだな、食べるのにもおかずを作るのにも箸が必要だ。すこしさめるのを待って、おにぎりにしてわんぱくに食べた。
【13日目】 箸
箸という道具の良さについてしみじみ考えたことがなかった。空気、とか、重力、ぐらいあたりまえの存在だった。箸があればさわれないくらい熱いものにいますぐアクセスできる。つまんだり混ぜたり、細やかな動作ができる。
子どもの頃、箸の持ち方をとくに熱心に教えてくれたのはおじいちゃんだ。おじいちゃんは鼻のかみ方にもうるさかった。ティッシュがぐしゃぐしゃっとなったまま鼻をかんでも1回しかかめなくてもったいない。でもまず長方形にきちんと折って一度かみ、半分に折ってまたかみ、と繰り返していくと1枚のティッシュで合計3回鼻をかむことができる。使用後の見た目も美しい。内容的に美しいはずないんだけど。片方ずつ抑えながらかむ、という作法もあった。ちょっとでも間違うと何度もやり直しさせられた。やり直したいのはやまやまだけどもう鼻水がのこってないから!と逆ギレしたこともある。
【14日目】 包丁
ひとつひとつ確実にキッチンをせめていく。去年の誕生日に母にプレゼントしてもらったGLOBALの包丁、切れ味がよくてとても気に入っている。ちょっと古くなったトマトとか、皮にハリがなくてもスパン!と切れる。例えにズボラさがにじんでしまった。まずトマトを新鮮に保て。
包丁があってもまな板がないと始まらない。でもせっかく包丁を手に入れたんだからなんか使いたい、と思い台所に立ってりんごの皮をむいた。うーん。りんごはいざとなったら皮ごとかじれるから感動がうすいな。引き続き皮が途切れないように集中して作業していると、ひらめきがやってきた。
牛乳パックをひらいてまな板にしよう。十分使える。ちなみになぜベーコンを切っているかというと、ベーコンを焼くと油がでるし、塩いらずだから。
不便さは工夫を生む。工夫こそが人間のエネルギーの結晶なのだとしたら、便利な生活にはその輝きを放つ機会が少ないということになる。不便だと毎日が新鮮でいいな。そう思いながらサバ味噌缶でトマトチーズ煮込みを作った。これからしばらくは、調味料を使わなくてもできる料理を考える必要がある。
少ない道具で料理っぽいことができたので満足だ。……が、普通にお皿がほしい。不便さが……工夫が……結晶が……とかそんなこと、お腹空いてるいまはどうでもいいので、普通にお皿がほしいと思った。あと、鍋がひとつしかないから、こんなに白米に合いそうなおかずだけど同時に食べられなかった。時間差で米を炊き、サバ味噌チーズの記憶でごはんを食べた。
【15日目】冷蔵庫
洗濯機に続き、大物を迎え入れた。キッチンの大御所、冷蔵庫(都合により、小さめサイズ)。あれ、なんだかすごく特別な日みたい。誕生日ケーキ食べたい。少なくとも平日ではない。
これで、買ってきたアイスを溶ける前に急いで食べなくてもいい。消費期限が当日のお肉を冷凍庫に入れて延命することもできる。また例えがズボラだ。とにかく、未来の自分のためにやってあげられることが増えた気がする。ひとつの家電で生活時間のスケール感が一気に広がった。もう、その日暮らしじゃない。そうか、冷蔵庫はタイムマシンだったのか。まだ持ち物は20個もないけど、ちょっと無敵の気分になった。
続く
【モノなし生活16〜23日目】すこぶる調子がいいわたし、ミニマリストの歌で泣く
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