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連載小説 「枯尾野」

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静の恋人杏子は、破れた書き置きに歌を一首添えて、どこかへ去った。枯尾野とは何処。静は消え去った影を、追う。
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枯尾野 I

枯尾野 I

          一
「あなたに左様ならを伝えようと思って、これを書き残しました。そして、まず言わなければならないのは、あなたに何の責めもないということです。
 理由があるのかないのか、私にも分かりません。だけれど、何をどうしようと、勝手にあなたのもとを離れるのですから、私が一番悪いのです。こうして書き置きを残すかどうか、これさえあなたの知らないところ、見えないところで、決めあぐねていました。

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枯尾野 II

枯尾野 II

          七
 静は逡巡したが、無言を貫くわけには、いきそうもなかった。
「同棲していました」
静の答えに、二人は平静を装っていたが、驚いた様子なのは疑いなかった。それがどういう質の驚愕であったか、静は敢えて問わなかった。ただただ、ひとつ会社で何年も働いておきながら、身の回りのことを何も明かさず、同僚にかけらさえ心を開かなかったという、杏子の淋しさが、時をおいて響くばかりであった。
「そ

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枯尾野 Ⅲ

枯尾野 Ⅲ

          九
 霧がかる夜明けを発って、静は出雲に向かった。何時に出発しなければならないという決まりもないのに、薄暗い早朝を選んだのは、人目を憚るべきだと考えたからである。それが、全てを消し去って何処かへと去った杏子に対するひとつの礼儀だと、静には切にそう思われた。
 行きっぱなしで半日はかかる、鉄路の旅である。車窓は何も写さない。ただ、線路脇の照明のため、規則正しく白い光が投げかけられ

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枯尾野 Ⅳ

枯尾野 Ⅳ

          十三
 あれから幾山河越えた先に、出雲はあった。松江駅に降り立ったとき、白い息が出た。土地独特の、捌けた匂いがした。
 静はタクシーに乗って、約しておいた宿に向かった。大きな橋と小さな橋を一つずつ渡ったところに、それはあった。市街の中にある、古い、平家の日本造りの建物であった。
 伝えておいた時間より少々早く着いたのだが、部屋は既に準備されていた。女将が出てきて、静の荷物を持っ

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枯尾野 Ⅴ

枯尾野 Ⅴ

                           十五
 加賀の潜戸というところがある。古い謂れの、不可思議の洞穴である。
 海に突き出た平べったい岬を、波間から覗けば、大きな穴が二つ、矢で貫かれたが故であると神話は記す。
 先端にある、海に近い方は、佐太大神なる神の生まれ給うた所。その手前にあるのは、黄泉への懸け橋である。
 子に先立たれた親が、我が子に逢いたい一心で訪れるのが、この陸の果て

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枯尾野 Ⅵ

枯尾野 Ⅵ

         十七
 家のポストに、左絵里の手紙が入っていた。切手はなかった。白の螺鈿のような、綺麗な封筒であった。
「田中さん、どこかにお出かけでしたか。行き違いでもなく、何だかお会いできないようなので、手紙を残しておきました。
 こういうふうに、人に宛てて文章を書くのなんか、何年ぶりなんだろう。昔はよくペンを走らせていたんですよ。小学生の頃かな。友達どうしで小さな手紙を交換しあうんです。今

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枯尾野 Ⅶ

枯尾野 Ⅶ

                             廿
 それから左絵里は三日を開けず、家を訪ねてきた。
 左絵里は肉や野菜を買い込んで、何品も料理を作った。皆、静の好物ばかりであった。
 どうして左絵里が自分の好みを知っているのか、静は不思議でならなかった。話はそればかりではなく、風呂はやや熱い湯加減が良いことも、たまに飲むワインの銘柄、食器の在り方、書棚の本の名前まで、左絵里は分かってい

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枯尾野 Ⅷ

枯尾野 Ⅷ

         廿ニ
 左絵里は暫く姿を見せなかった。静はどういう顔で接したら良いか分からないでいたので、ほっとしたような、しかしそれで済まされる事ではないとも思っていた。
 用事もあるだろうし、仕事も続けているはずである。それに下宿へ帰っていることも考えられた。どこに住んでいるのか、静は知らなかった。
 部屋に一人残されると、照明を消した。すると途端に薄暗い影が身の回りに満ちた。
 静が思いあ

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枯尾野 Ⅸ

枯尾野 Ⅸ

         廿三
 暗がりを抜けた長い険路の先に、その寺はある。
 海に程近いはずなのに、山に隔てられてかか、波のさざめきも聞こえず、全ては鬱蒼とした森の中である。
 谷間の道を辿り、静は山の上にあるというその寺を目指していた。
 山から雲が湧く。目の前に霧となって、行手を遮る。滔々と流れる川があるらしいと分かるのは、音に聞こえるからである。
 道は右手の、壁のような崖に沿って行けば良い。静

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枯尾野 Ⅹ

枯尾野 Ⅹ

         廿四
 その寺は山の斜面に築かれて、境内に高低があった。静は石の段々を登り、手水場を横目に、伽藍へ向かった。
 冷気が肌に染みるようである。そういえば、年の暮れも押し迫っているのではないか。静の繰り出す足も早まった。
 本堂に近づいたとき、俄に雨が降り出した。静は急いで軒下に入った。
 ふうと息をつくと、瓦屋根の狭間をつたって、幾筋もの雨水が途切れることなしに、地面へ流れ落ちた。

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