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昭和のこどもの頃に


道端の待ち合わせの場所で、毎朝、楕円型の小さなアルミの弁当箱を

開いては、中身を見せ合ってた。

2桁の国道、それも前の方の二桁、その国道の道端にて。

"あっ! 卵焼きだ!"  と、道端で毎朝毎朝。 なんて、のどかなんだろう。


首と袖口にゴムの入った服を着て家を出る、それが決まり。

それが制服、あの服はなんていうんだろう。 4歳? 5歳?

その頃のこと。


夏は、いつも川へ泳ぎに行ってました。 一日中、海パン一丁。

泳いで泳いで身体が冷えたら、熱いアスファルトへごろり。

海パン一丁の子供たちが、みんなそろってゴロゴロしていたな。

"キャデラックが来るぞー!"と、誰かが叫ぶ。

それが通り過ぎるのを待って、また、道にゴロリ。

まったく本当に、なんて、のどかなんだろう。



そうだな、なんだか、結構しょっちゅう、叱られていたな。

"この、ばちあたり目が!!"   決まり文句は、いつも同じ。

なんだろうな、そんなに悪さをしていたのかな?

そんな覚えは、無いのにな・・・。


"この、ばちあたり目が!!" と言われるたびに

反骨精神がニョキニョキと育って行ったような気がするな、今となっては。


使い終わった弁当箱を出し忘れて叱られたことも・・・

あった! あった!  一度や二度なんて、そんなものじゃない。


なんだかな、それにしても

      のどかだったな、昭和のこどもの頃は。



追記・写真は、吉祥草の花。

庭に咲くと、いいことがあると、そう言われている花のようです。