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自分年表のススメ~雷魚ってすごいよね~

さて、前回の記事で風呂敷を広げた自分年表。こちら

情報量が多い(笑) が、面白いという声もあったのでもうちょいやってみようと思う。単にメタ認知(自分を客観視)の良い機会かもしれないし。

といっても「過去の思い出」というのは、「現在の自分」が脳で作り出しているものなので、どうなんだろう…ゴニョゴニョ

書き忘れたのだが、いじめでものすごく辛かった時、やっぱり親には言えませんでした。たぶん、学校ではどう?楽しい?とかめっちゃ聞かれていたと思う。なんとなく覚えている。

おそらく当時のわたしは毎日悲しい顔をしていたから。覇気がない子だった。

そんな様子を心配してくれていたのだろうけど、心配をかけたくないという、懸命さがあった。喘息の兄がいつも心配をかけていたし、下にすでに4人の兄妹がいたので、めそめそしている余裕はなかった。

あ、泣き方も特徴的だったらしい。あんたは「む~む~」と泣くよネ、と言われていた。恐らく声をあげて泣く、ということをしたくなかったのだろう。これは覚えがない。

さすがに限界かもっていうくらいしんどかった時(要は学校に行きたくなかったとき※腹痛を主張するも行けと叱られたので笑)、ある日母親が、壊れたわたしの筆箱をガムテープで補強してくれたんだよね。

そしたらそこに「あつしまけるな!がんばれよ!」って書いてあった。これは今でも忘れられない。これのおかげでいじめに耐えれた。これなかったらどうなってたか分かんねえ(笑)

1993年7歳小学2年生

小学校2年生。この辺りからゲームの趣向性が変わった覚えがある。
なんといっても不朽の名作である「聖剣伝説2」「ファイナルファンタジー5」が出ているのがこの辺。

特に聖剣伝説2はめちゃくちゃ影響を受けた。いやファイファンもかな。※エフエフと呼ぶ人と、ファイファンと呼ぶ人がいるとのこと。


聖剣伝説のボスキャラを考えて自由帳にひたすら書いていく、という遊びにハマっていた。オリジナルキャラを作るという感覚が良かったのだろう。絵は動かないけど、脳内でどんな風に動くか想像するのが楽しかった。

またFF5のクルルが夢に出てきて、めっちゃ好きになってしまった。これは結構困った(笑)なんせ叶わないもの!しかし恥ずかしいことに、ククルだと思っていたことは言えない。

夢の中ではドットじゃなかったよ(笑)

現実世界では松本と〇こちゃんという子に惚れていた。すでに女性の好みが確立しており、ちょっとイタチっぽい女の子を見るとかわいいいいいいよおおおおってなっていた。だから話したことなかったけど惚れてた。

ちなみに1年後に転校する(悲しい)

学校では友達が相変わらずできない。というのも、運動が苦手だったのだよね。男の子はかけっことドッチボールが全て。みたいな時代だったので、どちらも苦手だったから相当きつかった。

ちなみにうちの小学校は、毎週水曜日に「いきいき体操」といってみんなで一緒に踊る(まあラジオ体操みたいな)イベントがある。毎週毎週きっついのよね。すげえ嫌だった。

とにかく体育の時間は嫌で、砂いじりばっかりしていました。結果、運動は上達しません。逆上がりってなんすか?という感じでした。

いきいき体操の時にかかっている曲が、B'zの「愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない」だということは、後々知る。おかげさまで、あの曲聴くと体が反応します爆

休み時間は図書館で本を読みまくるか(王様シリーズ)、学校をアドベンチャーワールドに見立てて冒険するのが好きだった。


これね。あとは五味太郎さんの本と図鑑が好きだった。ゾロリシリーズとか、ズッコケ3人組とかはちょっと苦手で読めなかった。

あと虫を見るのが好きだった。こいつら何考えてるんだろうなあ、と眺めてた。

ハナムグリさんです。

このころは妄想も末期に達しており、家に帰ってからも妄想がしたくてしたくて、近所の空き地が遊び場だった。

ひたすら徘徊しながら、思いついたことを空中に書いてたんだが、どうもそれが「様子が変」に見えたらしく、親戚に「大丈夫?何やってんの?」と言われて、釈明が超めんどくさかった。

だから「漢字の練習してる~」と適当にごまかしてたなあ。

そろばんとか暗算を習ってたのもこの辺りだと思う。暗算の方が得意でした。同じ教室にいた《かなさん》という女の人が好きだった。やっぱりイタチ顔。そうだ、このころは町内会の集まりに結構出ていて、うちの町内は工場地帯だったから子供が少なかったんだよね。

マンションに住んでいた幼馴染の柏姉妹や、鈴村くんなんかと仲良くしていたな。柏姉妹は妹二人が双子で、長女がいる。長女は幼少期に大やけどをおった際に障害が残ってしまい、車いす生活&知的障害があった。

そんな長女さんのこと、よくわからないけれど、興味があったことは覚えている。どうしてこうなってしまうんだろう?という純粋な好奇心だったと思う。

宿題がめちゃくちゃ嫌いだったんだけど、中でも文写しという、単に課題の文章をひたすら書くという、謎の宿題…いや分かるんですよ文法を覚えたり表現に慣れるにはこの方法は良いのですが…いかんせ「なんで?なんで?」小学生だった故に、なぜ写すか?という点を説明してくれないと、取り組めないのですよ(笑)

結果、やらずにいたら先生に呼び出された。

居残りでやりなさいと叱られたのだけど、めっちゃ嫌だったので、家にあります。と嘘をついたら、まさかの「取りに帰りなさい」でした。そりゃそうか。

しかしないので、とりあえず取りに帰るフリ。時間をつぶして戻っていき、「すみません。ありませんでした」とシラを切ったら「知ってますよ」と恫喝。いや、知ってるんかい。まあいんだけどさ、こっちが悪いし。

でもそんなやり方で子供に精神的負荷をかける必要はあるのだろうか?と子供ながらにすごく不快でした。

ああ、2年生は良い思い出があまりないね。教室の窓から新幹線が見えるのが好きでね。良く眺めていた。隣の席の女の子でお〇つきま〇かちゃんという子がいたんだけど、その子にお勧めしたら、真剣に眺めるもんだから、そっと身を寄せて眺めてました。

マセガキやんけ。

1994年8歳小学3年生

ちなみにこの頃もしっかりいじめは続いていた。

クラスが変わったので緩やかになっていたけど、すれ違うといじられるし、あいつら独自の情報共有をはかっているもんだから、うわさでいじられる。やれやれ。

そういえばわたしの名前は「あつし」というのだけれど、漢字で書くと「純矢」なのよね。ものすっごいキラキラネーム(笑)

で、矢という字をこの辺りで習うもんだから、ふじ本あつ矢という書き方になるのですが、結果「あつやくん」と呼ばれるのです。

ちゃんと、読め。

ここで少し転機があったのが、剣道との出会いであった。運動は嫌いだったのだが、まあスポーツ少年団というのがあってだね。何か入ったらどうかと言われたわけですよ。

そこで選択したのが剣道だった。これは完璧に「るろうに剣心」の影響です。弥彦に憧れてたのよね。弱いけど、強かった。そういう風になりたいと思ったのです。

うわああああかっこいいいいいい!!!

ここで剣道に出会ったことで、ちょっと強くなったんですよね。なんというか、いじめっこに何されてもいざとなったら竹刀でボコボコにしてやればいいやん、という単純な自信がつきました。自信がついたことで、おどおどするのを辞めたら、いじめはなくなった。

まあ嫌がるところを見たいだけなんだよね。なんだその単純な構造は…

このころには6人目が生まれて、さすがにちょっとした有名人になってた。なんせ校内に3人いますからなあ(長男6年生、ふじむけ3年生、妹1年生です)。

あとこのとき担任だったM添先生がめちゃくちゃ優しかったのを覚えている。この年に着任されたのだ。美人だった。

速攻で産休でいなくなるのだが(笑)

そしてママレード・ボーイのアニメが始めりました爆

妹の影響でりぼんを読んでた。いや、妹の影響なのか?家にあったのはそうかもしれないけど、普通に好きで読んでたような(笑)

ちなみにセーラームーンは全シリーズテレビ見てました。わたしはビーナスが好きだったんだけどね。

こうやって書くと女子力高めに感じるけど、そんなことはないよ!

コロコロコミックを買ったり、ミニ四駆に夢中になってたりしてます(笑)

爆走兄弟レッツ&ゴー!!が94年の7月に連載開始してるからね。三国藤吉が嫌いでした(笑) 好きだったのは鷹羽リョウです。「轟く爆風」の異名を持ってます(笑)

あとテレビチャンピオンが大好きでした。毎週めちゃくちゃ楽しみにしていた。特に印象に残っているのは、ミニ四駆ですが…(笑) タミヤスペシャルってのを作っている人がいてね。かっこよかったなあ。大食いとか早食いも好きだった。

思い返してみれば、このあたりは何というか、アニメとか漫画とかに夢中で、おうちのこととか全然覚えてないな(笑)

あんまり印象に残るような出来事がなかったからかもしれない。いや6人目生れてるけどね!!

剣道少年だったから、結構真面目に剣道も行ってた。練習はめちゃくちゃきつくて何回も辞めようと思ったけど、なんとか続けてた。

試合にも出たんだけど、完全に数合わせだったので、実戦経験なしで挑んだのは最高にきつかったなあ。まずルールがよくわからないのよ(笑)

とりあえず守るのに精一杯で、攻めなかったら引き分けになりましたとさ。

んで、休みの日に道場とかに行ったんだよなあ。そこでは真剣の立ち合いとかみれるんだけど、思い描いてたよりもずっとのっそり動くのよね。

なんていうか、るろうに剣心と暴れん坊将軍の影響で、スパンスパン斬るものだとばかり思っていたから(笑)

型や作法が大事なんだと教わった気がします。

当時仲良くしていた友人に「きったん」ってのがいて。きったんはいつもニコニコしていて、人気者だった。

わたしはいじめられっ子あがりで内気だったから、いつもおどおどしてたんだけど、きったんは気にせず一緒にいてくれた。

その時はまるで自分も人気者になったかのような快感があった。あんまり良くないことかもしれないが。どうなんだろうね(笑)

あくる日、きったんに「あつしの大事な友達を5人教えて!ランキング形式で」と聞かれたことがある。※あ、嘘です。このころのあだ名は『ふっじん』だわ。

おお、なんてトキメキのある質問や!と、なりつつ、もちろん1番はきったんや!という感じで話した。ありがとうって笑ってた。

きったんのも教えてよ?というと、きったんは照れ臭そうに発表してくれた。

さくっと3位くらいで自分の名前が出ましたwwwwww

そしてきったんは4年生に上がる前に転校しましたとさ。

そうだ忘れてた。うちの家は当時、仏教に熱を入れていた。表現が不思議なのだが、元々信仰はある家でして。この辺りからは集まりとかにも参加するようになってた感じです。

わたしも毎朝、仏壇で経典を唱えていた。両親には、どうしても困ったときにはお題目三唱を心の中で言いなさい、と繰り返し言われてたので、割と素直に実践していたと思う。

集まりにはわたしも良く参加していて、大人と絡むことが多かった。弁当とまんじゅうを食いに行く会、くらいにしか思っていなかった気はするけど、それなりに充実していた記憶がある。

このころ、工作がとにかく好きだった。中でもペーパークラフトに猛烈にハマっており、自分で設計して作るほどのハマりようだった。ギャオスを作ったのだが…


中々の完成度に嬉しくなって、天井から吊っていた。あくる日、それは落下しており、かつ踏まれてぺしゃんこになっていた。

母親に問いただしたのだが、知らない、何それ。と言われたことを覚えている。

1995年9歳小学4年生

おう、小学4年生まで来たか。

ここはふじもとさんにとってはカルチャーが凝縮されている年だ。いわゆる多感な時期ですね。ありとあらゆるものに興味がわいている。ちなみに剣道は1年でサクッとやめている(笑)これも理由があるけど、割愛する。

影響を与えたであろうものを箇条書きしようと思う。

・新世紀エヴァンゲリオン
・金田一少年の事件簿
・ご近所物語
・名探偵コナン
・クロノトリガー
・ぷよぷよ
・炎のチャレンジャー
・SPEED
・封神演義
・学校の怪談
・RPGツクール
・デザエモン
・ノストラダムスの大予言
・古畑任三郎

偏ってるなあ…(笑)

エヴァンゲリオンが一番色濃い気がする。使徒の名前とか覚えるのに必死だった。小学4年生でエヴァ?と思う方もいるかもですが、これはシンプルに兄貴の影響です。

この頃、最も大きな変化と言えば、剣道をやめてから一気に太ったこと。まあ大食いだったんですよね。祖母の作るパンとかずっと食べてたし(笑)

一食の量も多かった。剣道まっしぐら時代はそれでも良かったんだろうけど、やめたら帳尻が合わず一気に太った気がする。覚えてないんだよなあ。気が付いたらぽっちゃりだった。

そこからは忘れかけていたいじりが発生し始めるのよね。いじめってほどではないけど、運動が出来ずさらに太っているとなると、まあ色々言われた。幸いにして、学校ではそれを言ってくる人はあまりいなかった。

どちらかと言うと、大人だったかな。お!将来はお相撲さんかな?!とかそういうの。自尊心をこう、えぐってきますよね(笑)

が、エヴァンゲリオンという無敵のツールがあったので、気にしなかった(笑)当時のことは自分ではあまり印象に残っていないけど、友人曰く、とにかくエヴァトークがさく裂していて鬱陶しかった、とのことです(笑)

たぶん、あの当時に内気な少年少女たちは、エヴァに救われてると思うんだ。あのね、内容もそうなんだけど、使徒。使徒が良かったの。

得体のしれない敵なのか味方なのか分からない異形のもの

というのは心惹かれるものがあった。ビジュアルも含めて。たぶん、ウルトラマンの怪獣とか、ライダーの怪人にも通じる点があるんだけど、明らかに悪者、ではなく「どうやら戦うべき相手?」という存在感が、なんとなく惹かれたんだよな。

これもいわゆる機微というモノだと思う。

このころはとにかくゲーマー野郎だった。客間、と言われる畳部屋にこもって、ずっとゲームしてた。勉強は全くしなかったけど、授業をまじめに聞いていたので、テストの成績は良かった(体育を除く)。

だからあんまり文句を言われずに過ごせた。パソコンを触り始めたのもたぶんこのくらいの年齢だった気がする。

そのころはまだインターネットではなく、プログラムを打ち込んで遊び感じだったような…。

この辺はうろ覚えだけど、当時のPCはプログラムを打ち込めば描画してくれる、みたいな遊びがあって。それをひたすらやっていたように思う。

そうだそうだ、Windows95だもんね。うちの会社はなぜか導入してたんだよなあ。そんなに使うことなかったのに…(笑)

こんなやつです↑

うちの家の前の用水路を工事したのもこの辺かな?川の水を全部抜きます、みたいなことやったのよね。そしたらいつもは見たこともないようなでかい魚がわんさか出て来て、めっちゃ興奮したのを覚えてる。

今頃の子は分からないかもしれないけど、当時は雷魚を見つけるとめちゃくちゃ喜んでたよ

かっこいい。

とにかく何もかもが楽しかったような気がする。

ちなみにこの頃は長野くんと石田くんが友達だった。二人とも、転校することになる。この時は気付いていないのだが、わたしが小学生時代に仲良かったのはみんな転校生でした…(既存の輪に入れないからなのか!?)

それから阪神大震災があったね。岡山なので結構揺れた。元々地震があまりなかった街なので、めっちゃ怖かった。

食器という食器が割れてしまい、床が大変なことになった。

わたしは布団にくるまっていて、上から大きめの荷物が落ちてきたのをうまいことかわした。当たっていたら痛い!!くらいの感じだった思う。

けど、どうしても大事にしたかったんだろうね。あれが当たってたら俺死んでたわ!とか言いまくってた気がする。盛ってるな…(笑)

そして、なぜか髪の毛が縮れ毛になった。なんで?

続く。

長いよ!!たぶん、一回休憩します(笑)
別の記事書きたい(笑)

そして書き忘れてるの思い出したけど、昔からディズニーとジブリが好きで、特にドナルドの算数マジックはめっちゃ見た覚えがある(あとアリス)。

まさかのフィボナッチ数列…www

ドナルドの算数マジック、相当ソリッドな内容だよね。

恐らくこのころから「一見すると無秩序に見えるものに潜んでいる法則」が好きだったんだと思う。

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