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「運気を上げる」を考える

先日、私が参加している「知心会」の7月の定例講に出席しました。「知心会」では、ありのままの己の心を観ながら仲間と共に研鑽する機会の一環として定例講があります。

今回の定例講は、「気」がテーマでした。

気は全ての礎。
人の想いは気の通りにしか成らず。
気は人をも通し 時空を超えるものなり。
家人を幸福にするもこの気なり。不幸にするもまた同じく気なり。
気なくして水は流れず光も差さず。
商いも市場は気が創るもの。その気を知らずして商いに非ず。
気は人の骨格・肉・行い・全ての基となるもの。
気を解らずして 何をも語るに非ず。
強い気は時空を超え全ての人に届く。
気は人の丹田に在り。

「気」に関する言葉です。

「気」というものは直接見ることができないものですが、実際に存在しているものなのでしょうか。そのことに関連して、ある住職の方がこのような話をしたことがあると、定例講では紹介がありました。

神や仏は、信じている人には存在する。信じていない人には存在しない。信じる、信じないは、自分で決めればよい

これは、「神や仏は本当に存在するのか?」という質問に対する、同住職による回答だということです。「気」も、普段見ることによってその存在を直接確認することはできないものですので、この回答に通じるものがあるだろうというわけです。とても本質を突いているお話ではないかと、個人的には感じました。

(これ以降は、気の存在を信じる場合に有効となる話なのかもしれません。そのうえで、下記の「気をきれいにする」「気を強くする」をそれぞれ「自分の内面をきれいにする」「自分の内面を強くする」にように少し言葉を置き換えて考えると、気の存在を信じる・信じないにかかわらず、人の営みにとって普遍的に当てはまることではないかと思います)

「運気」という言葉があります。直接見えない気を運ぶ、という意味合いですので、「気」に増してさらに実態がイメージしづらい存在かもしれません。しかし、私たちは日常的に「運気」「運気が上がる・下がる」「運気を上げたい」といった言葉を使うことからも、運気に親しみのある人にとっては日常的なものだと思います。

さて、運気を上げるには、大きく2つの要素があると、定例講ではお話がありました。「気をきれいにする」と「気を強くする」です。

1.気をきれいにする

まずは、言葉づかいに気を付けること。きれいな言葉は、きれいな気を生む。逆もまた然りというわけです。

また、気は、水を思い浮かべるとイメージしやすくなるというお話でした。

さわやかな水は、ゴミが混ざると当然濁りますごみは拾ってゴミ箱に片づけることが必要です。自分の中で、良くないと思っていることや引っかかっていることを抱えている実感があるとすれば、その良くないものを片づけることが必要です。

水は流れが止まって滞留すると、次第に濁っていきついには腐っていきます。水は流れている限り腐ることがない。気もまた同じというわけです。良くないと思っているとまではいかないことでも、例えば仕事を溜めると、滞留する水のごとく気がよどんでいくというわけです。

例えば、ちょっとした作業が納期遅れとなる、出欠可否の伺いに対してどうしようかと考えあぐねて返事をためる。こうしたちょっとしたタスクの滞留が、気の流れを悪くする、あるいは気の流れを逆回転させるようになるというわけです。

「優れた経営者やビジネスパーソンは、何に対しても判断や返事が早い」とよく言われますが、それに通じるものを感じます。

判断を早くするコツは、基本的には3つあるというお話でした。(説明で実際につかわれた言葉は違うかもしれませんが、以下は私として解釈した言葉によります)

1)「いま」と「いざ」を区別せず、普段からただちに判断していく

日常と本番を分けない。いつでも本番で、この瞬間々々を勝負することを普段から心がけようというわけです。

「これは今考えなくてもいいことだから、いざとなってから考えよう・決めよう」と後回しにすると、その分遅れます。その「いざ」が来るまでに脳のスペースがそのことに使われてしまい、別のことに振り向けるスペースが減ります。

もちろん、熟考して結論を出すべき重大なテーマ、論点を多角的に整理しないといけないテーマなどは、相応に必要な時間をとって考えるべきです。一方で、そうではなく、時間を置いても判断する質があまり変わらないものは、記憶が新しいうちに判断して片づけてしまったほうが、脳にとっての全体最適になります。

この話を聞いて、私がよくやりがちだと気付いたのが、「返事や申し込みをする期限の手帳への書き込み」です。何かの申し込みや、決断した結果をだれかに返事する必要のある件が発生した時に、その期限を書き込み、期限切れにならないよう注意して実行する、という行動をとることがあります。

しかしながら、最も手離れがよくて効率的なのは、発生した時すかさず結論を出してしまい、申し込みや返事を済ませて、手帳に期限すら書かないことです。こうすれば、手帳に書くという作業が不要になります。この機会に、この手の行動パターンを変えようと思います。

2)恕す(ゆるす)

他者に対し、「許す」や「赦す」ではなく、「恕す」姿勢で向き合うというわけです。

許す:不都合なことがないとして、そうすることを認める
赦す:とがめずにそのまま見逃す
恕す:思いやりの心で罪や過ちをゆるす

「相手をゆるせない」という怒りの感情は、よどみにつながり、相手に対する気持ちが止まる。相手に対する気持ちが止まってしまうと、頭と心がそこにとらわれて、思考が止まります。すべてをゆるして水に流していれば、思考が流れる、気が流れる、というわけです。

3)どうでもいいことにこだわらない

自分自身が真剣に考えるべきことはこだわるべきだが、自分自身がこだわる必要がないことなら、どうでもよいこととして流すというわけです。

例えば、相手はAと主張してくるのに対して、自分はBという別の意見がある。そのBが、自分の人生にとって絶対に外せない価値観に基づくものとか、AになるかBになるかで社会や明日からの仕事に影響を与え続けるものなら、こだわって議論すべき対象だと言えます。

そうではなく、どっちを選んでもその場限り、明日からの仕事の現場や人生に何も影響を残さないような、実質的な差がないような選択肢であれば、固執せず全面的に相手に合わせればよいということです。

1)2)3)でジャッジを早く行い、物事の流れをよくしていけば、気の流れもよくなるというわけです。

もうひとつの「気を強くする」については、次回取り上げてみます。

<まとめ>
即決・即実行、結果が変わらないことへのこだわりを捨て、気をきれいにする。

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