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テレワーク勤務の今後を考える

4月26日の日経新聞で、「在宅勤務、今後どうするか(下) 勤務場所の自律的選択 重要」というタイトルの記事が掲載されました。在宅勤務は、コロナ禍を機会に多くの企業で全面的or部分的に導入されました。その後、コロナ禍収束に合わせてどのように向き合うのか試行錯誤が続いているのではないかと思われます。

同記事の一部を抜粋してみます。

米アップルの例を見てみよう。同社はもともと対面のコミュニケーションを通じ従業員の創造性を促進するという考えを強く持つ。コロナ禍前に完成した新オフィスはその表れだろう。だが2020年のコロナ禍でテレワークへと全面的に移行することとなった。21年6月には、経営側が従業員に向けてオフィス勤務に戻るように通達を出した。

その中でティム・クック最高経営責任者(CEO)は、ビデオ会議では再現できない対面のコミュニケーションの良さがあると指摘した。「実際に会って話すときの活気、エネルギー、創造性、協力関係、そして私たちが築いてきたコミュニティーの感覚を失っているのは私だけではないはずだ」と述べた。だがこれには、出社しない自由を損なうものだとして反発する従業員もかなりいたようだ。

この事例には2つの対立が見て取れる。一つは出社か在宅勤務かの対立だ。出社には対面の良さ、在宅勤務には自由の良さがあり、どちらを取るかというものだ。もう一つは経営と従業員の対立だ。働き方は労使間の新たな課題でもある。

これらの対立を克服する糸口は広い意味での「ABW(activity based working)」にあると筆者は考える。ABWとは、活動内容に応じて適切な場所を選びながら仕事ができる環境、ないしはそこでの働き方を指す。もともとはオフィス形態の一つを指したが、オフィス以外の在宅やサードプレイス(第3の場)などの選択肢も増えるなか、その意味も拡大している。

筆者の調査によると、オフィス内ABWは部署を超えたオープンな人的ネットワークの生成を促す。一方で、自ら働く場所を選ぶため、時間や場所の裁量があると感じるだけでなく、自分で責任感を持って考えて働くことにもつながる。これは広い意味でのABWにも当てはまるだろう。これからの時代、出社したからといってオフィスに閉じこもっているだけでは人的ネットワークは広がらない。また在宅勤務だから自律的なのではなく、オフィスと在宅、サードプレイスを選択するから自律的なのだ。

ゆえに広い意味でのABWには対面か自由かという対立はない。出社か在宅勤務かという対立で考えること自体が的外れで、これらを時と場合に応じて適切に選択できることが肝要だ。

上記による示唆には大きなポイントが見出せると考えます。それは、「どこで仕事をするべきかという問いから始めるのではなく、求められる成果を上げるにはどこで仕事をするのがよいかという問いから始めるべき」だということです。ABWの概念は、まさにこのことだと考えます。

コロナ禍でテレワークが社会的に広がった初期には、テレワークできない職種の人をどうするのかという論点が話題になりました。「エッセンシャルワーカー」(生活維持に欠かせない職業に就いている方々)と呼ばれる、医療従事者、スーパー・コンビニ・薬局店員、介護福祉士・保育士、役所職員、交通機関の運転士、トラック運転手などです。エッセンシャルワーカー以外にも、工場での製造工程に携わっている人などは、出勤が必要で、テレワークという形態を選びたくても選べないという制約があります。

そのうえで、例えばトラック運転手は、勤務時間中ずっと会社に在社しているわけではありません。荷物を受ける場所、渡す場所、途中の道路がその日の勤務場所となります。荷物を送りたいというニーズと受け取りたいというニーズがあり、両者のニーズを満たすために発生する途中の移動を引き受けていて、そのために必要な場所で働いているわけです。出社勤務というより、テレワークに近い仕事のしかたと言えます。

仮に当日の渋滞や天候などの状況によって、当初会社が指示したルートよりも適したルートが出てきたら、柔軟にルートを変えるはずです。このことは、求められる成果を達成するためには、どの場所で仕事をするのが最適なのかという考え方に基づくと言えます。

つまりは、場所ありきではなく成果ありきなわけです。

このように考えると、出社か在宅勤務か、あるいはそれ以外の場所勤務か、という命題への向き合い方が、すっきりするのではないでしょうか。

上記例に挙げた、医療従事者や店員なども、求められる仕事の成果を達成するために、現地対応することが必須であるという環境が、「成果のためには勤務先の施設という場所が最適」という前提になっていると整理できます。

環境の前提が変われば、勤務先の施設という場所の前提も変わるかもしれません。例えば、(現場の実情は詳しくないため不正確かもしれませんが、イメージとして)医師も診療や手術など現地現物が必要な業務のためには出勤が必要だが、学会に対応する資料作成は最も能率が上がる場所で行う、などです。

あるいは、手術も遠隔操作できるロボットなどが発達すれば、現地対応の人数を半減し、一部の医師は自宅から対応、などもできるのかもしれません。店員も、自動レジなどが進めば現地対応者を1名などとし、店舗の監視や管理業務を行う人は場所を問わないなど、現地対応の人数を分散できるかもしれません。

冒頭のアップル社の例も、「風土として会社で集まることを大切にしよう」「テレワークでも限りなく出社と同じ作業ができるのだから、場所を制約する必要はないはずだ」といった、関係者が異なる論点で是非を導き出そうとすると、いつまでたっても答えにたどり着かないかもしれません。

そうではなく、「自社としての成果を生み出すためには、1か所に集まって空間を共有しながら協働することが不可欠なのか」という問いを立てることで、その組織なりの答えが見つけやすくなるのだと思います。アップル社の場合は、その答えがオフィス勤務回帰だったのだろうと想像します。

会社によっては、その答えが全面的なテレワークだったり、出社勤務とテレワーク勤務のハイブリッドだったり、ハイブリッドもその割合が限りなく出社寄り、あるいは逆にテレワーク寄りだったり、様々であってよいのだと思います。ただ、起点が「自社の求められる成果を最大限生み出すために」である必要があります。

勤務場所の選定が個人の裁量に任されている場合は、「どこで仕事をするのが、今日の自分が生み出すべき成果を最大限創出できそうか」と考えるとよいのだと思います。「出社勤務のほうが評価されやすい」「長いこと出社してないから、特段必要性や用事はないがそろそろ出社するか」といった意思決定は、本来の姿ではないのだと思います。本来の姿ではない形で意思決定している会社も、案外多く見かけるものです。

シンプルながら、本質的な問いではないかと、同記事から考えた次第です。

続きは、次回以降取り上げてみます。

<まとめ>
場所ありきではなく、成果ありきで、最適な仕事の場所を考える。

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