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終末論を超えて

8月28日の日経新聞で、フィナンシャルタイムズの記事「温暖化、終末論に潜む危険」が紹介されました。今年の夏も暑かったです(まだ完全には過ぎ去ってませんが)。今回の夏の暑さが異常気象の一端ではないかと感じてしまいますが、そのことについて考察している内容です。

同記事の一部を抜粋してみます。

世界各地で記録破りの猛暑が観測された今年、筆者はよく耳にする疑問を気候科学者に投げかけている。この異常な暑さは、いったん超えると後戻りできない重大な臨界点が近いことを意味しているのではないか。筆者が取材した研究者の中に、記録的な熱波が直接の引き金となって世界の気候システムに劇的な変化が生じるとみる人はいなかった。

異常な気温は気候システムが部分的に不安定になっている兆候かもしれないという見方はある。気候変動の臨界点研究の第一人者、ティム・レントン氏は、より急激で長期の変化の「早期警戒信号」かもしれないと捉える。ただ同氏を含め専門家は、温暖化の進行で地球がやがて地表気温が高くて生物が住めない金星や、荒涼とした月面のようになるとは考えていない。

残念ながら多くの人は違う。世界全体で観測史上最も暑い6月だったことが発表されると、SNS上に「もうどうしようもない」という投稿が流れた。7月に月間平均気温の最高記録を更新すると、2050年を待たず「地球上の生物が絶滅するだろう」という投稿も上がった。

10カ国の若者1万人を対象にした2年前の調査でも、56%の人が気候変動で「人類は滅亡する運命にある」と答えた。未来が「恐ろしい」という回答は76%に上った。

先行きに不安を感じるのは仕方がない。グリーンエネルギーへの移行も、気温のさらなる上昇を確実に止められるほどの速さでは進んでいない。ただ終末論的な考えは思考停止や諦めを招くため危うい。気候対策など必要ないと主張する勢力の思うつぼだ。

終末論者は今のところ、否定論者ほど害をまき散らしてはいない。しかしこうした思考が広がっているのは想像に難くない。しかも今年は人為的な温暖化に加え、南米ペルー沖の海水温が上昇するエルニーニョ現象で一部地域の気温が押し上げられている。その結果、気候変動の臨界点と歯止めがきかない温暖化を巡り誤解が生じている。

気候システムの一部が臨界点に達し南米アマゾンの熱帯雨林が枯れ、南極氷床が解ければ何百万人もの生命が脅かされると科学者は懸念する。それでも地球温暖化そのものが制御不能になり、地球が金星のようになる日が視野に入る瞬間とは全く異なる。

こうした認識は重要だ。気候変動の臨界点と、電気自動車や再生可能エネルギーの加速度的な普及のタイミングのどちらが先に訪れるかが問われていることも忘れてはならない。科学者も技術の進歩で二酸化炭素排出量の実質ゼロを達成できれば、数年で気温の上昇が止まると考えるようになった。

気温の上昇を0.1度でも抑えることに意味がある。終末論は完全に消し去ることはできそうにないかもしれないが、そもそも、そんなことを言っている余裕はないはずだ。~~

夏の終わりに、猛暑と言われるこの夏を総括するにあたって、示唆的な考察ではないかと考えます。上記の示唆から、自分なりにポイントと考えることを3つ挙げてみます。ひとつは、事実と、推察や感情とを、分けることの大切さです。

終末論的な物事の捉え方は今に始まったわけではなく、昔から存在します。例えば、古くは末法思想(まっぽうしそう)と呼ばれたものがあります。ウィキペディアでは次のように説明されています。(一部抜粋)

末法思想とは、釈迦が説いた正しい教えが世で行われ修行して悟る人がいる時代(正法)が過ぎると、次に教えが行われても外見だけが修行者に似るだけで悟る人がいない時代(像法)が来て、その次には人も世も最悪となり正法がまったく行われない時代(=末法)が来る、とする歴史観のことである。

1052年、つまり平安時代末期は貴族の摂関政治が衰え院政へと向かう時期で、また武士が台頭しつつもあり、治安の乱れも激しく、民衆の不安は増大しつつあった。また仏教界も僧兵・強訴の台頭によって退廃していった。このように仏の末法の予言が現実の社会情勢と一致したため、人々の現実社会への不安は一層深まり、この不安から逃れるため厭世的な思想に傾倒していった。

参考サイト等を参照すると、本来の末法思想が示唆する本質は、単なる終末論とは異なるようですが、極端な捉え方をして行き過ぎると「どうせ世の中は終わるのだから、どうしようもない」という思考停止の自暴自棄に走りかねません。これは、正しくないはずです。

ピンチにおちいった状況で、一か八か、うまくいけば一発逆転、うまくいかなければ破滅、こうなったら危険度MAXながらも一発逆転できる可能性がある方法に賭けてみよう、という極端な選択をしたくなる心理も、このことに通じます。

私たちは、生物として命を守っていくことを最優先しようとするDNAから、ポジティブな情報よりネガティブな情報に敏感に反応することが知られています。まずは、こうした終末論的な発想になりやすい性質を私たちが持っているということを、認識しておくことが必要だと思います。

そのうえで、同記事が指摘するように、ネガティブな情報が事実に基づいたものなのか、事実以外の悲観的な憶測に基づくものなのかを見極めて、冷静に評価することが大切だと思います。

2つ目は、自分の課題と自分以外の課題との切り分けです。

先日の投稿でも取り上げましたが、そのテーマが、自分が直接何か影響を及ぼすことのできる自分の課題なのか、自分が直接は何も影響を及ぼすことのできない自分以外の課題なのかを分けることが大切です。

例えばエルニーニョ現象による気温の上昇は、自分以外の課題です。一方で、例えば二酸化炭素排出量の実質ゼロにつながる身の周りの節電行動は自分の課題だと言えます。自分以外の課題に振り回されると何も行動できなくなります。両者を分けて、自分の課題に集中する姿勢が大切になります。

3つ目は、上記2つの視点に沿って自分なりの思考力を働かせた上で、自分の課題に取り組むことです。身の周りの節電行動でできることは何かを見つけて、取り組めばよいというわけです。

これと同じ事象は、私たちが所属している職場でも指摘できます。

「どうせ自分が何か頑張ったところで、組織全体が変わりようがない」「自分の身を置く職種はいずれAIに取って代わられる運命」など終末論的な結論を自分の中で出してしまい、思考停止・行動停止になることがあります。

無自覚だと終末論思想に引っ張られやすいものと認識する、事実と事実以外とで情報を分別する、事実情報に基づく自分の課題に集中する。仕事や生活の場面で持ち合わせておきたい視点だと思います。

<まとめ>
私たちは、無自覚だと終末論思想に引っ張られやすい生き物である。

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