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サピエンス全史から合成の誤謬について考える

知人が主催する読書会に、毎週日曜日参加しています。今取り組んでいる課題図書は、『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ氏著)です。全4部中、第2部に差しかかった段階ですが、表面的にしか知らなかったことへの理解が深まり、多くの気づきがあります。

同書の読み込みを通して、一貫して「合成の誤謬」が大きなテーマとして頭の中に浮かんできます。「合成の誤謬」について、ウィキペディアでは次のように説明しています。(ウィキペディアを引用しながら作成)

ミクロの視点では正しいことでも、それが合成されたマクロ(集計量)の世界では、意図しない結果が生じることを指す経済学の用語。

何かの問題解決にあたり、一人ひとりが正しいとされる行動をとったとしても、全員が同じ行動を実行したことで想定と逆に思わぬ悪い結果を招いてしまう事例などを指す。

例えば、家計の貯蓄などがこれに当たる。所得が一定の場合、一家計が消費を削減すると、必ず貯蓄額が増加する。これはミクロの視点において、一家計の支出削減は経済全体に影響せず、その家計の収入を減少させる効果はないと考えられているためである。そのため所与の収入において支出を削減すれば貯蓄額が増加する。

しかし、マクロの視点まで考えると状況が変わる。ある経済に属するすべての家計が貯蓄を増加させようと消費を削減した場合、貯蓄率は上昇するが、貯蓄額は変わらない。

ある経済主体の支出は、その相手方にとっては所得となる。したがって、家計全体が消費を削減した場合、その消費の相手方は全体としては同一の「家計全体」となるため、その所得が減少する。収入が減少するため、同一額の積立を継続しようとすれば貯蓄額が所得に占める割合は高まるので、貯蓄率は上昇する。これにより、家計の支出削減の努力は自らの収入減少に帰結する。

ほかにも、企業の借金の返済や人員削減、関税障壁による貿易収支の改善など、ミクロでは正しくてもマクロでは違う結果をもたらすものは多い。それは、ミクロのメカニズムが経済の一片における仕組みであるのに対して、マクロのメカニズムは経済全体の循環における仕組みだからである。

ミクロレベルでは合理的と考えられる個別の行動も、それが集まったマクロのレベルでは好ましくない結果となる、というわけです。消費を減らして貯蓄する、人員削減して人件費を減らし利益を確保する、といったミクロレベルの適切な取り組みも、マクロレベルでは望まない結果に集約されていく可能性があるということです。

これと同じ構図を、同書の内容でも感じます。同書では例えば、私たちの祖先が生きていくために、ミクロレベルでは最適と思える行動をとっていった結果、社会全体で考えると多くの動物の絶滅という結果を生み出したことを紹介しています。

同書の第1部第4章から一部抜粋してみます。

オーストラリア大陸での絶滅の最大の被害者である大型動物は、繁殖に時間がかかる。妊娠期間が長く、一回の妊娠で生まれる子供が少なく、次の妊娠までの期間が長い。その結果、人類が数ヶ月に一度、一頭でもディプロトドンを殺せば、それだけでディプロトドンの死亡数が誕生数を上回ってしまう。数千年のうちに、最後の孤独なディプロトドンが死に、それとともに、種全体が死に絶える。

戦争や人口増加の圧力、自然災害などで北へ追いやられた集団もあったかもしれない。だがそれよりはもっと前向きな理由、たとえば動物性脂肪などによって北へと誘われた集団もあっただろう。北極圏の土地は、トナカイやマンモスといった、大型で肉付きの良い動物で満ちあふれていた。マンモスを一頭仕留めるごとに、大量の肉(気温を考えれば冷凍保存しておいて、毎日食べることさえ可能だった)や、美味な脂肪、暖かい毛皮、貴重な牙が手に入った。

スンギルでの発見が実証している通り、マンモス狩猟民は凍てつく北の地方でたんに生き延びただけではない。彼らはおおいに繁栄していたのだ。時が流れるにつれ、サピエンスの集団はマンモスやマストドン、サイ、トナカイを追って広範に散らばっていった。

(中略)3000万年以上にわたって栄えてきた剣歯虎は姿を消し、オオナマケモノも、巨大ライオンも、アメリカ原産の馬も、アメリカ原産のラクダも、巨大な齧歯類も、マンモスもいなくなった。何千種という、もっと小さい哺乳類や爬虫類、鳥類、さらには昆虫や寄生虫さえもが絶滅した。

大型動物を捕獲するという、自身と自身が属するコミュニティがより豊かな状態で生き抜くための最善の行動が、それらの絶滅を招いてその行動がとれなくなるという結果につながっています。

一方で、当時のサピエンスが特別悪いというわけでもないと思います。自分たちの生存のためによかれと思った方向へ進んだ結果です。この点では、ほかの動物と何ら変わりません。

合成の誤謬は、昔から様々な場面で脈々と繰り返されてきた、人類の抱える永遠の課題テーマなのかもしれないと思います。年々、動物も含めた地球環境保全の課題感が大きくなっています。個別の経済活動の追求や、「少し暑いからエアコンを」といった行動が、社会全体のレベルでは望まない結果になることが想像できます。

そのうえで、私たちにはほかの生物にはない、社会全体を俯瞰して見ることのできる能力を持っています。それも年々高まっている能力です。

4月19日の日経新聞で、「マテリアル・パスポートの衝撃」というタイトルの記事が掲載されました。マテリアル・パスポートといった発想や仕組化ができることも、人類の優れた能力の一面を表していると思います。一部抜粋してみます。

これまでの経済システムを根本的に変革する可能性を秘めた取り組みが欧州で静かに進行中だ。オランダの建築家トーマス・ラウ氏が考案・提唱する「マテリアル・パスポート」である。マテリアル(素材や原材料)一つ一つにID(パスポート)を付与し、経済システムの中で永遠に循環させようとする試みで、建築の分野で先行して実践されている。

まず、使用される資材の量や性質などの詳細を文書化し、「マダスター」というプラットフォームに登録・保存する。登録された資材のデータや市場価格をもとに、建築物の金銭的価値が算出される仕組みだ。建築物が解体されれば、パスポートを持った資材たちは次の建築物へと旅してゆく。資材の価値が高く保てるよう、建築物は取り外しやすいように設計される。

思想家でもあるラウ氏は、「人類は地球上の一時的なゲストに過ぎず、有限な資源に対する責任を持つべきだ」と主張する。廃棄物を「アイデンティティーをもたない素材の集合体」であると定義し、パスポートによって素材にアイデンティティーを付与することで、資源としての価値を回復させる狙いだ。

建築物は、マダスターに登録された資材の市場評価を通じて、資源の貯蔵庫(デポ)であることを超えて、経済的価値を持った「バンク」にもなる。これまで解体コストを支払っていた建物の所有者は、資材の価値により利益を得ることもできるのだ。

ラウ氏は、オランダのフィリップス社で採用され、一躍有名となった「プロダクト・アズ・ア・サービス」の発案者としても知られる。製品を所有するのは生産者のままで、消費者は生産者から製品をいわば借り受け、サービス対価を支払うというビジネスモデルである。マテリアル・パスポートは、この発想を「マテリアル・アズ・ア・サービス」へと飛躍させる。

そこでは消費者も生産者も、マテリアルを一時的な使用のため借り受け、サービス対価を支払う立場となる。所在地を特定された素材や原材料は、使用が終わると次の生産者・消費者に借り受けられるか、供給者に戻されて再加工の後に再び製品として使用される。結果、これまでの原材料から素材、製品へと価値が創造されてゆくバリューチェーンに、製品から素材、原材料へと価値を保存しながら元に戻してゆく「価値保存」のバリューチェーンが加わることになる。

マテリアル・パスポートのコンセプトは建築物ではイメージしやすいものの、一般の製品への応用は容易ではないだろう。しかし、いつの時代も革命は常識をいとも簡単に塗り替える。新たな経済モデルの胎動は、静かに、そして着実に始まっている。

マテリアル・パスポートは、ミクロのレベルで生活を豊かにしたいと考える人類全員と、マクロの社会全体の環境維持をこれまでより両立させやすくする、進化した仕組みになるかもしれないと予感させます。(このことによって、社会全体では想定しなかった新たな影響も出てくるのかもしれませんが)

個別の合理的な行動は必要です。そのうえで、自身の行動が社会全体でどのような影響があるのかも想定しながら、合成の誤謬回避のためにできることがあれば協力する。そのような視点が、これからの企業活動でもさらに求められるのではないかと考えます。

もっと身近な視点としては、いち個人が自身にとって合理的と考える行動が、属する企業などの組織全体で好ましくない結果になっていないか、と応用することができます。

<まとめ>
ミクロレベルの合理的な行動は、マクロレベルでは好ましくない結果となることもある。

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