知人が主催する読書会に、毎週日曜日参加しています。今取り組んでいる課題図書は、『サピエンス全史』(ユヴァル・ノア・ハラリ氏著)です。全4部中、第2部に差しかかった段階ですが、表面的にしか知らなかったことへの理解が深まり、多くの気づきがあります。
同書の読み込みを通して、一貫して「合成の誤謬」が大きなテーマとして頭の中に浮かんできます。「合成の誤謬」について、ウィキペディアでは次のように説明しています。(ウィキペディアを引用しながら作成)
ミクロレベルでは合理的と考えられる個別の行動も、それが集まったマクロのレベルでは好ましくない結果となる、というわけです。消費を減らして貯蓄する、人員削減して人件費を減らし利益を確保する、といったミクロレベルの適切な取り組みも、マクロレベルでは望まない結果に集約されていく可能性があるということです。
これと同じ構図を、同書の内容でも感じます。同書では例えば、私たちの祖先が生きていくために、ミクロレベルでは最適と思える行動をとっていった結果、社会全体で考えると多くの動物の絶滅という結果を生み出したことを紹介しています。
同書の第1部第4章から一部抜粋してみます。
大型動物を捕獲するという、自身と自身が属するコミュニティがより豊かな状態で生き抜くための最善の行動が、それらの絶滅を招いてその行動がとれなくなるという結果につながっています。
一方で、当時のサピエンスが特別悪いというわけでもないと思います。自分たちの生存のためによかれと思った方向へ進んだ結果です。この点では、ほかの動物と何ら変わりません。
合成の誤謬は、昔から様々な場面で脈々と繰り返されてきた、人類の抱える永遠の課題テーマなのかもしれないと思います。年々、動物も含めた地球環境保全の課題感が大きくなっています。個別の経済活動の追求や、「少し暑いからエアコンを」といった行動が、社会全体のレベルでは望まない結果になることが想像できます。
そのうえで、私たちにはほかの生物にはない、社会全体を俯瞰して見ることのできる能力を持っています。それも年々高まっている能力です。
4月19日の日経新聞で、「マテリアル・パスポートの衝撃」というタイトルの記事が掲載されました。マテリアル・パスポートといった発想や仕組化ができることも、人類の優れた能力の一面を表していると思います。一部抜粋してみます。
マテリアル・パスポートは、ミクロのレベルで生活を豊かにしたいと考える人類全員と、マクロの社会全体の環境維持をこれまでより両立させやすくする、進化した仕組みになるかもしれないと予感させます。(このことによって、社会全体では想定しなかった新たな影響も出てくるのかもしれませんが)
個別の合理的な行動は必要です。そのうえで、自身の行動が社会全体でどのような影響があるのかも想定しながら、合成の誤謬回避のためにできることがあれば協力する。そのような視点が、これからの企業活動でもさらに求められるのではないかと考えます。
もっと身近な視点としては、いち個人が自身にとって合理的と考える行動が、属する企業などの組織全体で好ましくない結果になっていないか、と応用することができます。
<まとめ>
ミクロレベルの合理的な行動は、マクロレベルでは好ましくない結果となることもある。