先日、ある企業様を訪問する機会がありました。同社様では、フラットなコミュニケーションを推奨していて、社員を「さん付け」呼びにすることをルールにしていました。
そして、7月19日の日経新聞の記事「キーエンス流 高給こそモチベ 楽に年収2000万円・1年目で高級車」で、「キーエンスでは、社内では誰に対しても敬語で話す文化がある」という内容があり、「さん付け呼びに加えて、敬語をルールにしているのか」と話題になりました。
同記事では、同社の現役社員とOBの計4人を招いて本音を語ってもらうという、座談会形式の内容でした。同記事の一部を抜粋してみます。
タイトルが「楽に年収2000万円」とありますが、決して楽なわけではなく、そうした結果を生み出すための相当な取り組みをしているはずです(記事中の内容にも、そのことが垣間見えます)。あるいは、本人にとっては楽(簡単)と感じることであっても、他者にとっては簡単どころかたいへん難しいということもあると思います。
そのあたりのことについては、同社に関する書籍をはじめいろいろなところで説明されている内容もあり、ここでは対象とせず、同記事の座談内容に関連して別の2点について考えてみたいと思います。ひとつは、ルールや決め事、それに沿った行動の中に、徹底して合理性が感じられるということです。
座談内容からは、いろいろなルールが細かそうで、その徹底を要求される文化の印象を受けますが、一つひとつに明確な理由づけがなされていそうです。行動管理も分単位でなされていて、動き方で生産性が悪いと判断されれば改善のアクションを取ることになるのでしょう。
同社の採用するルールがその方面で唯一の正解かどうかはともかく、「自社としてはこういうポリシーでこういうルールにするから、しっかり守るように」という規律がしっかりしている。そうしたルールに至った背景で合理的な考察がなされている、ということは言えそうです。
もうひとつは、他者(特に若手人材)に対して寄り添う姿勢が感じられる(いろいろな個別事象はあるのかもしれませんが、少なくともポリシー上は)ということです。
話し言葉をどうするか、誰に対しては敬語なのか/普通形で話すのかは、正解というものはなく個人次第の面もあります。そのうえで、同社では誰に対しても敬語を使うのが基本となっているというわけです。
言葉遣いがコミュニケーションを決定づけるすべてではありませんが、影響を与える要素ではあります。敬語を義務付ける効果としては、相手に対する敬意を忘れにくくなる、厳しい指摘内容でも相手が受け止めやすくなる、なれ合い文化になるのを防ぐ、などが想像できます。厳しい指摘をしつつも、メンバーが成長できるよう自分が出来ることを一緒に行動する、という人材育成の文化も、同記事からは垣間見えます。
そうしたルールに賛同できない、もっと自由度の高い環境で働きたい、ということであれば、やめればよい。それ以前に来なければよい。そのかわり、組織の是とするポリシーに賛同してついてきて成果を上げることができれば、他社では得られないような高給とビジネスパーソンとしての価値ある思考力・行動習慣の習得が待っている。このような信念が聞こえてくる気がします。
自社なりの合理性を追求する、それを決め事として規律化する。参考にするべきポイントとしてあげられると思います。
ちなみに、同記事に掲載されていた図表「キーエンス流の働き方」について、下記にご紹介します。
なお、さん付け呼びについては、以前投稿した下記もご参照になれば幸いです。
<まとめ>
自社なりの合理性を追求し、それを決め事として規律化する。