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食料安全保障を考える

7月5日の日経新聞で、「食料安全保障の論点(下) 農地規制撤廃で効率向上へ」というタイトルの記事が掲載されました。農業をテーマにした内容なのですが、農業以外の事業にとっても参考になる示唆があふれる記事だと感じます。

同記事の一部を抜粋してみます。

5月に改正された食料・農業・農村基本法も食料安全保障を前面に押し出した。改正法では、食料安全保障を「良質な食料が合理的な価格で安定的に供給され、国民一人一人が入手できる状態」と定義している。これは国連食糧農業機関(FAO)の定義に沿ったものだ。

それぞれの国・社会はその供給網のどこにボトルネックがあり、食料の安全保障がおびやかされるのかを分析しなければならない。

現在の日本の食料安全保障体制に対する国際的な評価は悪くない。英エコノミスト誌の関連組織であるEconomist Impactが、世界113カ国を対象に世界食料安全保障指数(GFSI)を公表している。「手頃な価格」「入手可能性」「品質と安全性」「持続可能性と適応」という4つのカテゴリーで、68項目の要因に基づいて計測したものだ。

日本はこの指数で113カ国中の第6位(2022年)。国内では食料安全保障の指標として食料自給率が取り上げられ、低さが問題とされてきた。だが本来、自給率は食料安全保障への評価を表すものではない。

食料自給率は、市場で手に入る食品の中から消費者が選んだ食品の組み合わせの結果だ。消費者に選ばれた国産品の割合が、現在の38%という自給率だ。これを無視して食料自給率を高めようとすれば、消費者の選好を損なうだけでなく、国民の負担増を伴う。

国家の安全保障で軍備拡張を基本とすれば、防衛費が増えて国民生活が犠牲となることに似ている。国境を閉ざす国の食料自給率は高いが、その食は貧しい。食料自給率の向上が目的化し、豊かさが犠牲になるのでは本末転倒だ。

一方で、平時とは異なる有事の際の食料供給体制を整えることは重要だ。改正基本法に合わせて6月に成立した「食料供給困難事態対策法」は政府が重要とする食料や必要物資を指定し、世界的な不作などで供給が大きく不足する場合、生産者にも増産を求める。

しかし、それだけで不測時に対応できる体制になるとはいいがたい。そもそも食料の安全保障は農業政策のみで解決できる問題ではなく、エネルギーをはじめとする国家安全保障の一環として、総合的な法体系の中で議論すべき問題だ。

有事に備える食料安全保障体制の確立に欠かせないのは農業生産力の維持・確保だが、農業を担う労働力の減少と高齢化が著しい。2000年に240万人いた基幹的農業従事者(ふだん仕事として主に自営農業に従事している者)は、23年に116万人まで減少した。

数だけでなく、その中身が問題だ。75歳以上の割合は2000年では13%だったが、23年には36%を占める。65歳以上では70%を超える。一方、50歳未満の従事者は11%でしかない。

農業従事者の減少と高齢化は、農地の荒廃につながる。22年で約430万ヘクタールある耕地面積の利用率は91%で、1割近い農地が利用されていない。日本農業の持続的発展のためには、農地の維持・保全と効率的利用は最優先すべき課題だ。

農地の効率的利用を妨げているのが農地法だ。農地を耕作する農業者か、一定の要件を満たした法人(農地所有適格法人)でなければ農地を取得できない。賃借は可能だが、一般の株式会社は農地が取得できず、基盤整備などの長期投資が困難になっている。

原則耕作する人しか農地を所有できないということは、例えれば、サッカー競技場の所有権がそこでプレーするサッカー選手にしかないのと同じだ。このような規制は撤廃し、経営形態にかかわらず農地所有を認め、貴重な農地の効率的利用を図るべきだ。

農地の確保・保全は有事に国民を飢えさせないための必要条件だ。農地所有を自由化し、平時には効率的な農地利用を行い、有事には栄養効率を重視した生産体制に移行する法的整備とともに、農地所有者には農地保全を義務づけるなどの新たな制度が必要だ。

現在、日本の食卓は多彩で、それを支えるのは国内生産と輸入だ。質の高い国内農産物と、世界から食材が届く環境を守ることが平時の食料安全保障だ。肥料や飼料など、多くの生産資材も輸入に依存する。国内生産とともに安定的な輸入を確保することも、食料安全保障の大きな柱だ。

同記事の示唆する通り、私たちは「食料安全保障」と聞くと、「食料自給率」を連想します。自給率の高い状態の実現が、食料安全保障の決定的な要因だと認識しているからです。そして、日本は自給率が低い、よって食料安全保障が確立されていない、と連想します。

しかし、(英エコノミスト誌という民間組織による格付けではありますが)食料安全保障の格付けでは、日本は世界の最上位に位置するということです。上記の連想から、このことに対して意外な印象を持つ人も多いのではないでしょうか。

同記事を、私たちの身の回りにおける事業活動に置き換えて、2つの視点でとらえてみます。ひとつは、適切な指標の選定です。

自給率が高ければ高いほどよい、と私たちはイメージしがちです。理想は100%とイメージするかもしれません。しかし、同記事の示唆のとおり、(もちろん自給率が高いことは悪いことではないものの)改めて考えてみると平時の自給率100%は理想の状態では必ずしもないことに気づきます。

自給率100%は、国境を閉じて国内でとれる農産物だけで無理くり賄っている場合です。あるいは、国内の農業生産力が驚異的に高く、私たちが食べたいありとあらゆるものを生産しても食べきれず、他国に輸出できている状態です。前者は論外だとして、後者も必ずしも望めない状態のはずです。すべての食材や原材料を国内だけで生産・調達するのは、無理があるからです。

もしこれを無視して食料自給率を高めようとするならば、同記事の示唆のとおり、私たちが食料生活で大幅な不利益と負担増を受け入れなければならなくなります。それは目指すべき状態でもないでしょう。

同記事は、「食料自給率はあくまで経済活動の結果であって、分析対象ではあるが、それ自体を目標とすべきではない」と説明しています。食料自給率は重要な指標ではありながらも、最終目的地として適した指標にはならないのではないかということです。

2つ目は、ボトルネックの特定です。

目指すべきは、自給率の向上よりも、食料の「手頃な価格」「入手可能性」「品質と安全性」「持続可能性と適応」を広く安定させることにつながる、エネルギーなど含めた国際供給網の構築、有事の際には限られた食料の選択肢で生命を維持するための自給を可能にできるセーフティーネットの構築、と考えられます。

貿易相手国との友好関係の維持、国際輸送網の拡充、国際機関での旗振りや貿易交渉の底上げなど、取り組むべき課題はいろいろありそうです。そのうえで、どこが今最も優先順位が高く、(現在の日本は良好な状態ながら)将来の食料安全保障を脅かすボトルネックとなり、それに関連する課題感が大きいのか。同記事を手がかりにすると、次のように想定されるのかもしれません。

ボトルネック:今ある有効な農地が活用・維持できておらず、有事の際の十分な食料生産基地になり得るポテンシャルとして成立していないこと

対応する課題:新たな生産の担い手への農地解放(規制緩和)と、農地面積:生産者の比率をより効率化させ限られた生産者で成り立たせるようにすること

私たちの事業活動でも、同様の視点は当てはまると思います。

直接追うべき指標としてずれたものを採用したり、ボトルネックの領域を認識違いしたりしてしまうと、効果があまり出ない、あるいは目指すべき状態から離れてしまうと活動を追うことにもなりかねません。

目指すべき状態、追うべき指標、それらの実現を遠ざけているボトルネック。それぞれ、適切に見出していくことを求めたいところです。

<まとめ>
活動の拠り所とするべき指標、最も問題となるボトルネックを、適切に見出す。

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