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どこに根を生やすのか

先日、友人が主催する「知心会」の定例講に参加する機会がありました。

今日は、その機会に感じたことをテーマにしてみます。

「知心会」について、同会サイトで「今の日本に失われつつある「道徳」「倫理」「相互扶助の精神」を力を合わせて取り戻す為の取り組みをする」と紹介されています。以下、同サイトから一部抜粋してみます。

「知心会」という名前は、真言宗の宗祖・弘法大師の教え「如実知自心」からインスピレーションをいただき名付けました。「実のごとく自心を知るなり」つまり、ありのままの己の心を知るという意味です。

己の心をしっかりと観よう。
そして知ろう。
己の中にある仏の姿を。
恨んだり、憎んだり、妬んだり、すぐ腹を立てる怒りの心が、本当の己の心ではない。
殴ったり、苛めたり、無視をする態度が、本当の己の態度ではない。
悪口や、嘘を言って人を騙したりする言葉が、本当の己の言葉ではない。
本当の己の姿は、優しく思いやりがあって共に助け合う姿なのです。

「知心会」は今の世の中に疑問を持ち、自ら変化しようという言わば求道者(悟りや真理を求めて修行や精進をする人)達に、智慧と仲間の集う場所を提供したいと考えています。

私が参加した日の定例会では、いくつかのトピックがあったのですが、そのひとつが「地」でした。以下の問いかけがあり、「地」をテーマに考えました。

人は大地に命を持たず生を受け生きて行く。
命は自ら感じ決めるもの。
貴方はいったい何者なのか 誰の為のあなたであるのか 誰の為に何の為に生きるのか。
命は貴方が自ら感じ決めるものである事を知る。
地は命ある者に恵みを施すことを知るべし。
地に立ち輝く心 弾む心を持ち続ける事のみ あなたの一生を輝かせる根源なり。

言葉の一つひとつが重く、思わずうなずかされます。そして、次のようなお話がありました。

私たちは、植物のように大地に根を生やして生きているわけではない。植物は大地に根を生やして粛々と生きていける。しかし、人間は考える生き物だから悩む。大地と命が直接つながっているわけではないので、どこにでも行けてしまう。どこに根を生やすのか、どんな根を生やすのか、どんな場所にしっかりと腰を落ち着けて生きるのかは、自分で決める必要がある。

どこにどんな根を生やすのかは、言い換えると、何のために生きるのか、誰のために生きるのかを決めること。

何のために生きるのか、誰のために生きるのかを考えるには、星を知る必要がある。自分はどんな星のもとに生まれているのか。この問いは、両親からさかのぼり、どんな歴史を紡いで自分があるのかを知る必要がある。

そして、「自分のため」だと根が生えない。「他の誰かのため」が、私たちにとって植物の養分にあたる。「他の誰かのため」で地から恵みを施される。

運気をあげる人、成功する人は、意外と普通である。ただ、やることが徹底している。何かに根を生やして、地味なことを徹底してやっている。すごいと思う人の共通点は、勤勉で地味である。凡事徹底で、当たり前のことを当たり前でないようにやっている。

一生懸命根を生やす場所がどこかを決めるのを通して、自分が何者なのかについて考えるということは、とても参考になる視点だと感じました。根を生やすところを決め、一度根を生やしたら凡事徹底。何かが実を結ぶには、結局これしかないようにも思います。

知心会には「二十則」があります。そのうちの2つは、次の通りです。

・相手が100:自己都合0相手都合100で考える。相手の都合に合わせて自分を変える。

・信念を問う:自分はどうなりたいのかを自分自身に常に問う。イメージ出来ないことは叶い様がない。

誰のために生きるのかを決め実践するというお話は、この2つにも通じるものがあります。

2時間の定例講でしたが、自分を見つめ直す貴重な機会になったと感じます。現パナソニック創業者の松下幸之助氏が自己観照の大切さを説いていましたが、その自己観照に集中する2時間だと言えるのかもしれません。

自分ひとりで自己観照できる人は、それでよいでしょう。そのうえで、私を含め多くの人は、1人で自己観照を行うことは難しいものです。他者と共通の場を共有しながら、一歩先に自己観照を行うことを始めた方からその知恵の共有を受け合って進めていくことは、有力な方法だと思います。同会は、その1つの場の例だと思います。

己の心をしっかりと観る時間。日常生活の中で、定期的に必要だと感じた場でした。

<まとめ>
どこに根を生やすのか、どんな根を生やすのかを、決めて取り組む。

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