冷に耐え、苦に耐え、煩に耐え、また閑にも耐える

2月13日は、安岡正篤氏のご生誕日でした。

安岡氏は、日本の政財界のリーダーの啓発・教化に努め、その精神的支柱となり絶大な影響力を発揮した方です。没後35年たった今でもその人格が慕われて、その「人間力」が多くの人に影響を与え続けています。

書籍「人間学入門」(致知出版社)に、豊田良平氏(コスモ証券元副社長)と新井正明氏(住友生命保険元社長)による「安岡正篤先生が遺した言葉」の対談が収められています。同対談においても、安岡氏の遺した言葉である「四耐四不」について取り上げられています。

致知出版社様サイトでは、「四耐四不」について次の通り紹介されています。

よく一隅を照らす者にして初めて、よく照国することもできるのである
冷に耐え、苦に耐え、煩(はん)に耐え、また閑(かん)にも耐えて、激(げき)せず、躁(さわ)がず、競(きそ)わず、随(したが)わず、自強してゆこう

「四耐四不」は、もともと中国清代末期の軍人、政治家である曽 国藩氏の言葉で、安岡氏が著書で紹介したことで、日本でも知られるようになったそうです。

冷、冷たい仕打ちや誤解に耐える。
苦、まさに苦しいことに耐える。
煩、忙しさや煩(わずら)わしいことに耐える。
閑、静かなことに耐える。

同対談では、「人に親切にするためには、煩に耐えなければいけない。そういうことを、面倒くさがっていたらダメ。煩も喜びとして受け止めていく。静かな時を喜びなさい。お蔭で英気を養えるから」と話されています。

これらのことに耐えながら、つまらないことに腹を立てず、うまくいったからといってはしゃがず、無駄なケンカはせず、かといって何でも言いなりにならない。

牢の中にいる罪人まで巻き込んでともに学び、牢屋さえ教室に変えていった吉田松陰氏は、それこそ四耐四不の体現者と言えそうです。

これだけのことが徹底できている人はそうはいないと思います。私なども全然足りておりませんが、「こうした考え方が大切で、少しでもできるように自身の行動を振り返る」ことがあるだけでも、安岡氏の提唱する理想の生き方に少しでも近づけるのではないかと思います。

同対談では、安岡氏から「新しい」ということについて、次のように教わったと書かれています。(一部抜粋)

新というのは、「辛い」って字があるでしょ。その下に木を書く。つくりのほうはね、斤ね。つまり斧(おの)で木を切るとつらい。そこに新しいものができるんだから、新しいものはそう簡単にはできないということを先生から教わりました。だから、それは辛苦である、額に汗をたらしてやらないと新しいものはできない

言われてみると、新という漢字が、辛、木、斤で構成されていることに気づきます。つまりは、斧を打ち込み続けて木を切っていくのはたいへんな労力がかかる、しかしそれを乗り越えないと新しいものは生み出すことができない、というわけです。

そして、対談は、「知識、見識、胆識」に話が及びます。

単なる知識ではいけない、それを見識、胆識にまで高めなければならない。理想に照らしての現実の反省、批判、取捨選択、それが見識。胆識というのは、物事をなす場合に、抵抗、障害を乗り越えて、とにかくどうしても実行して、それを必ず達成する。それが胆識

見識に基づいての適切な決定ができても、いざ実行となると抵抗障害が出てくる。それを突破するために胆識が必要というわけです。

以上を私なりにまとめてみると、次のようになります。

・新しいことを始めるにあたっては、
・木を斧で打ち続けて切り倒すがごとく、
・四耐四不の精神で、
・胆識でやりきらないと、形にはならない

私たちは、基本的に変化を嫌う生き物です。新しい世界を求めて変化を実現するには、やはり相応のたいへんな過程を経なければならない。そのことに改めて気づかされました。

続きは、次回取り上げてみます。

<まとめ>
新という漢字は、辛、木、斤で構成されている。

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