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ウクライナの戦争に見る国民の責任

 ウクライナの戦争で世界の常識は変わる。 
 というのが、おおむねの見方だ。
 私もそう思う。
 
 今回の戦争はウクライナとロシアの戦争ではなく、プーチンの戦争だと言われる。明らかに意味の無い戦争で、ウクライナのみならずロシアも国家としての滅亡の危機に瀕している。
 従って、ウクライナ国民とともに、ロシア国民も被害者だと言われている。情報統制され、何が起こっているかわからないうちに、経済制裁を受けて、生活困窮に向かっているロシア人もまた、被害者であると言うことだ。

 だがそれは本当だろうか。

 誰が悪いかを突き止めても意味は無いのかもしれないが

 間違いの無いように前置きしておくが、私はロシア人個々人を責めるつもりはない。おそらく前述のように、ロシア人はこれからかなりの被害を受ける。彼らはプーチンの始めた戦争に翻弄される。
 また、日本国内にいるロシア人を責めるつもりもない。世界の情報に接し、1日も気の休まらない日々を送っているであろう彼らを、責める意味は無い。
 ただ、国家としてのロシアと、国民としてのロシア人については、(マクロ的に)本当に罪はないのかとは思う。
 そしてそのことはロシア人に限ったことではない。日本人にとっても、決して他人事ではない。

 冷戦時代、ソ連にはスターリンという独裁者がいた。
 ウクライナがらみなら、当時ウクライナはソ連の一部であったので、収穫した穀物をほとんどロシアが回収し、売却することで外貨を得ていた。そのためちょうどこの地域が不作になったとき、ウクライナは目の前に収穫した穀物があったのに、それをすべてソ連に奪われ、歴史に残る飢饉に遭遇した。このとき、死んだ人間の肉を食べて飢えをしのいだと言われるほどひどい状況だった。ホロドモールといわれる大飢饉の話だ。

 詳しい話は、映画も文献もあるので、見てみるとよいと思う。
 スターリンの独裁ぶりは、何もウクライナに限らずロシア国内でもあり、ソ連邦全体に及んでいて、数々の悪しき逸話が残っている。

 その後も、ソ連邦には独裁的な政権が続き、言論統制が行われ、政府に反対する者は投獄され、拷問され、殺されるというのが、日本人である私の常識だった。
 
 日本も、第二次世界大戦中は、似たような言論統制があり、反政府的な発言によって投獄されることもあった。投獄後に拷問を受けて死んだ人間もいた。独裁的な政権は世界各国にあり、(有名なのはヒットラー率いるナチス)同じような弾圧がなされていたが、第二次世界大戦の敗戦国だったドイツと日本、イタリアは、敗戦後状況がだいぶ違っている。
 少なくともこの3つの国において、国内でこれほどの情報統制は行われていないし、政権に反する意見は権利として認められている。
 少なくとも日本は、第二次世界大戦後現在まで戦争を起こしていない。

 一方、ソ連邦の内部では情報統制と弾圧が行われた。
 ソ連邦が解体して、連邦の諸国が独立して、民主主義が確立していった過程で、日本と同じように言論の自由が確立された地域もあったはずだが、ロシアはそうでもなかったようだ。細かく言えば、グラスノスチという「改革開放」路線が行われた時代(ゴルバチョフ書記長の時代)ソ連の共産党は瓦解し、ソ連邦が解体したわけだが、それからしばらくの間、言論統制は緩んでいたようだ。
 この時代を比較的自由にものの言える時代だったという話を聞いたことがある。
 しかしロシア自体は経済的に行き詰まり、ここで登場したのがプーチンで、体制を立て直し、国を豊かにしたので、現在に至るまでロシアにおいて支持者が多いという。

 だが、プーチンは当初から言論統制をして、プロパガンダを流し続ける政策をとっている。一方では経済的な復興をなしえたのだろうが、他方では言論の自由は封じている。かつて、ソ連邦で同じような圧政であるが、一度解放された後で、また元に戻ってしまったわけだ。それでもロシア人はプーチンを選んだことになる。
 理由は様々だろう。
 社会の秩序が失われ、貧困と混乱が続き、治安が乱れ、ひどい状態だったソ連邦解体後の社会で、なんとかそこから、平穏な日常を取り戻すことができたことは、言論の自由より重要だと考えたとしても、その心情は想像することはできる。こうした感覚は、日本人にもあると思う。
 しかし、圧政がひどくなり、その後チェチェン、クリミアと侵攻を重ね、チェチェンとシリアでは、相当ひどい虐殺をしているにもかかわらず、ロシア国民はプーチンを支持し続けている。

 プーチンが圧政を引いているので、反対したくてもできないという向きもあるだろうが、現実はそうでもないように思える。

 ウクライナの戦争に当たって、多くの情報が飛び交っているが、ロシアという国がどういう国なのかという話もずいぶん聞くようになった。すると、ロシアには情報統制が取られていると言っても、中国のそれよりは少し緩いようで、たとえば「テレグラム」を使えば、かなり広範囲の情報を見ることができるようだ。そこにはウクライナが発している戦争の状況に置ける情報もあるし、NATO側、アメリカ側の情報もあるらしい。取ろうと思えば、様々な情報を得られるツールは存在しているのに、結局多くの人がそれを見ようとしない。もしくは見ても目をつぶっている。

 私の両親は、第二次世界戦争を体験していたが、その頃のことをよく話していた。
 その当時はなんとなく聞いて、そんなものかと思っていたが、今回ウクライナの戦争に際して、少し見方が変わった。
 私の両親はそれほど特別な人間ではない。ただ、彼らの両親の仕事上、また環境故に、それなりの情報を得ていた。たとえば、戦争の後半になると、兄弟の同級生が既に軍人になっていて、その人達が個人的に集まって食事などしているときに、既に日本が戦争に勝ち目がないことを漏らしていたりする。
 実際のところ、戦争が進むと国内の物資はどんどん不足して、サツマイモを掘ると、その油を取って飛行機を飛ばしたという。寺の鐘が供出される。それどころか、個人の家の鍋釜まで供出される。飛行機を作る金属が不足していたからだ。
 当たり前のことだが、一般人の鍋釜まで集めないと飛行機が作れないような状態で、戦争を続けることは愚かだ。そんな状況ではない。
 当然勝てるわけがない。

 ウクライナがロシアより軍事的に弱いはずなのに善戦しているのは、アメリカをはじめとしたNATO加盟国から、軍を鍛えられ、かつ、大量の武器を供与され、情報を供与され、資金を供与されているからだ。資金と物資が潤沢に供与されなければ、戦争には勝てない。
 日本はそれがなかったのだから、国民個人の立場でも、当然この国が勝てないだろうことはわかったはずだ。
 多くの人がそれを知っていながら、知らないふりをしていた。
 国のプロパガンダを聞いて、それを信じたというより、取りすがったのだと思う。日本が負けるとしたら、この先どうなるかという不安から、耳に優しい言葉に身をゆだね、つらい日常を少しでも意味のある日常だと誤解したかっただけだろう。
 皆が1つのことに向かって一丸となっている気分は、高揚感がある。
 両親も、あの当時、今よりずっと高揚感があったと語っていた。そういう高揚感が、苦しい日常を忘れさせてくれていたとすれば、そこに水を差す話など聞きたくないのもうなづける。
 それでも両親は、高揚感はあったが、戦争は駄目だろうと思っていたようだ。両親の両親もそのように考えていた。だがだからといって反戦運動したわけでもなく、政府の言うとおりに日々を送っていた。身近に戦争に行った人がほとんどいなかったことと、空襲で死んだ人がいなかったことで、2つの家族は沈黙のうちに戦争を乗り越えた。

 私がよく覚えているのは、母の語った東京大空襲の話だ。
 当時、空襲があることは事前に知らされていた。米軍がビラをまいたからだ。母の父親はそれが本当だとわかっていたようで、(何かしらほかの情報をつかんでいたのかもしれないが)前日に出張先から連絡してきて、今夜は田舎の家の方に移っているように言われ、母と、母の姉、母親(私の祖母)の3人は荷物を持って郊外の家に移動した。
 その夜は空が真っ赤になっていたそうだ。
 3人が住んでいたのは下町だったから、その夜はひどい空襲だった。

 翌日だったか、家を見に行くことになって、母と、母の姉はふたりで家の方に行ってみた。焼かれた街はひどい惨状だったようだが、そのとき、あちらにもこちらにも黒いゴム人形が転がっているのが見えたそうだ。それがよく見たら焼け死んだ人だった。真っ黒で、ゴムの人形かマネキンのようにしか見えなかったそうだ。自転車に乗ったまま倒れて、そのまま黒くなった遺体もあった。

 母はそのことを、いつも淡々と語るので、私はその言葉通りに記憶している。でも後で考えたら、相当の惨状だったとわかる。

 最近ウクライナでは、ロシア軍が撤退した後、町のあちらこちらに虐殺された人間の遺体が発見され、ジェノサイドだと大騒ぎになっている。
 東京大空襲は拷問ではないが、虐殺ではあるだろう。そこが住宅地であることをわかっていて、あれだけの空襲をしたのだから。

 そんな状態になっても、日本では一般市民による反政府デモとか、反戦デモとかはほとんど起こらなかった。戦争が終わるまで日本で政府を転覆させるための一般市民による運動は起こらなかった。
 当時の日本は今のロシアぐらい言論統制があり、警察が国民を監視していたけれども、だからといって、日本人が何も知らなかったわけではない。私の両親が特別だったわけでもない。
 どの人も何かしら、その人の環境において、不信を感じ、日本がまずい状況に走っていることを感じていた。しかしそれを口にしなかった。
 目の前のささやかな幸せを守り切るためといっても、日本の場合、それも危うかったのだが、それでもほとんどの国民が踏み出すことをしなかった。

 日本は、今のロシアのように他国に侵攻した。
 そして負けて、アメリカの占領下に入る。
 
 日本が他国にした様々な戦争行為は、現在に足るまで様々な禍根を日本に残しているのはご存じの通りだ。

 そして日本は、第二次世界大戦から現在まで、戦争をしていない。
 少なくとも日本の政府は今まで、戦争という解決策をとらない政府であり続けた。言論統制もしなくなっている。完璧とは言えないまでも相当自由な言論が保証されていると思う。時間はかかったが、日本はそういう国になっている。

 だがロシアはどうだろうか。ロシアは今でも戦争をしている。言論統制が取られている。ロシア大衆は、今でも政府を転覆させようとしない。
 これは、「言論統制が取られているからだ」と結論づけられるのだろうか。

 確かに日本は戦後5年ほどアメリカの占領下にあり、その後も強い影響下にある。しかし、アメリカの影響下にあるだけで、今の日本が維持できるのだろうか。今思うと、日本政府は真逆に進むこともできたと思う。でもそうしなかったのは、国民の反感を恐れたからだろう。
 少なくとも今まで、日本の国民は戦争という選択肢を選ばなかった。

 ロシアが変わらずに今の体制でいるのは、本当に悪い独裁者のせいだけだろうか。1000人のデモは弾圧できるが、100万人のデモは弾圧できないという。本当に国民が立ち上がれば、政府は機能停止する。

 軍が全く動かなければ、プーチンが命じても、戦争は起こらない。

 そんな簡単なことではないというかもしれない。
 でもこれは一方の真実だ。

 そして、今まで日本は戦争をしなかった。
 でも、これからはどうなるだろうか。日本がロシアのように戦争を始めないためには、国民の力が必要だが、これはちょっとでも気を許すと、がらがらと崩れてしまう、危うい力でもある。日本が、そうならないと誰が言えるだろうか。
 そうならないために何をしたらいいのか。
 真剣に考えるべきだろう。

 ウクライナ戦争の一番の教訓だ。

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