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アニメ ぼくたちのリメイク

 アニメをよく見るのだが、今期「ぼくたちのリメイク」という作品がある。現時点は2016年で、勤めていた弱小映像会社が倒産し、失意のうちに実家に帰った主人公が、その後再就職に奔走すると、ひょんな事から、あこがれていた大手のゲーム会社に仮契約で雇われ、そこで力を発揮するが、しかし、プロジェクトが頓挫。またしても失業。

 もう一度家に戻ったところで、タイムスリップして、大学受験の発表当時に戻ってしまう。彼は一般大学の経済学部と、美大の両方に受かっており、しかしリアルタイムの当時は、夢を追いかけることに不安を感じ、一般大学に進んでいる。しかしその後やはり夢を忘れられずに映像会社に就職するも、件の末路をたどることになった。

 そこでせっかくつかんだチャンスに、今度は美大に進学することにする。

 主人公のリアルタイムでは、プラチナ世代と呼ばれる映像作家達が存在し、彼らは主人公と同じ歳だった。そして主人公が進学する大学に在籍しているはずだった。

 主人公はあこがれのプラチナ世代と同じ大学に通うことに期待をしながら、新しい人生のやり直しを始める。

 物語としては、タイムスリップもの、人生やり直し展開というジャンルだが、特徴としては、クリエーターの成長物語である事。明らかにこの作品を書いた作家自身の若かりし頃を彷彿とさせるような内容になっている。

 そしてもう一つ、主人公は現時点で28才なので、が戻ったのは10年前。2006年となる。

 彼は映像学科に進むわけだが、そこで課題としての映像撮影をする。友人4人と1つの作品を作るのだが、紆余曲折の末、撮影日当日、脚本担当が借りてきた機材の誤りが発覚。

 本来ビデオカメラを借りてくるところを、一眼レフを借りてきてしまったのだ。

 というところで、ふと疑問がわいた。

 今日であれば、ビデオカメラを一眼レフに間違えても、それほど問題はない。35ミリの一眼レフでも映像は撮れるからだ。デジタルカメラは、写真も動画も撮れる。

 だがそれが問題になるというなら、2006年はフィルムの時代と言うことになるのだろうか?

 答えは、すぐ出ていて、間違えて借りてきてしまった脚本担当がリストを確認すると、「デジタルビデオカメラ」ではなく「デジタル一眼レフ」の項目に○印がついている。つまり間違えて借りてきてしまったのだ。

 でも既に言ったように、デジタル一眼レフで映像を撮ればいいだけのことで、別に問題はない。

 この時代まだガラケーのようだから、スマホで撮影というのはないんだろうが、一眼レフカメラで撮影すれば、かなりきれいな映像が撮れるだろう。 

 フィルムと違って、デジタルカメラなら、モニターが出来るので、撮り損ねたら確認して、取り直しも出来る。

 何も撮影辞めてしまおうかなんて悩む必要はない。

 しかし、このシーン。この世の終わりみたいに全員が落ち込んでいる。そして主人公は、自分の人生を振り返り、「しょうがないよ」と言っている友人達を前に「いや、なんとかするんだ!」と叫ぶシーンで第2回が終わる。

 えっ?

 何をそんなに力んでいるのか。

 一眼レフで撮影すればいいじゃないの?

 どうせパソコンに取り込んで編集するんでしょ。。。。

 カメラがなんだってなんとかなるでしょ。。。。

 2006年当時は、違ったんだろうか。

 確かにフィルム時代なら、ビデオカメラ(磁気テープ)を借りるつもりで一眼レフを借りると、かなり大変な事になった。フィルムの一眼レフでは映像が撮れないからだ。

 確かに当時、ビデオカメラが小型化していたので、大きなカメラケースに収まっている状態で、きちんと確かめずに借りてきたら、ビデオカメラの代わりに一眼レフが入っていたという話はない事もない。(いや、学生がよくやる失敗だったような気がする)

 実はこのシーンの映像を見ると、ジェラルミンのカメラケースの中に、銀色の丸い缶状のものが2つ入っているように見える。

 当然これはフィルムと考えた方がいい。

 しかしこれがフィルムだとすると、もっとおかしいことになる。

 まず、ご存じの方は多いだろうが、一眼レフのカメラのフィルムは、既にマウントに入った状態で売られていた。光にさらして感光してしまうと使えなくなるのがフィルムなので、光が入らないように筒状の小さなマウントに35ミリ幅のフィルムが24枚分、もしくは36枚分ぐらいを筒状に丸めて収まっている。そのマウントごと、カメラの中に仕込んで、マウントのスリットから顔を出しているフィルムの端を引っ張りだし、カメラの中の巻取機にセットしてふたを閉めれば撮影が開始できる。

 しかしこのようなマウントに入った一眼レフ用のフィルムは、銀色の缶の中にしまわない。普通はマウントが紙の箱に入った状態で売られていて、それを何本か箱に入ったまま用意する。

 では銀色の丸い缶とは何かというと、実はフィルムの映像カメラ用のフィルムが入っている。こうしたフィルムは、だいたい3分ぐらい撮影できる分のフィルムを、コアと呼ばれるプラスチックの真の周りに巻き付け、そのままの形で缶の中に納める。缶から出すと感光してしまうので、カメラにセットするときは、暗室で行わないとならない。

 一眼レフは使いやすくするために、簡単に扱える特別のマウントで、最初からフィルムがセットされているのだが、映像の用のカメラは、フィルムを缶入りで買ってきて、自分でセットする。

 私もこれを使ったとき、最初から学校の暗室で納めてからカメラを持って行くか、外で(撮影する場所で)カメラに収めるかを選択することになったことがある。理想的にはちゃんとした暗室でカメラに収めた方がいいのだが、撮影中にフィルム交換するときはそうはいかないので、専用の黒い袋を使う。頭からかぶって、その中でフィルム交換をするのだが、当然真っ暗な中で行うわけだし、外だと光が入ってしまう可能性があるので、なるべく暗い場所を探して行う。

 真っ暗でまったく見えない状態で、手探りでカメラにフィルムをセットするのは結構大変で、何度も学校で練習した。(へたくそだったので、結局友達にやってもらったりした)

 アニメのシーンを見る限り、この映像用のフィルムがケースの中に入っていたように見えるのだが、だとすると、そもそも映像用のカメラと、一眼レフを間違えて借りてくる理由がわからない。映像用のフィルムカメラと、写真用の一眼レフでは、大きさが全く違うからだ。

 一眼レフは、フィルムが35ミリ幅あるが、これと同じ35ミリ幅の映像用のフィルムを使うカメラは、かなり大きい。重いし、当然ケースも巨大。

 35ミリの映像用フィルムは、価格が高く、現像費も高いので、学生が使うにはかなりの出費となる。

 私はもう少し幅の狭い、16ミリフィルムを使っていた。この方がフィルム台も安めで、カメラも少し小さくなるが、それでも一眼レフよりはかなり大きい。

 なお、この16ミリも授業で使っただけで、個人課題で使うときには、さらに小さい8ミリフィルムを使った。8ミリフィルムは既にマウントに装着された形で売られていて、カセットのようにカメラの空間に、ぽんと多さメルだけだったので、簡単だったし、カメラも小さくて軽かった。

 この8ミリカメラなら、一眼レフと間違えたと言われればいえないこともない。ケースの中に収まってしまえば、それほど差がないかもしれない。だがフィルムは、既にマウントに入った状態で、箱入りで売っていた。銀色の缶ではない。

 どちらにせよ、フィルム時代のカメラで、一眼レフと映像用のフィルムカメラを間違えるのは、映像について全く知らない人のやることで、映像学科に入って、脚本やろうというような学生が、それを知らないという事があり得るのだろうかと思う。まあ、うっかりミスならわからなくはないが。

 また、当時は市政でカメラを借りたりするとお金もかかるので、映像科のある学校の多くは、大学で無償で(授業用に)カメラや三脚、レンズなどを貸してくれた。そういうときは、授業名などを書かされるので、すると貸してくれる担当事務が、「これ、映像の授業でしょ。これは一眼レフだよ」なんて教えてくれたりする。

 箱の中身も見ないで持って行くおっちょこちょいはどこにでもいる。 まあ、何かしら理由があって設定されたシーンなのだろうし、単に、「デジタル一眼レフなら、ビデオカメラでなくても映像は撮れるよ」がオチになるのかもしれないが、しかし、ケースの中の一眼レフの横に描かれている銀色の丸い缶は何を意味しているのだろう。そもそも、一眼レフなら、紙の箱に入ったフィルムがありそうなものだが(あの缶の中に入っているのかな)

 

 後は余談だが、

 脚本担当の学生が、書いた脚本を変えたくないと怒り出し、課題条件の3分に収まらなくなるという下りがある。主人公は制作なのだが、「課題は3分だから、それに納めないと」と説得すると、脚本担当は、「いいものを作ろうって言ってたのに、その程度か。がっかりした」と捨て台詞を言う。

 このアニメの視聴者は学生なのかもしれないし、それだと共感を得られるシーンかもしれないが、プロの映像作家になったとき、3分の映像を作るのに、良い脚本を作ったら、3分に収まらないからそのまま納品するとしたら、次から仕事は来ないだろうなと思う。

 脚本でも小説でも、長さを規定されることはあって、それに収めるのが脚本家や小説家の力でもある。実際の所、優秀な作家は、時間に関してはいかようにも修正してくる。それが出来るのが当然だからだ。

 30分のアニメ枠で、40分のアニメを作ってきても放送できない。


 それから、もうひとつ。カメラ事情で思い出すこと。

 香港が返還される前後だったと思う。だから1990年代だ。

 香港の映画は質も量も高まりを見せていた時代で、単なるカンフー映画から、ヨーロッパの香りのする情緒的な良質な映画がたくさん作られている時代があった。香港資本が入った中国の映画も作られていて、いくつもの良質な文芸作品が作られた。

 その中で、ある著名な監督が、新発売のiPhoneで映画を撮ったことがあった。iPhoneだけで、映画を撮り、iPhoneだけで編集して作るなんて事があった時代だ。

 こうした映像はものすごく生っぽくて、新しかった。

 今では素人でも作れるようになったiPhoneの映像だが、当時としてはとても衝撃的で、でも逆に重たくて扱いの難しいフィルムカメラがなくても、映像は作れる時代の到来にどきどきしたものだ。

 あの頃は、日本でも香港映画ブームがあった。従来のカンフー映画ブームだけでなく、ハードボイルドや恋愛映画が盛んに作られていた。当時ハードボイルドを盛んに作っていた香港の監督は、後にハリウッドに進出して、「レッドクリフ」を作った。

 あのころは、香港映画の将来は、光り輝いていたんだが。。。。

 

 さて、来週の 「ぼくたちのリメイク」 は どうなるんだろうか。 

 

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