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小説を書くと言うこと

一番役に立つ指南本は


 過去に読んだ小説指南本の中で、もっとも適切な教えが書いてあったのは、スティーブンキングの本だった。
 『書くことについて』というその本を買ったとき、特に期待はしていなかった。作家の書いている指南本によくあるように、自分語りのエッセイだと思っていた。実際スティーブンキングはエッセイをよく書いているし、それが結構面白い。
 『書くことについて』も最初の1/3ぐらいは、まさにエッセイだった。彼の作品は結構読んでいて、彼が小説を書くに至るまでの人生もそこそこ知っていたが、それでもよく知らなかった少年時代、シングルマザーであった彼の母親や、兄の話が、非常に興味深く綴られていた。
 人がよくて、働き者で、愛情深く、最後まで誰かのために苦労ばかりしながら、少しも楽をすることなく死んでいく母親と、それを兄と二人で見送ったキング自身の描写は、思わずうるうるくるくらい、胸に詰まるシーンだった。
 もう一つ、彼が小説家になるために重要な出会いが、妻とのなれそめであった。妻の存在が、のちに彼を小説家へと誘うわけだが、そのあたりも事細かに書かれている。
 今まで知らなかったキングのディテールに触れることができて、私は満足しながら読み進めていた。

 だが1/3を過ぎた頃、突然この本は、小説理論になっていく。
 小説を書くために何が必要かと言うことが、サラサラと書かれ始める。
 そしてそれがまた実に的を得た話だった。
 小説を書いていて、必ず迷うところがある。
 例えば語尾の変化。ですます調でも、である調でもいいが、常に同じ言葉で行を閉めていると、だんだん変化をつけた方がいいんじゃないかと迷ってくる。付け加えるなら、形容詞の使い方もそうで、情景描写を入れるときに、ただあることをそのままに書いているうちに、なんか味気なく感じるようになって、ここに私的な心象風景を織り込んだ方がいいんじゃないかと言う強迫観念に駆られてくる。
 だがキングはそのどれもをあっさりと否定する。
 書くべきことは、簡潔な文章で、必要な情景だけである。
 語尾を飾る必要もないし、心象風景を織り込む必要もない。形容詞は増やしすぎてうまくいくことはない。必要最低限度、読者が情景を理解するぎりぎりのところでやめておいていい。
 彼は当然だが、英語で文章を書いているわけで、形容詞とか語尾とか英語の話なのだが、それがちゃんと日本語の文章にも通じるように書かれている。(翻訳者も上手なんだろうが)
 要するにどの言語でも文章を書くと言うことは共通しているのだろう。
 言葉を飾る必要はない。
 必要なのは書いている内容の方だ。

 キングはまれに見る売れっ子作家である。
 それがそう言うのだから、益々説得力がある。
 それに彼は、単に勢いで売れた作家ではない。きちんと文法も文学も学んで、知識を得た上で、すべてを捨てて初心に返った人だ。
 シェークスピアもディケンズも知った上で、子供の頃から好きだった怪奇の世界に帰っていった人だ。
 そのことも私の心を突き動かした。

小説学校

 もう少し前の話になるが、10年ほど小説学校に通っていた。考えてみればずいぶん長く通ったものだ。そのときはまじめに小説家になろうと思っていたので、あっという間の10年だった。
 そこに通っている生徒の共通点は、身の回りの人に、小説家になりたいという夢を語っていないということだった。もちろん親しい人には語っている場合もある。当然教室の仲間同士では語る。でも職場の同僚に『小説家を目指している』と話している人は少数だ。もし語っているとしたら、その人の職場はよほど理解があり、居心地のいい仲間に囲まれていると思っていい。

 私は美大に通っていたことがあり、そこの生徒はデザイナーやら画家になりたい、アーティストになりたいと思っている人ばかりだった。彼らはたいてい職場でも、友達の間でも、それほど親しくない人との会話でも、『絵を描いています。』『イラストを描いています』という話を気楽にしていた。いや、話さなくても、なんとなく他人にばれてしまうことが多かった。美術を志した者は、どうやらどこかしらからにじみ出るような何かがあるようで、たいていばれるのだ。
 それに本人も、その秘密がばれることがどのような結果になるか、あまり意識していない。言われた方も「へえー」というだけで、さもありなんと思うか、『結局趣味だよね』と思うか、『売れてないんだな』と思うか、いずれにしても、だからどうという変化が見られない場合が多い。
 いや、変化しているのかもしれないが、陰口をたたかれているのかもしれないが、当人はあまり気にしない。
 私もそうだったので、美術に関して、自分の夢を語る、まではいかなくても、自分が何をしているか話すことに、さほど抵抗を感じたことがなかった。

 しかし小説家を目指す人たちの多くは、小説を書いていることを周りの人に黙っていた。実は私自身もそうだった。親しい友人と、家族以外、誰にも話したことはなかった。
 なぜかと言われると、『小説を書いている』と言うことが知られた場合の問題を、なんとなく察することができたからだ。
 小説を書いていると言うことがわかると、相手は「へえー」で済ませてくれない場合が多い。『どんなの書いているの?』という人が結構いる。『今度読ませて』まで言う人もいる。時々顔を合わせると、『読ませてよ』と追い打ちを掛けてくる人までいる。
 これが絵の話だと『へえー』で終わってしまう人の方が多い。『どんな絵書いてるの?』と聞かれたとき『・・・抽象画』と言ったら、たいていそれ以上聞かれないし、魅せてくれとも言われない場合がほとんどだ。
 それでもみたいと言われ、グループ展にやってきた人が、私の絵を見たとき、『ふーん』といい、『色がきれい』などと、気を使ってくれたとしても、それ以上何も聞かないし、進展はしない。二度と見に来ない場合が多い。
 それでも、『また見たい』という人には、グループ展の案内を出した。この人は私の絵か、友達の絵か、何かしらの美術的なものにはまってしまった犠牲者であるから、十分に犠牲になってもらおうと親切心が働く。
 
 絵に関しては、『これは何を書いた絵ですか?』という質問をされることがある。当時は、ロンドンに旅行に行ったときの風景を描くことが多かったので、そのように答えると、『どんな風にするとこういう絵が描けるんですか?』と聞かれ『なるべく見たままを描くようにしています』と答えたら、ぎょっとされたことがあった。
 私の絵は抽象画である。
 以来、絵の説明をするのはやめた。どつぼにはまるのがわかったからだ。
 一方私の兄弟が見に来たとき、一言言われたのは、『○○(私の名前)の頭の中にはこういう人間が歩き回っているんだね』という言葉だった。ちょうど私の絵は、ロンドンの街角の風景に、それが人間とはなかなか理解できないようなきわめて前衛的な表現の人間達が闊歩している情景だったのだが、兄弟の理解はとても正しいと思ったので否定しなかった。
 母と母方の伯母達は、何がどうしてそうなったのか知らないが、私の絵をいたく気に入って、評価してくれた。
 私は彼女たちとの遺伝子のつながりを強く感じだ。
 一方父は、穏やかな笑みを浮かべて、母達と私を連れて、食事に連れて行ってくれた。銀座の貸し画廊の近くは、父のつとめていた会社のあった場所で、おいしい店をよく知っていたのだ。私は父の愛情を感じた。

 このように、絵にまつわる私の記憶は、理解と愛情は別だと言うことをとてもよく教えてくれている。そしてそれが画家としての幸せだと思っている。
 でも小説はそういうわけにはいかない。

 どうしてかというと、日本人のほとんどが日本語で書かれている文章を理解できるからだ。塗装した板の上に描かれた絵は、多くの人がどう理解したらいいか迷う。しかし、紙に書かれた日本語は、少なくとも書かれている言葉の意味は理解できる。
 人間は理解できることを判断しようとする。その判断が間違っていようといまいと、何らかの結論を出そうとする。
 あるがままを受け入れる人は少ないし、それを拒否するのもすぐには難しい。
 
 わかるだろうか。
 小説なんてものは、たいていは理解できないし、面白くないし、拒否されて当たり前のものなのだ。絵と同じなのだ。それなのに、絵は、どの人も『見たくない』『わからない』と素直に評価し、わからないことには一握りの愛情を持って無視してくれるのに、小説に関しては必要でもない解釈を必ずしなければ非礼に当たるとでも言わんばかりに頑張ってしまう。
 でもそれは、小説を書いている本人にとっては、意外と苦痛でしかない。

 それなので、小説を書いている人たちは、プロでもない限り、(プロでもか)必要に迫られない限り、小説を書いていることを隠す。
 その方が幸せな生活が送れるからだ。

 小説学校とは、こうした小説を書く人たちにとって、唯一と行っていいほど気楽に『小説を書いている』ことを表明できる場所であった。

 これはとても貴重な場所であった。
 書いていることを隠す必要がないばかりか、ほとんど得ることができない読者を得られる場所でもあった。
 素人小説はつまらないので、他人に読ませることは苦痛を与えることでしかない。しかも読みたくもない人が無理に読んでいることがわかることは自分にとっても苦痛である。
 しかし、小説学校では、他人の小説を読んで評価するのが授業そのものだったので、相手がどんなに苦痛であろうが、いやがろうが、平然と作品を押しつけることができた。読んでこなくても私のせいだと思わなくてよかった。
 小説を勉強するには、自分の作品を読んでもらって評価してもらうことが必須だ。そうしないと上達する種が見つからない。
 だが日常において、自分が小説を書いていることを隠してさえいるのに、どうやって読者を見つけられようか。
 だから小説学校は本当に貴重な場だった。

 今思えば、それだけでよかったのだ。

小説を書くと言うことは

 当たり前のことだが、小説を書くと言うこと、よい小説を書くと言うことは、小説学校に通うと言うこととは別の話である。
 学校に通って資格を取ると小説家になれるわけではない。
 一方、小説学校など通わずに作家になる人はたくさんいる。
 小説を書くと言うことは、自分が書くという行為であって、小説学校で仲間と肩を並べて勉強するのとは別の話である。
 勉強は知識を得られるし、頭の切り替えや、発想力を得ることもできる。決して無駄ではないが、そのすべてが、小説を書くという行為とは別である。どこかで役に立つとしても、別なのである。
 問題は、もうご承知だと思うが、学校に通って勉強していると、まじめに通って、課題をきちんとこなして(当時課題は、提出された他の生徒の小説をきちんと読んで、授業で評価することだったが)よい生徒であればあるほど、なんだか小説がうまくなったように誤解することだった。
 よい生徒であることと、よい小説家であることは別の話である。
 小説を書くために小説教室に通っているのだが、小説教室でよい生徒になることは、私の実感では、小説家からどんどん離れていく行為のようにも思えた。
 そう思えて、だんだん疑問符が大きくなってきた頃、家庭の事情で学校を休まざるを得なくなった。その後半年ほどして復帰しようとしたら、今度は学校の事情で復帰ができなくなり、(教室の定員がいっぱいになり、次回募集まで入れなくなった)復帰の機会を待っているうちに、世界はパンデミックに襲われてしまった。
 今、私が通っていた小説学校は閉鎖されている。
 
 そのことと、私が小説を書くと言うことは全く別の話である。
 でも私は、今小説を書いていない。

小説を書く意味とは

 私はずっと、小説を書く意味を考えるとき、それを絵を描く意味と重ね合わせて理解しようとしてきた。
 私は絵を描くとき、どうして描いているのだろうか。
 実はそれほど絵はうまくない。
 私は美大に行ったのだが、絵が描けなくても美大には入れるものだ。(美大によるが)
 私は、美大に在籍中、映画を撮ったり機を織ったりしていたので、絵は描かなくてもすんでいた。
 でも映画も、機織りも、結構道具や材料がかかる世界で、お金がかかる。
 就職していた頃は、それでもそれなりの給料をもらっていたのだが、自由な時間が取れなかった。一時期映画を撮ろうとしたこともあったが、当時はまだデジタルの時代ではなく、フィルムの時代であったから、安くて8ミリ映画しかなかった。8ミリフィルムは1缶3分ほどしか撮れないし、現像しなければならない。フィルム代、現像代がかかって、しかも10分以上の作品を作ろうとしたら、その経費は3倍以上になる。
 現代の人にこの説明をしてぴんとくるだろうか。
 スマホひとつで映画が作れる時代ではなかった。もしあのとき今のようにデジタル化されていて、スマホで撮影して、パソコンで編集できるのなら、どれだけ安く映画を撮れたであろうか。

 私は、経費を切り詰めるために、映画ではなく絵を描くことにした。
 絵は古典画法という、ちょっと特殊な画法だった。板に上塗りして、うすい色の油絵を塗り重ねる。モナリザと同じ技法といえばわかるだろうか。1枚描くのに数ヶ月かかる。だが、独特の風合いがあって面白かった。
 しかしこの絵は、絵の具が高かった。特定の絵の具でないとうまくいかないことがあったのだが、その絵の具が高かった。
 また、室内で描いていると油の匂いが部屋に染みついて、なんとも我慢ならないことになった。初めは絵画教室で描いていたのでよかったが、そのうち自宅で描くようになったら、自分の絵の具の匂いに、自分で我慢ならなくなってきた。
 当時仕事を辞めていたこともあり、高い絵の具を買い続け、教室に月謝を払い続けるのが大変になっていた。
 私は経費が安い代替案を探し始めた。
 その先にあったのが小説だった。パソコン一台で始められる小説(別に本当はパソコンとかいらなくて、ノートと鉛筆で十分なのだが、私はパソコンが好きだったから持っていた)は、一番安上がりの代替案だった。

 映画から古典画法、そこから小説と、全く脈略のない経緯をたどりながら私は作品を作り続けた。そこには、全く何の脈略もないように思えるだろうが、私の中では一本道につながっていた。
 私の小説は、私の絵と同じだったし、私の映画と同じだった。
 どれも何を書いているか理解されず、説明するとどつぼにはまるところは確かに同じだった。

 やってみてわかったことは、私は映画より、絵より小説の方が向いているようだった。頭で思い浮かべたことを、指先からごく自然にはき出すことができた。映画も、絵も、形にするまでどうしたらいいか迷うことが多かったが、同じように試行錯誤していても、私の指先が打つキーボードは、様々な形をモニターの上に表し、表しては直し、また表す。形が生まれてくる早さだけは、映画より、絵より、小説の方が早かった。

小説を書くことは、口から繭の糸を吐くがごとく

 簡単にいえば、文字による世界構築である。

 自分の思い描く世界観を、文章によって表現することだ。
 隣の家に殺人者が入ってきて、住人をころす。それを偶然に目撃してしまった私は、ふと振り返った殺人者と目が合う。私はその殺人者の顔を一生忘れられなくなる。

 これがひとつの物語の世界だ。
 この殺人鬼に追われて、逃げ惑う逃亡小説を書くのか。
 実はその殺人鬼が夫で、それから何食わぬ顔で元通りの生活を送り続けるサスペンスを書くのか、
 殺人鬼の頭に角が生えていて、次の犠牲者を出す前に、調伏するために頑張る和風オカルト話になるのか。
 はたまた、その殺人鬼の顔が自分で、ふと振り向くと自分の手が真っ赤で、目の前に浮気性の夫が横たわっていたとか。
 さらには、私は何事もなかったようにカーテンを閉めるとか。

 もし自分が思い描く世界を描くことができるなら。
 そう思ってどの小説家も文字を綴っていくのだろう。発想はあっても、それが世界になるまでは遠い道のりで、幾晩もの眠れぬ夜を送らなければならない。ある人がたった一晩で書いた小説が、何年もの苦渋を経て書き上げられた大作より面白いことは普通に存在する。小説の才能は、ランダムに与えられ、金を払って得られるものではなく、むしろ理不尽な存在だ。しかし才能だけでは小説家として大成はされず、途中で挫折した人を何人も見ている。小説家として大成するのは、才能だけでなく、環境も必要だ。良き人とのつながり、チャンス、本人の努力、そして時代。

皮肉にも、小説家は物語を吐き続けなければならない。


 ある少女は言葉を持たなかったが、言葉が糸となって繭を作り、その中に閉じ込められていく人を何人も見た。どの人も繭の中で朽ちてしまう。少女は自分の育てた娘が繭の中に閉じ込められたとき、初めて口から灰色の虫をはき、その虫は娘の繭の糸を食いちぎったが、既に娘の体は黒く硬く朽ちていた。
 失意のうちに家を出た少女は、自分が口を開くたびに、糸ではなく灰色の虫が出てくることを恥て、二度と口を開こうとしなかったが、あるとき出会った耳の聞こえない男に、口から吐く虫を、虹色の蝶に変えてもらう。
 それ以来、少女は男に付き従った。男は耳が聞こえなかったが、世の中のどんなことも知っていたし、聞くことができた。男が誰かの話を聞こうとするとき、男は自分の耳をふさいだ。男の耳は、誰かの声を聞くことはできなかったが、世界の音を聞くことはできた。だから誰かの声を聞こうとするときには、あえてすべての音を遮断して、その相手の口を読む必要があった。だから男は耳をふさいだ。でも男の妻は男が自分の言葉を拒否したと思い、小さい息子をおいて出て行ってしまった。
 男の息子は、世界の音は聞こえなかったが、人の声は聞くことができた。だが、父が自分の話を聞こうとするとき耳をふさぐ意味を理解していた。
 男は最愛の息子と、少女を伴って旅を続けた。
 男が死んだとき、息子は少女に託され、少女は息子を育てた。しかし息子が大人になったとき、少女は息子を手放し、息子の母親の元に送った。息子は少女の言葉にならない思いをくみ取ることができたが、人の声を聞くこともできたし、話すこともできた。だから少女は、息子が人として当たり前の幸せをつかむ道を選んだ方がいいと思った。
 息子は人並みの生活に戻り、人並みの恋をした。しかしその恋は破れ、息子は母の国を離れた。
 ある日、息子が恋した女性の元に手紙が届く。息子が死んだこと、息子の墓に一度は参ってやってほしいこと。
 女性は機会を作って息子の墓を訪ねた。
 息子への愛は冷めていたが、ひとつの疑問が残っていた。自分が息子と別れる前の晩に、息子が自分への愛を語るのと同時に語った、自らの生い立ちとその物語。
 特に興味を引かれたのは、彼を育てた言葉を持たぬ少女の話。
 女性は自分に当てられた手紙が、その少女からだと直感していた。

 真っ青な海の見える丘の上に、かつての恋人の墓はあった。
 白い十字架の墓は、恋人の名前が刻まれていた。女性はその前に小さいな花束置き、手を合わせた。
 予期したような感慨は覚えなかった。目の前の石の墓には、それ以上の何も感じなかった。女性は、恋人との思い出が、あっというまに色あせテイクのを感じた。
 女性はその場を立ち去った。墓地の坂道を途中まで降りたとき、顔の横を何かがかすめた。見上げると蝶がいた。日に照らされた羽が七色に光っていた。蝶は女性の周りを回った。まるでまとわりつかれているように感じた女性は、ふと、胸騒ぎを感じた。
 女性は元来た道を戻った。坂道を駆け上がり、そして海の見える丘に出た。
 目の前にかつての恋人の墓があった。
 そこには、白い墓石が見えなくなるほど、たくさんの虹色の蝶がまとわりついていた。

私の目標は、サリンジャーの笑い男

 サリンジャーと言えば、『攻殻機動隊』という漫画を原作にしたアニメの主題として使われた『ライ麦畑につれてって』が有名だけれども、『笑い男』という短編もある。
 『笑い男』は、あるリトルリーグの少年達が慕う若いコーチの恋愛を描きつつ、コーチが練習の帰りのバスの中で、子供達に語ってくれる『笑い男』という物語が語られる。
 縦軸であるコーチの恋愛と、それを見ている子供達の心情。そして子供達が楽しみにしている『笑い男』の物語。これらが相まって、実に見事な短編である。
 『笑い男』はよくある怪盗ものの物語だが、主人公の笑い男は、幼い頃に誘拐され、顔を醜くつぶされ、それを隠して生きる聡明な怪盗であり、奇妙な仲間達との強い絆と、憎むべき敵との壮絶な争いが描かれる。
 その物語の最後は、コーチの恋愛の結末と同時に語られるのだけれど、実はコーチの恋愛の推移は、あまりきちんと語られていない。ただ当時の世相や、コーチがどんな人物か、恋人がどんな女性かを見ていくと、自ずとわかってくる。そして単なる子供だましの怪盗談だったはずの『笑い男』の物語は、結末を迎えたとき、少年達全員の心に深く突き刺さる。彼らは家に戻った後、一人ではいる風呂の中で、胸を締め付けられるような思いを感じて、震えるのである。
 
 私は、小説の中で語られる『笑い男』の物語が大好きで、私自身その結末を読むと、胸の奥が締め付けられた。
 なお、ご承知の方もいるだろうが、先に挙げた『攻殻機動隊』のアニメでは、まさにこの『笑い男』なるキャラクターが出てくる。あのアニメの監督は、ちゃんとこの小説を知っていたのだろう。アニメの笑い男は、小説とは関係ないキャラだが、アニメの中で中心的な役割を果たしている。

小説を書くことは、色のない吐息を吐き続けるのと同じ

 まあ、夏の吐息に色はつきませんが。


 
 

 


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