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そこにあると気づくこと

目が覚めたら9時だった。10時間ぐらい寝てしまったらしい。ここ1、2週間色んなことがあったため、流石に疲れていたようだ。コーヒーを淹れて文章を書こうとしたけれど、言葉の出が悪い。久しぶりに書こうとすると、どうやって書いていたのかを思い出すところからになる。観葉植物たちに水をあげていると、皆んな少しずつ大きくなっていることに気がついた。小さな新芽がにょきっと顔を出していたり、枝が窓の光に向かって伸びていたりして、成長しているんだなあと見て取れる。成長とは一見分かりづらいものだけど、ふと急に気がつく時がある。それは昨日と今日の比較では分かりづらかったものが、だんだんと昨日との距離が空いていき、1週間前や1ヶ月前などの比較対象が増えることでようやく認識できる。だから繰り返される日々はできるだけ成長しているかしていないかは考えずに淡々とこなしていき、たまに振り返ってみるくらいがちょうどいい。最初から遠い前の方に目標を設置すると、その目標に対してどれだけ成長できているかだけを気にしてしまい、その視界から見える景色は常に足りていない自分になってしまう。この夏が終わる前に葉をあと10枚増やさなければならない!みたいなわけの分からない成長を観葉植物たちに課してしまうみたいに。

このままだと観葉植物たちの話で終わってしまいそうだから話を戻そう。溜まりまくった洗濯物を回し、ゴミ捨てへ。ご近所さんたちが立ち話をしていたから混ぜてもらった。この時間がとても好きだ。新聞を見たと言われて少し恥ずかしくなる。頑張るのもいいけどちゃんとご飯食べないとダメだよとも言ってもらった。なんだかお母さんがたくさんいるみたいだ(笑)こうした地域の交流がある場所で暮らせて、私は本当に運がいいと思う。隣に誰が住んでいるのかも分からないドライな感じも楽でよかったけど、挨拶をしても返事がないのはやっぱり寂しかったし、何より自分も挨拶をしない人間になってしまいそうだった。だから目の前にいる人よりも、画面越しにいる人ばかりに承認を求めるようになっていってしまうのかもしれない。最近の私は、ベランダへ遊びに来る猫たちにどうやったら気に入ってもらえるか模索中だ。

承認を求めすぎると、人は自分を見失う。1人でも、10人でも、100人でも喜べなくなっていく。そんな自分はもう嫌だなと思い、色んなものを手放して、今は愛想も振りまいてくれない猫たちで満足できるようになっている。先日の風景画展会場でのライブも、数人来てくれればいいなと思っていた。そもそも移住したばかりだし、どこから来るにもわりと距離がある。だからオーナーの舘野さんが歌うきっかけをくれたことや、1年前に叶わなかったミキヒトさんとのコラボが実現できるだけで充分だと思った。この日を無事に迎えられただけでも私的には100点満点で、何もできなくなってしまった1年前の8/12と、今年の8/12を比較したら100点どころではない。

1年という距離が空き、ようやく振り返れるところまで来た私が見た景色は、まさかの信じられないものだった。めっちゃ人おるやん!?遠方から、伊東から、新井から来てくれていて、できれば一人一人とゆっくりお茶でもしばきながら再会を味わいたい気持ち…。全く想像していなかった景色に戸惑いながらも、ライブ中はミキヒトさんの心強いサポートと、最近はあまり出てこなくなった藤森愛もちゃんと出てきてくれて、無事に終えることができた。

撮影:KIDさん

この喜びを忘れたくない。だから私は何よりも日常を大切にするし、日常あってこその特別な日だ。観葉植物たちの成長を気にしなくなったり、ご近所さんたちとの立ち話が何とも思わなくなるような自分には戻りたくない。ライブが終わってまたつまらない毎日が繰り返されていくと思いたくない。そのために日常を楽しく感じる工夫をしている。その工夫は、そこにあるものに気づくようにするか、しないか、ただそれだけだと思っている。

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