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沈黙の表現を潜る

改装中からずっと気になっていた国立西洋美術館へ行ってきました。とにかくこの場所へ行きたいが先だったので、何が展示されていても行こうと思っていたのですが、私の好きなゴッホが展示されているとのことでラッキー。

これまで自分で描くことばかりで、見ることに興味を持ち始めたのは最近のこと。なんちゃら技法とか、何派とか、歴史とかはまだよく分かっていないのですが、言葉もなくただ静かに存在しているものに対して自由に想像して、解釈して、感動させてもらえる時間がたまらなく好きです。私は形から入らないタイプなので、詳しいことは大体後回しにしちゃいます。まずは感じるままに、思うままに。


音楽のライブは視覚や聴覚、温度感、テンションなどあらゆるものを皆んなで共有しながら楽しむ。一方、絵はひたすらに沈黙している。作品も、鑑賞している人も。それぞれが個の空間で想いを馳せて、静かに楽しんでいるなんとも不思議な空間。あちらから何かアクションを起こしてくることはない。だからこちらから深く潜って探りに行っているような感覚があります。お邪魔しまーすって。行ったところで答えは一切返ってきませんが、それがまたいい。

そんな一方通行な対話を楽しむのに集中したいので写真はあまり撮らない派なのですが、余韻に浸るためにやっぱり撮っておけばよかったと毎回後悔するので、今回はこまめにパシャリパシャリ。でもやっぱり鑑賞と写真とで忙しかった。なので後日もう一回見に行ったのはここだけの話…。


元東京藝術大学教授の上原先生がインタビューで、「"だから何なの"を気にし過ぎている。俺だって分からない。それに引きづられ過ぎると表現が窮屈になる」とおっしゃられていて、あ、分からないままでいいんだって気付かされました。作者本人が分からないと言っている安心感。分からないからこそ、後から色んな人が色んな解釈をする余白ができる。芸術に意味なんて持たせてしまったら、きっとそれは芸術ではなく道具になってしまうでしょう。

私も作品を作っている最中に「だから何なんだろう…」とふと考えてしまう瞬間があります。冷静になってしまったら何も作れない。冷静になったら負け。ただ感じたから。ただ良いと思ったから。ただ作りたいから。ただただ、ただただ、なんです。芸術にそれ以上も以下もない。

生きているとそんなただただを許してもらえない時があります。どうしても意味や目的や価値などを付けなければならなかったりする。芸術も最終的にはそういったものを付けなければ食いっぱぐれてしまうのですが。作っている時はただただ、でありたい。


ここまで絵に対して何の感想も書いていませんが、「ああ、綺麗だなあ…好き!」くらいにしか思っていないので書いていません(笑)いや、それはちょっと言いすぎました。色合いが〜とか、筆のタッチが〜とか深掘りして書き連ねれば原稿用紙5枚分にはなりますが、今回の鑑賞で自分にとって重要だったのはそこではないので割愛します。


「絵はよく分からない」と言うのを聞きますが、上原先生もよく分かっていないし、私もよく分かっていないし、多分かなりの人が分かっていないと思います。分からないものを分かろうとしてみて、さも分かった風な自分を装う行為そのものが楽しいのであって、分かってしまったらつまらない。もはや分からないことを確認しに行っている。(※あくまで私の想像ですよ!)

「う〜ん、ここの空のグラデーションが綺麗だねえ」と言ったら、作者から「あ、それ適当っす」なんて返ってくる場合もあるでしょう。美術館に展示されている作品を見て「それは失敗作だったんだけどなあ…」ってピカソの亡霊は思っているかもしれない。私は作る人でもあるので、そんな時があったりします。

何だってそうだ。誰かが勝手に価値を決めて、勝手にそういうことになっている。曖昧なことだらけで成り立っているこの世界。だからこそ「よく分からない」と言うのは、その芸術の価値を広げる無限大の可能性がある。常設展に展示されていたピカソの作品を見た後なんて特に思いましたよ。よく分からなかったけど、なんかすごかった!って。でもそれでいいんです。


そのよく分からないをあえて言葉にするのならば、フィンセント・ファン・ゴッホの「刈り入れ(刈り入れをする人のいるサン=ポール病院裏の麦畑)」です(タイトル長くね?)。ドイツのフォルクヴァング美術館に帰ってしまう前に、もう一度生で見たくて2回も足を運んだと言っても過言ではありません。ゴッホはもはや人の死生観をも超越し、その先の景色を見ているかのようでした。決して混ざり合わないはずの美しさと不穏さが共存し、それらがさらに昇華された状態がこの1枚の絵の中に収められている。自分が生きている間には到達できないであろう情景に心が震えた。


と、さも分かった風に言葉を列挙してみましたが、結局は言葉にしきれないんです。そんな私と美術館のダイアローグでした。



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