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伝達者として

この街へ来て、綺麗だなあとか、美しいなあと思うことが増えた。それは大自然と、古い街並みが残っているこの場所が好きだからだろう。だけど、どうにもそれだけではないらしい。以前までの私は自然を見ても、他の古い街並みを見ても、さほど何かを感じることはなかった。いいなあとは思うけれど、感情が大きく揺さぶられて作品を作りたくなる衝動までには繋がらない。見ているようで、心は通り過ぎていた。今ではもう何千回と見てきた空や、白浜ほど煌びやかではない静かな海や、なんてことないご近所さんとの会話や、朽ちて誰にも気にしてもらえなくなった廃墟にとても心を動かされてしまう。腹の底から感情がグァーっと湧いてきて、どう解釈していいのか自分でも分からないほど強く何かを感じている。言うなれば見ているもの全てがPVのようで、どうしようもなく美しい。

それは恐らく、私の刺激センサーがリセットされたからだと思う。大きな音、強いお酒、辛い食べ物みたいな刺激を常に受け取っていると、どんどん麻痺していく。そしてどんなに強い刺激でも感じなくなって、さらに強い刺激を求めるようになる。私はそれらがリセットされて、小さな刺激を受け取れるようになっていた。大音量&大画面で観る映画館は今の体質だと、刺激が強すぎてしんどく感じるかもしれない。クリエイターが作品を作るために山奥へ籠る意味をあまり理解していなかったけど、刺激をリセットして感度を高くするためだったのかと思った。

未来と過去に執着しなくなったのもある。何かを感じ取るためには、今に集中しなければならない。未来に期待したり、過去を反省したりしすぎると、いつまで経っても今起きていることを感じ取れず通り過ぎていってしまう。だから数々の名作を残している人たちは今に集中しすぎて、どうしようもなく自堕落だったりする。私も世間ではある意味自堕落な人間になっているのかもしれない。何の計画もせず、ただ今日作りたいものを作って、やめたいと思ったらやめる。会社へ就職はできそうにない(笑)刺激がリセットされた私は、日々の暮らしからの刺激が多すぎて、未来や過去のことを考えている暇がないのだ。強い刺激がなくても、お気に入りのやかんを見ているだけで感動できる。あんなに慣れていた東京の街は、もう刺激が強すぎて車酔いみたいな感覚になった。

だから最近描き始めた風景画は、何気ない日常の風景を切り取るようになった。私にはその辺にある風景がどうしようもなく美しく見えていて、この感動をどうしたら伝えられるのかと考えながら描いている。それは自分の中から捻り出すのではなく、外から受けた刺激を自分を通過させて伝えるという初めての感覚だ。自分の中から出てくるものは、全て外からの刺激によって蓄積されたものではあるのだけど、やはり自分のものという感覚が強かった。でも今持っている感覚は、自分はただのフィルターで、たまたま絵に表現するスキルを持っていたから、自然や古い街並みに代わって伝達させてもらっているような感じ。実際にそれらを生で見てもらった方がいいのだけど、簡単に足を運べるわけではないし、私にしか気がつけない視点があるのかもしれないとも思った。以前の私のように、誰にでも通り過ぎてしまっている日常がたくさんあって、私はそれを気がつける場所にいるから皆んなへ伝えたくなった。全員が小さな刺激だけで満足できる自堕落な生活を送っていたら、社会は破綻してしまうからね(笑)私には私の役割がある。たまに立ち止まって、心が穏やかになってもらえたら嬉しい。なんてね。

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