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凪になって

平らになってしまったら、この世界がつまらなくなると思っていた。刺激のない日々なんて、退屈で気が狂ってしまう。だから日常というものをどこかで恐れていた気がする。私は大人になるまでの記憶、つまり人生の3分の2の記憶がほぼない。人前で歌ったとか、賞を獲ったみたいな大きな出来事は覚えているけど、普段は何で遊んでいたかとか、クラスに誰がいたかとか、そういう日常の記憶がすっぽりないのだ。私は普段一人だったのか、皆んなと遊んでいたのかすら覚えていない。私より私のことを覚えている幼馴染に話を聞くと、皆んなと遊んではいたらしい。愛ちゃんは記憶がなさすぎると言われて、ヤバイよねー!と笑って気にも止めていなかったけど、もしかしたら私の躁鬱の波はもうずっと前から始まっていたのかもしれない。日常を知らない私は、どうすれば平らになるのか、平らになって何をすればいいのか、何も分からなかった。ロックスターたちがよく酒や麻薬に溺れるのは、音楽という強すぎる刺激に当てられすぎて感覚が麻痺していたのか、少しでも落差を紛らわせるためだったのだろうか。私は強すぎる刺激に当てられておかしくなりそうなのに、その刺激ではまだ足りないとすら感じていた。

そんな荒波を小波にする練習を始めて半年が経つけれど、そこは自分が想像していた世界とは全く違っていた。私はお気に入りのお茶碗一つで感動できるようになった。色合い、肌触り、形、全てが素晴らしい!とご飯を装う度に思う。温泉で常連のおばあちゃんに顔を覚えてもらい嬉しいと思えるようになった。新しい街でまた一つ増えた小さな繋がりは、自分にとっては大きな出来事。以前まではただ通り過ぎていた、古びた家や路地裏のような、なんてことない景色が美しく見えるようになった。誰にも気づかれないまま朽ちていきながらも、ひっそりと息をしている姿は、静寂の美を感じる。

日常のありとあらゆることへ、感性が研ぎ澄まされていく。強い刺激でぼやかされていた感覚が、戻ってきているようだった。ずっと荒波の中にいては、海の中に何がいるのか分からない。だけど凪になった海面で、魚が飛び跳ねればそこにいるのだと気づける。自分の刺激をリセットさせることは、何も感じなくなってしまうのではなく、小さな刺激にも気がつけるようになることだった。私が今こうして文章を書き続けられるのも、小さな刺激でたくさんのことを見つけられるようになったからかもしれない。退屈すぎて気が狂いそうだと思っていた世界は、とても美しくて、儚い。一瞬で通り過ぎてしまうから、その瞬間に感じておかないともったいない。だから過去の反省や、未来の計画をしている暇なんてない。タモリさんの座右の銘「現状維持」の意味が以前までは分からなかったけど、今なら分かる。今よりもっと良くしよう!と思うのは、何かが足りないと感じているからで、でも足りないものを埋めてもまた必ず次の足りないものが出てくる。いつか足りる日が来るだろうと思うことが幻想であり、空虚なことだった。だから足りないものを増やすのではなく、今あるものでどう楽しむかに集中した方が人生は楽しい。つまりそれは現状維持になる。私もこれからは現状維持をしていきたいと思っている。だって今が充分すぎるほど面白いもので溢れていて、次々とやってくるから。足りないものなんて本当はない。日常の中にたくさん隠れていて、きっと見えないだけだ。

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