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競争

競争が好きだった。そしてそれは持つべき精神だと疑っていなかった。採点され、順位をつけられ、誰よりも勝ることで自分のポジションを確立していく。そうしなければ劣等生の札を貼られて、アイツは怠け者だと言われてしまう。私はそういった競争社会の中にいる時間が長かった。学校では常にテストで採点され、100点満点中自分はどれほどの人間なのかを測られる。学校が終われば、今度は習い事で採点される。習字やピアノでは賞をもらったこともあった。塾ではテストの点数順に席の位置が決まり、後ろの方になればなるほど点数がよくなく、点数が悪かった時は公開処刑だった。自分より点数がいい人たちが目の前に座っていて、それをずっと眺めながら授業を受けなければならないのだから、競争心を育むためには十分な景色だ。私はここで、点数がいい人間はこの社会で生きやすく褒められることを覚えて、高校では教科書の問題と答えを丸暗記して高得点を取るという応用が効かないスキルを身につけた。

学校を卒業してしばらく経ってからはシンガーソングライターとしての活動を始め、点数競争から抜け出せるのかと思いきや、今度は芸術の採点が始まった。オーディションという名の就職活動をして落とされ、集客が少ないと怒られ、お前はダメだと罵られる日々。シンガーソングライターになっても就職しても、やっていることは変わらなかったかもしれない。さらにSNSが発達して数字が可視化されるようになり、ますます競争意識は高まっていく。私はまたここで、数字がいい人間はこの世界で生きやすく認められることを覚えて、大きな場所、多くの人たちの前でやることを目指した。何かと比べて勝ろうとするのは、もはや呪いだと思っている。

その呪縛のようなものを解除できたのはここ数年だ。比べるべきは過去の自分だけで、誰かと比べたとしても元々違う人間なのだから、そもそも測るものなんてないはず。そんなことは頭で分かっていても比べてしまうのが人間であり、生存競争を勝ち抜くための本能でもある。何とも比べないのは無理な話なのかもしれない。だけど、そうではないものも自分の中に生まれているのも確かだ。美味しい干物を食べても悔しいとは思わないし、食器を使ってても自分の方が上手に作れるとは思わない。それは恐らく、違う世界で生きている人たちという認識ができているからだと思う。競争というのは同じ分野で、同じ能力を持つもの同士で生まれるのであって、干物屋と陶芸家の間では比べるものがない。だから自分も比べるものがない人間になればいいと思った。音楽をやって、絵を描いて、文章を書いて、映像を編集して、料理を作って、田舎の海の街に暮らしている30歳は多分あんまりいない。社会では学校の科目のように、これができなければならないという提示はあるけれど、これならできるかもしれないという小さなできるを増やさせてはもらえない。何でもいいから小さなできるを増やしていけば、重なる部分は反比例で減っていき、皆んな違って皆んないいになれるのだろう。丸暗記するだけでは、数字を追いかけるだけでは何かの焼き増しになっているだけで、オリジナリティには繋がらない。オリジナリティは点数順に座らされた景色や、オーディションの合否結果みたいな外側ではなく、元々持っている自分の内側にあるものだ。友達の子供の話で、かけっこで走るのが苦手だから走るのをやめて歩いてゴールしたと聞いて、めちゃくちゃカッコいいと思った。本当の勝ち組とは、比べるのをやめたマイペースな人のことを言うのかもしれない。

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