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幸せの範囲

新井の街は、私の目にはアートのように映っている。斜面に沿って立ち並ぶ家並み、どこへ繋がっているのか分からない入り組んだ細道、坂を登れば登るほど姿を見せる海、辺りから聞こえる無数の鳥の声、時折り風に乗って漂う潮の香り。全てが今までの私の人生の中にはなかったもので、とても新鮮に、繊細に、穏やかに体内へと取り込まれていく。地元の人の目には故郷というフィルターがかかり、過去の思い出と共に今が共存しているから、私のようには見えないのが自然だろう。開発が進んでいる駅前は、どこも同じような風景になってしまっている。新井のこの街並みはいつまでも残っていてほしいと思うと同時に、時の流れに逆らわず古びていく姿もまた美しい。


この小さな街で、私はたくさんの幸せを感じている。新しくすること、便利にすること、たくさんあることが必ずしも人間の幸せに繋がるとは限らない。人間の幸せとは、自分の幸せの範囲を決めることだと最近では思うようになった。

例えば私の幼少期は、おやつの代わりに梅干しや佃煮を食べつつ、一人でアニメを見ながら絵を描いていた。側から見れば、おやつも食べられずに一人ぼっちで遊んでいるなんて可哀想なんて思われるかもしれない。でも、おやつという存在を知らない私からすれば梅干しや佃煮で充分だったし、まだ社会の存在も知らないため一人でも何の問題もなかった。つまり、私の生きている世界はとても小さかったのだ。それから大人になるにつれて広がっていった世界は、私が幸せでいるための基準を次第に変えていく。比較対象は1人の人間から10人、100人、1000人、そして日本や海外へと広がり、私はあの子より不幸だとか、あの国の人より幸せだとか、いつの間にか自分の幸せの尺度を自分一人だけでは測れなくなっていた。インターネットがなければ、ここまで広がることもなかったのだろう。

世界の小ささが時として自らの幸せを守ることになると気がついたのは、この街へ来てからだった。ここで目に映るものは限られる。新しく巨大に建て替えられていくビルも、流行りのファッションが売られているお店も、誰かと競い合う人々も、数分に一度やって来る交通機関もない。もう二度と何も知らなかった子供の頃に戻ることはできないけれど、自分の生活から多くのものが取り除かれたおかげで、本当は必要なかったものが分かるようになり、本当に必要なものだけが自然と手元に残っていく。やっぱり必要だったものは、あとから取りに行けばいい。でも自分でも驚くほどに、自分が幸せになるために必要なものはそんなに多くなかったのだ。

知らない間に押し付けられていたもの、なくてはならないと勘違いしていたもの、手放せずに依存していたもの、捨てられずに埃を被ってしまい込んでいたもの。一度全てを取り払い、小さくなった私の世界へ最初に入り込んできたのは海だった。そしてその海に寄り添う街が加わり、共に暮らす人々が映り出した。見えなくなったものがたくさんあるけれど、代わりに見えるようになった世界はとても美しい。私はこの新しい世界が好きだ。今の自分の幸せの範囲はここだと感じている。年齢と共にこの枠の大きさも形もまた変わっていくのだろう。学校の友達だったり、家族や親戚だったり、ペットだったり、職場の関係者だったり、SNSのいいねや再生数だったり、国全体だったり、地球の環境だったり、みんなそれぞれに映り込む世界の広さも数も違う。今の私の幸せの範囲は、海と共に暮らす小さな街。自分の幸せの尺度は、自分自身で測るのだ。

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