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伝えること

人は馬で移動しなくなって乗馬が趣味になったように、自分で考えて伝えることが趣味になるという話を聞いて腑に落ちてしまった。自分の頭で考えていることを、他人へ誤解のないように分かりやすく伝えるのは難しい。私は考えて伝えることは、人間だけに与えられた究極の嗜好品だと思っているのだけれど、どうやらそれすらも放棄しようとしているらしい。面倒くさい人間同士のやり取りをAIで早く終わらせて、摩擦のない円滑な世界だけで生きていきたい感覚なのだろうか。そうなればもしかしたら、伝えるのが不得意な人も、嫌味っぽくなってしまう人も、言葉足らずな人も上手く伝えられるようになって、今より平和な世界が訪れるかもしれない。対面では空気を読んで言わないようにしているのに、SNS上なら言えるからと言葉をぶつけていたのが、AIによって制御されたり上手い言い方を考えてくれるようになれば、対面で行われていたこの辺で丸く収めておこうみたいな、当たり障りのない人間関係が実現できる。人間は面倒くさがりな生き物だから、ついにコミュニケーションを面倒くさがっているのだろう。そうなると最後に残るのは、AIを使いこなせるセンスか?

私はご近所さんたちと話していると、心地がいいと感じる。今までずっと忘れていたような、懐かしいようなこの感覚は何なんだろうとずっと考えていた。人が人に対して気にかけられるキャパシティ人数は、150人くらいらしい。それは狩人の時代に脳が形成されていたからで、進化はそこで止まり、SNSが普及して世界中の人たちと繋がれるようになった今でも変わらない。私たちは脳の限界値を越えた人たちと繋がろうとしている。そりゃあコミュニケーションも面倒くさくなるはずで、AIに任せたくもなる。だから私が心地いいと感じるご近所さんたちとのコミュニケーションは、脳のキャパシティ内の人数だからなのだろう。より多くの人たちからの承認を求めていた時よりも、今の方が幸福度が高いと感じるのも理にかなっている。

伝えることには限界がある。言葉も、絵も、音楽も、写真も、映像も、私は全部やっているからこそ感じている。何をどれだけ使っても伝えきることはできないし、私たちを一致させることはできない。表現とは伝えることの限界をどう楽しむかだと思っている。簡単に伝わってしまったら面白くないし、伝わらないほどたくさんの解釈があるのが人間らしい。この文章を読んで、何を言っているのかよく分からないと思う人もいるだろう。それでいいと私は思っている。でもこんな面倒くさいことをする人は今後減っていくだろうし、それこそ伝える難しさを楽しむなんて究極の趣味になるだろう。AIを使えば考える能力や伝える能力は平均化されて、限界も感じず、簡単に伝えられるようになるのだから。AI化がますます加速していくであろうこの先の時代で、世界はさらに一つになろうとするのだろうけど、私たちが本当に伝えたいこと、繋がりたいものを忘れないようにしたい。

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