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スランプ期の手塚治虫とジブリ鈴木敏夫Pの関係

1946年に漫画家としてデビューして以来、『新宝島』『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』といったヒット作を次々と発表していた”漫画の神様”手塚治虫。

よく言われる話だが、手塚治虫にはスランプだった時期がある。
特に1968年頃から1973年にかけてのスランプは有名である。

当時(60年代中頃から70年代初頭にかけて)は、

カムイ伝(1964-1971)
巨人の星(1966-1971)
明日のジョー(1968-1973)
ゴルゴ13(1968-現在)

などが、けん引する劇画ブーム(1966~)の只中であり、この隆盛にともない「手塚治虫は終わった」などと言われるようになった。
これが、手塚治虫のスランプと呼ばれた時期である。

そんな時代に、手塚治虫と出会った男がいる。
のちにスタジオジブリのプロデューサーになった、鈴木敏夫である。


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