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雑記(あるいは日記) : 春の決めかた

おはようございます。
と言っても、うたた寝を睡眠に含めるならの話ですけど。
空が光をとり戻しつつあるので、やっぱりおはようございますでいいかもしれませんね。
じゃあおはようございます。
上の文章に「うたた寝光」みたいな、くそダジャレみたいな文字が見えた気がするけど偶然なので僕のせいじゃないです。

山菜を採りたいな、と思うことについて。
もういいかげん春と断言してもいい時節になると、特定の田舎の民はそわそわし始めます。
そう、世はまさに大山菜時代。
山菜採りをしない人には冗談だと思われてしまうかもしれませんけれど、あれ割と本当に依存性のある快感みたいなものがあって。
山菜を探しながら山の中を歩き回っているうちに、脳の原始的な部分が刺激されてある種の脳内物質が分泌されるんですね。
狩猟ハイ、みたいな。
そして春以外の長い季節は「山菜採りたいなぁ」と、遠い過去を眺めるような焦点の合っていない目をして過ごす、というのはもちろん冗談ですけど、心のどこかにはそんな気持ちが存在している。一年中。

じゃあ行けばいいじゃん、と思うんですけれど、先月祖母が亡くなりまして。
山菜の採り方を(まだ保育園児だった僕に)(比較的強引に)僕に教えてくれたのが祖母だったので、例年通りに喜べるかなぁ、という気持ちがないでもないんですよね。
山でしんみりしちゃうかもなぁ、みたいな。
いつかは気にならなくなるのかもしれない。
けどそれは今じゃないような気がする。
祖母はどう思うだろう。
もしかしたら、僕が山菜を採りに行くのをためらっていることのほうが残念に思うかもしれない。

今年は一度も山菜を採っていない、というわけでもないんです。
祖母の棺に入れさせてほしい、と思って採りには行ったんですけど、あの時はいろいろ考える余裕もなかったしなぁ、と。

なにを書きたいのかわからない文章になっていますけど、たぶんこれでいいんです。
出力して整理したい霧みたいなものが自分の中にあって、それをそのまま書いてみたものなので。

山菜採りに行こ。

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