目が覚めるまで

 12月21日午後17時事故に遭ってドクターカーで運ばれた。私にはその記憶がない。落ち着いてから親、警察、担当医からその日のことを聞いた。
 
 事故に遭ったその場で名前と母親の電話番号を伝えた。そして運ばれた病院で担当医に名前、母親の電話番号、住所を伝えた。担当医と執刀医は、『この状態で喋っているのはすごいな』と話していたらしい。

 すぐにICUに運ばれ、最初は親からの言葉に反応していた。このまま落ち着けば手術をせずに済むかもしれないと言われていたが、段々と反応もなくなり深夜急遽手術が行われた。

 開頭手術。頭蓋骨を切り取り血腫を取り除き仮蓋をする。担当医からは『手術自体は成功しました。でも目が覚めるかどうかは本人の生命力次第です。』そう両親に伝えられた。母親はパニックで当時の記憶はほとんどないらしい。続けて『目が覚めたとしても右脳を打っているため、言語障害や左半身付随になる可能性があります。』と伝えられた。後遺症はほぼ残ると言われ、状況を見ている親ですらそうなるだろうと思っていたらしい。

 私自身詳しいことをいまだに理解していないが、脳圧が高くなると危険だから脳圧を落ち着かせるために薬で眠らされていたらしい。母は、毎日ICUに来ては脳圧の数値をみていた。身体にたくさんの機器がつけてあり、眠っていても嘔吐することがあったという。身体が動くようになっても右手右足は動くが左は全く動かず、このまま動かないんだろうと思っていたという。この時の話は今でも母とする。その時の母を思うとこの文章を書いている今も涙が出る。

 目が覚めたのは12月31日。目が覚めた瞬間『お母さん』と言って母を探した。身体は全く動かないので目だけで周囲の状況を理解した。とにかく頭が痛いので頭に何かあったと言うことだけは理解できた。『お母さん』と言ってすぐ母が駆けつけた記憶がある。この状態ですが自分が病院にいることを理解していたのは眠っている間にたくさんの夢を見たからだ。

 眠っている時に見た景色と目が覚めたときの病院の景色はほとんど同じだった。

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