メールの下書きに②

メールの下書きに入っていた
講義の感想の続き。


講義の中で、人として扱われず番号を
割り振られたりろくに食事も
できなかった人々や身体が不自由で
寝たきりのまま生き続ける人をみて
生きることの残酷さを感じた。

それでも彼らは生きたいと願い
生きるために足掻いたのだろうか。

そもそも何故、「死」は終わりを意味し
マイナスのイメージを持たれているのだろう。
現実世界から解放されて無になれるのだとしたら
「死」は幸せなものだと私は考える。

命は一つしかなくて尊いものであるというのは、
生まれたときから様々な人に教えられ
誰もが知っていることで私もよく理解している。
しかし、その命というものは
命を持つ人自身のものであって
他の人がとやかく言えるものではないと思う。

人の命を勝手に奪う行為は
許されないことだけど、自ら命を
終わらせることを望むのであれば
それはその人自身の自由であり
尊重すべきものだと思う。
自殺にせよ、安楽死を望むにせよ
それでその人が納得するのであれば
周囲の人も受け入れてあげるべきだ。
その人にとっては生きることより
死ぬことの方がよほど楽なものなのだろう。
生きることの方が楽で幸せであれば
誰も死を望まないと思う。


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