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「えびふらっと・ぶるぅす」という優しい世界

正しいの“正”っていう字を思い浮かべてごらん。この字は行き止まりで、入口でも出口でもない。左下に変な棒が一本ついているためにシンメトリーでもない。美しくない。つまり正しいという字は正しくないんだよ。狂っている。この世界のようにね。(中島らもキーワードbotより

正しいけど正しくない世界で生きていることを、どこかで人は学ばなければならない。人生には嘘があるし、生まれた時から不平等が存在するし、勤勉が報われるわけではないし、ズルさも成功のために必要だし、正義感が人を殺すこともある。

「教科書で学んだこと」で解決不可能なことに直面するたびに人は「オイオイそんなこと学校では教えてくれなかったぞ!」と思いながらも恐る恐る自分なりの答えを出して、当然失敗して、そのたびに「どうやら俺たちは、正しいけど正しくない世界で生きているらしい…」ということを悟っていく。きっと誰もがそれぞれの形で、こういう風に人生の正しくなさを薄々感じてここまで来たのではないか。

教科書で学んだ「かくあるべき」という模範の脆さ、はかなさ。真面目にタテマエを信じてたがゆえの「人生の正しくなさ」への直面が僕たちの人生を必要以上に複雑にしていると思っていて、ときには自責に過ぎたり、自死を選んだりというのも、この正しくなさを受け止めきれなかったケースが少なくないのではないかと思ってる。

かくして自分は、この世の正しくなさを「中島らも」から学んだ。

アル中でジャンキーで、ろくでなしで水虫の小説家「らもさん」。愛すべきらもさんはヒッピームーブメントの渦中で体験した大麻やLSDを忘れられず、広告代理店のプランナーから小説家、果ては天下の朝日新聞で「明るい悩み相談室」という連載まで持つ身分になってもハンター・S・トンプソンよろしくその生き方は刹那的で、連続飲酒を続けて自殺念慮から精神病院に入ったり、じゃがいもに味噌をつけて食べると死ぬ、と新聞に書いてクレームの山をもらってみたり、ラジオ番組で大麻をたらふく吸ったと公言して逮捕されたり、逮捕された経験から「牢屋でやせるダイエット」という本を出してみたり、高校時代から続けているバンドで盛り上がって、ライブ後の飲み会で階段から落ちて死んだりした。享年52歳。

そんな、教科書的な側面で見れば「ろくでなし」だったらもさんの筆致は、ときどきあまりに優しくて、正しくなさを等身大に描いていて、知らない世界の片鱗を突きつけられてドキリとする。この「えびふらっと・ぶるぅす」も、そんな優しさと正しくなさに溢れた掌編だ。

かつて一世を風靡したベーシストが場末のキャバレーで旧友と再会する。酔っ払いを相手に気を抜いた演奏をするだけのろくでなしのバンドメンバーと、そこに居場所を見つけたベーシストと、タチの悪い酔っ払いをつまみだす強面の旧友。そこにまつわる人間の気の抜けた日々の物語だ。若手のギタリストにデタラメを教えたり、旧友のツレであるホステスと寝たり、別の女に貢がせたりととろくでなしのベーシストだが、ある日旧友に関しての急な知らせが入り…。

といった物語。ページ数で、26頁。わずか1000文字足らずの作品の中に、正しくなさが満載につまってる。
けれど、そのろくでなしどもが音楽を爆発させた最後のライブシーンの描き方は詩的で、とても美しい。

人は間違えるし、失敗するし、破産したり、誰かを傷つけたり、取り返しのつかないようなことをするかもしれない。それでも、真面目でなくても、正しくなくても、破綻していても、矛盾していても、人は誰かのために生きられるんだ、生きていていいんだ、生きる場所があるんだということを、僕は中島らもに教えてもらったんだと思う。

ただこうして生きてきてみるとわかるのだが、めったにはない、何十年に一回くらいしかないかもしれないが、「生きていてよかった」と思う夜がある。一度でもそういうことがあれば、その思いだけがあれば、あとはゴミクズみたいな日々であっても生きていける。(中島らもキーワードbotより

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「えびふらっと・ぶるぅす」は読めません。
寝ずの番

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