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「自信過剰のn箇条」第1話

【あらすじ】
 転入してきた渦潮 信路(かじお しんじ)は、勉強も運動も顔面偏差値も、すべてが中央値のありふれた生徒。
 しかし彼には、目を見張るものがたった一つだけあった。
その特徴は、異常なまでに自信家であるということ。
 渦潮は「NHK」なる部活動を開始し、「学校にいる全員と友達になる」という夢のもとに行動する。
 最初は煙たがられていた渦潮だったが、何があってもブレないその姿に、周囲の人々は次第に惹かれていく。

「手短な自己紹介など必要ない。ボクの魅力を伝えるには、とても1分では足りないからね」

◆ ◆ ◆

『このクラスに転校生がやってくる』

朝からそんな話題で持ちきりだったが、俺には関係のない話だった。
 窓際・最後列という特等席を陣取る俺は、(俺の隣に用意された「この席」に座ってくるんだろうな)とは思いつつ、今ひとつ興味が持てずにいた。

 渦潮信路を名乗るくだんの転校生が、胸を張って自己紹介を「断る」までは。

 教室に入ってきた時点で「どこにでもいるヤツ」だと認識した俺は、そのまま窓の外を眺めていたところだったが、ざわめく教室内と共鳴するように、俺もそいつの発言に一度は耳を疑った。

担任も拍子抜けしたのか、「えっ」という情けない声を出した。
 続けざまに渦潮は言った。

「ふん、最前列の席が空いているな。ボクの指定席かな?」
「あっ……えっとね渦潮くん。渦潮くんの席はそこじゃなくて、あそこの一番後ろの席になるんだけど……」
「なるほど、悪くない」

 苦笑いする者、コソコソと話す者、「悪くないってなに?」と小声で言う者……
クラスメイトの反応は多種多様であったが、総括すればそれは「変人を目の前にした反応」ということになる。

 そのようなことは気にも留めず、渦潮はまっすぐとした姿勢でズカズカとこちらへ近づいてくる。
そして着席する頃には、ほぼ全員の視線がこちら側に向いていた。俺まで気まずいではないか……
 一人で居心地が悪くなっている俺をよそに、こいつは机の上で指を組み、どっしりと構えている。心なしか眉毛と口角が上がっていて、どこか小馬鹿にしているようにも見える。

 やがて時は過ぎ、1時間目が始まるまでの休み時間……という名の尋問が始まった。

「渦潮くんだよね。出身地はどこなの?」
「精巣生まれ、子宮育ちだ」
「えっ」
このやり取りで、少なくとも女子生徒は去っていった。

「渦潮くんって独特な喋り方するんだね。転校デビューとか、そういう感じ?」
「独特な喋り方? 転校デビュー? ボクには理解できないな」
「……えーっと、そういえばさ、ボクの魅力は1分じゃ伝わらない! みたいなこと言ってたけど、渦潮くんってそんなにすごい人なんだ」
「ああ。すごいという言葉をどれほど並べても足りないほど、ボクは優れている」
「どんなところが?」
「それは分からないが、優れていることだけは確かだな」

 嫌な沈黙が流れる。
そして渦潮はこう言い放った。
「この学校のことを知りたい。そのためにも、キミたちを案内役に任命しよう」

 いよいよその場に誰もいなくなった。
俺の席の周りに人が集まっていたので身動きがとれずにいたが、こうも早々に散ってくれるとある意味ありがたい。
 せっかく興味を持って集まってくれた同級生をみすみす逃してしまったにも関わらず、それでも渦潮は、依然として背筋を伸ばして綺麗に座っている。

 人のことは言えないが、これでは一向に馴染めないだろうと思いながらも、ぼちぼち移動するために教科書の用意をする。

 さっさと教室を出ようと右側へ向き直すと、渦潮の顔が目の前にあった。俺の顔は引きつっただろうと思う。
不気味だと感じるのも無理はない。着席したままこちらを向き直し、力士のように前かがみになっているのだから。

「1時間目は理科室へ移動するものとみた。共に歩もう、かがくの宝庫へ」

 渦潮は前かがみのままカバンから筆箱と教科書を取り出すと、どういう気持ちなのか知らないが、まだこちらが理科室に案内するとも言っていないのに、手招きをして教室の外へ出ていってしまった。


 昼休みになり屋上へ行く。
結果として今日は、渦潮と一緒に行動する形になってしまった。
今もこうしてベンチに並んて座っている。
先に口を開いたのは向こうのほうだった。

「それにしても、屋上に立ち入れる学校が実在するとはな。まるでフィクションのようだ」
「……あんた、一日中俺に付きまとってるな」
「一日中? それは語弊があるな。まず理科室に同行して隣の席になり、数学の教科書を忘れたから机を密着。英語の時間ではネイティブ顔負けの作文を読み聞かせ、体育では少し協力してもらった、それだけだ」
「一日中だよ、それは」
「まだ半日だ」
「じゃあ半日中だよ」
 腹も減ったし、話していても面倒なので、俺はコロッケパンの袋を開けた。

「半日だけキミを見ていて思ったことがある。キミはどうやら友達がいないようだね」

 口元に持っていったところでふと止まってしまった。これではまるで図星じゃないか。

「しょっぱなから変なことばっかり言って、蜘蛛の子散らすみたいに孤立してるあんたに言われたくないね」
「初日ということもあってか、みんなボクのオーラとポテンシャルに圧倒されているようだ」
「だから……さっきからその妙な自信は何なんだよ」
「妙なのはキミのほうだ。もしかしてキミも、ボクと同じように転入してきたのか?」
「いや、普通に4月から入学したけど」
「どうして誰ともつるまない?」

 俺はもう口を聞かないことにした。
何を言われても、もう反応してやらない。

「都合が悪いと口を閉ざす。誰とも仲良くなれないのはそういうところが原因とみた」
「……」
「言いたくないなら、言いたくないと言うべきだ。少なくともボクはそれで満足する」
「……クラスに馴染めない理由なんて、言いたくないね」
「そうか。どうして馴染めないんだ?」
「満足するんじゃなかったのかよ!」

——かくして、昼休みは過ぎていった。
5時間目、6時間目も同様に流れたが、やけに長く感じられた。
渦潮という人間は、授業中でも講釈を垂れずにはいられない性格なのだと、この一日で思い知った。

「早くもホームルームの時間か」
「遅くもホームルームの時間だけどな、俺からすれば……」

【KK放送部より連絡です】

「キミ、KK放送部というのはなんだ?」
「放送部だよ、読んで字のごとく」
「KKとはなんだ? 間取りのことか?」
「んなわけないでしょ。米上高校(こめかみこうこう)の頭文字だよ。米上のKと高校のKで、KKなんだってさ」
「そうか。そもそもこの学校は『米上高校』という名前なのか」
「お前ホントどういうアレなんだよ……」

 この男の考えていることが一向に掴めない。
ボケているのか何なのかもはや分からないが、こいつは突然しゃべることをやめた。スピーカーを見つめて真剣に聴いているようだった。

「はい。とのことですので、皆さん頭に入れておいてくださいねと」
 担任がいつものように適当に流して、なんだかんだでホームルームは終わった。
やっと帰れると思い、早々に荷物をまとめていると、やはりというか何というか、渦潮は俺の前で仁王立ちをしていた。

「……そこ通してほしいんだけど?」
「ここを通したくないのだが?」
「なんだよ本当に。他のやつに絡めよ」
「嫌だね。第一印象からキミだと決めていたんだ」
「だから何がだよ!」
「ひとつ聞くが、部活動はやっているかな?」

 突拍子もないやつだと思っていただけに、この質問は意外だった。

「いや、してないけど?」
「そうか。ではまた明日」
「え、は?」
「さらばだ、佐藤クン」
「いや俺の名字、佐藤じゃねぇんだけど……」
「佐藤でないならいったい何かね? ホアジャオ? トウバンジャン?」
「調味料じゃねぇよ。そんでレパートリーめっちゃ中華だな。俺の名字は嵐だよ。嵐海人(あらしかいと)」
「嵐、解散?」
「それもうだいぶ前の話だぜ?」


 翌日、渦潮のアプローチは半径10数メートルにまで及んだ。
つまりは、クラス全員に絡みはじめたのだ。

「ボクもそのグミをひとつ貰おうかな。……うん、甘い! とても甘い! 虫歯になるにはうってつけだ!」
「そのアプリ、知っているぞ。様々なものが勢いよく注目を集めてはあっという間に飽きられる。液晶で楽しむ諸行無常だ」
「それは今、話題のアイドルだな。女性アイドルは賞味期限が短いから、楽しむなら今のうちだ。卒業して活躍できる場といえばバラエティ番組かアダルトビデ——」

 善戦とは言いがたい様子だった。

「海人クン、ボクはすでにクラス全員と友達になったぞ」
 頭がおかしいのか知らないが、昼休み、渦潮は胸を張って俺に報告してきた。

「本気で言ってんのか? 見た感じみんな嫌そうにしてたけど」
「嫌そう? このボクと会話ができたのに?」
「……うん、アレだな。俺だけはお前の味方でいてあげたいけど、ちょっとキビぃかも」

 雲ひとつない良い天気に、どことなく飛行機の音が聞こえてくる。
 なんとも平和なものだと考えていると、弁当を口にしていた渦潮がふと質問をしてきた。

「海人クン。そういえば教室の最前列に空席があるが、あれはいったい何なのかね?」
「あー、あれ? 名前ももう忘れたけど、つい最近来なくなったやつだよ。口数が少なくて、うつむいてて、とにかく暗かった」
「黙々と下を向いていたのか……もしかするとそいつは、足元にこそ幸せがあると思っていたのかもな」
「うん、知らんけど」
「しかし、学校に来ないとなれば困る。ボクの夢が叶えられないからな」
「なんだよ夢って」

 渦潮は弁当箱をベンチに置くと、立ち上がって屋上のフェンスまで近づいた。
 後ろで手を組んで歩いていた渦潮は突然こちらを振り向き、人差し指を立てて胸を張った。

「この学校の全員と友達になる」
「……全員と?」
「全員とだ。これは決定事項だ。ボクが叶えると決めたのだから、この夢は必ず叶う」

 言いながらこいつは、結局こちらに戻って再び座った。
「よく分かんねぇけど今の時間なに? なんで立ち上がったんだ?」
「かっこいいからに決まっているだろう。実際のところキマっていたしな」
「あっそう」

 何から何まで、突き抜けていると思った。
昼休みが終わってからも、渦潮の暴走は止まらなかった。

「キミが好きな韓流アイドルを調べてみたぞ。デビュー前から歌番組に呼ばれるような、期待と大金を背負ったアイドルらしい!」
「キミは野球部に入っているのか。やはり目指すは甲子園かな? ……目指していないだと? ボクがマネージャーになれば、あすにでも甲子園に行けるというのに」
「問11でつまずいているようだな。任せろ。ボクも分からないが、2人でやれば解ける!」


 かくして、早々にホームルームの時間が近づいてきた。教室の中は、主に悪い意味であいつの話題で盛り上がっていた。

「なんなの、あの渦潮って人」
「言い方がいちいちムカつくよな。何様なんだよって感じ」
「ねー! 偉そうにしてるだけならいいけど、人の趣味にグチグチ言ってくるんだよ? 気分悪いわぁ」

 頬杖をついて外を眺めていると、俺の近くで陰口を叩いていたやつらと目が合った。そいつらは顔を見合わせると、こちらに近づいてきた。

「嵐くんはどう思う? 渦潮くんのこと」
「……どうって?」
「えっと、ほら! なんでか分かんないけど、嵐くん、ずっと渦潮くんに引っつかれてるでしょ? 仲良くなったのかなーって」

 どういうつもりかは知らないが、この女子の反応を見るに何かしらの期待を込めているようだった。
「別に仲が良いわけではない。俺もあいつのことが苦手だ」……
そういう風に答えれば、ある種の一体感が生まれるであろう。

しかし、本音を言わせてもらえばの話だが……

【全校生徒に告げる。こちら、昨日(さくじつ)より転入してきた渦潮信路だ】

 俺が答える前にアナウンスが流れ、昨日の今日で何度も聞いたあいつの声が聞こえてきた。
「なになに!?」
「噂をすれば、ってか?」
俺は思わず笑ってしまった。

【ボクがこの学校に来て、必ずや果たすべき夢がひとつだけある。それは、教師も含めて、この学校の全員と友達になることだ】

「え、どういうこと?」
「なんか小学生みたいなこと言ってる〜!」
「友達100人できるかな的な?」
「無理あるわ! ねぇ? 嵐くん」
「……どうだろうな」

 渦潮はゆっくりと、しかしはっきりと言葉を紡いでいく。

【そのための第一歩として、ボクは新しい部活動の場をつくることにした。「人間と広くつながる会」……略して、NHKだ!】

俺は吹き出した。
「あぶねぇネーミングだな、おい」
 そんなとき、スピーカーの向こう側から先生らしき声が聞こえてきた。

【ちょっと君、何やってんだ! 勝手に放送室に入って!】
【……別棟の1階。茶道部の隣の空き部屋が、活動の場になる】
【人の話を聞きなさい!】
【なんだねキミは。何年何組、どこ中かね?】
【えっ、社会の先生だけど……来伏(くるぶし)中学校出身です】

 教室にどことなく、「村上先生オナ中なんだ」という感想とともに笑い声が聞こえる。

【NHKの理念はただひとつ。「来る者は拒まず」というところだ。去る者については追いかけるかもしれないので、ひとまず、どんな人間でも来る者は拒まないということだけ、宣言しておくぞ】
【だから、いい加減やめなさいって……】
【ただの人間にこそ興味がある! この中に、退屈している者、友達がいない者、悩みを抱える者、本当の自分をさらけ出したい者がいたら、ボクのところに来なさい。以上】

「振りきったなぁ……大丈夫か? いろいろと……」
圧倒される俺のことなど気にも留めず、マイクの前で「やりきった」とばかりに胸を張るあいつの姿が目に浮かんだ。


「俺もNHKの一員かよ」
「あたり前田のスペランカーだ」

 いつの間に話をつけたかは分からないが、渦潮は本当に部室を確保していた。茶道部の隣というよりは、通路の突き当たりの物置のような部屋だった。
 ギターやラジカセ、メガホンや、くじ引きをする用の箱など、机と椅子はあれどとにかく周りが散らかっている。

 意外と広々としており、大きな窓もあるので喫煙スペースとしてちょうどいいのだろう。見知らぬ男性も一服している……

「おい、あのひと誰だよ?」
「NHKの顧問だ。この棟の管理人のようなポジションにあるらしい」

 小声で確認をしたが、いまいちピンとこない答えが返ってきた。ワイシャツを着ていること以外に「ちゃんとした大人」だと感じられる様子がない。髪はボサボサで髭も剃られていないし……
 俺は自分から確認した。

「あの、今日から顧問の先生をやってくれるんですよね?」
「んー? んー」
(んーんー…だと?)

「初めましてですよね。僕は嵐海人っていって、この人と同じ1年1組なんですけど……」
「へー」
(へー…)

「先生ですよ、ね? なんの担当なんですか」
「いろいろ」
「いろいろ……」

ダメだ。会話に手答えがない。

「そう、いろいろ。……ぐーっ! はぁ、さてと、お茶をいただきに戻りますかねぇ」
「えっ、お茶? なんですか、お茶って? お茶……おい。お〜い! お茶……」
「伊藤よすが、33歳。美術を担当しているそうだ。この棟には美術部、文芸部、茶道部、そして我らがNHKといった、文化系の部活ばかりが在籍しているが、あの発言から察するに、茶道部の顧問も兼業しているようだな」
「お前、俺より詳しいな……」
「ダテに渦潮信路を生きていないのでな」

 伊藤という先生がいなくなって、いよいよ部室には俺たち2人だけになった。

「そういや、NHKって何する部活なんだよ」
「人間が来れば成り立つ、簡単な部活さ」
「その『人間』が来ないから持て余してんだろ? 時間を」
「来たではないか、数人」
「この棟にいるやつが数人、な? それも単なる野次馬でな。悩みがどうとか、そんなのがあって来るやつなんかひとりも——」

 長机に向かい合って言い合っていたところ、ドアをノックする音が聞こえた。お互いに扉のほうを見る。
「入りたまえ!」
渦潮は腕組みをすると、椅子にのけぞりながら声を張り上げた。

「失礼しまーす……」

 ひょっこりと顔を出して現れたのは、髪の長い女子生徒だった。
渦潮が部室に行こうとしたとき、冷やかしばかりが飛びかっていただけに、こうしてまともそうな生徒がやってきたのは想定外だった。

「まあ、かけなさい」
「はい」
「面接みてぇになってるぞ」

 ドアに最も近い真ん中の席に座った彼女は、どこかソワソワしている。

「海人クン。人に名前を聞く前に、まずはこちらから名乗るべきだと思わないかね?」
「えっ。あ、ああ? えっと、嵐海人です」
「NHKの副部長にあたる人物だ」
「なるほど、よろしくお願いします!」
「副部長になった覚えはないけど……?」
「よし。こちらは名乗ったことだし、今度はキミの名前を聞かせてもらおうか?」
「いやお前も名乗れよ! さーせん、こいつ渦潮信路っていいますんでね、はぁい」

 常識的と思わせてやはり非常識な渦潮にいらつきながらも、彼女は自らを語り始めた。

「私は、1年3組の赤星小町(あかぼしこまち)です。私がここに来たのは、その……解決してほしいことがあるからです!」
「ふむ、解決とな?」
「はい。厳密にいえば私ではなく、私の友達のことなんですけど……おふたりのクラスにいるでしょう? 倉井常次(くらいじょうじ)っていう人が」

 俺はようやくその名前を思い出した。
ちょうど今日の昼休みに渦潮と話していた、名前も忘れた暗い男子生徒……

「口数が少なくて、うつむいてて、とにかく暗かった、あの常次くんか」
「おい! 俺の言ったことコピペすんなよ!」

 小声のツッコミも不発に終わった。
こいつが無視するのもそうだが、赤星さんの表情と話す内容が存外、深刻だったからだ。

「やっぱり、そういう風に見えますよね……私はあの子の幼馴染にあたるんですけど、確かにあの子、人付き合いは苦手で、小さい頃から孤立しがちだったとは思います。この学校に入ってからは話すことも減って……」
「……結論は? 何をどうしたい?」
「おい、言い方」

 前のめりになって急かす渦潮に、俺は思わず注意する。
 やがて赤星さんは深呼吸して、こう言った。

「常次を学校に連れてきてほしいんです!」

◆ ◆ ◆

 時刻は18時を迎えようとしていた。
部室のドアに「外出中」の札を下げ、しかしその実態は「調査」という名の寄り道である。
 よそ者の渦潮の目にはあらゆる景色が新鮮なようで、商店街の顔ぶれは倉井の家に着くのを遅れさせた。

「この街は誘惑が多いな。けしからん」
「ああ、まったくだな。お前が雑貨屋の店主と話し込んでなきゃ、今頃もっと早く着いてたのによ」
「早いも遅いもない。いざ参ろうか」

 倉井の家は、おおむね豪邸と呼ぶにふさわしかった。この住宅街の中でもひときわ大きく、広い庭もある。玄関へ続く石畳を軽やかに移動した渦潮が、さっそくインターホンを鳴らす。
 出てくる気配がない。

「やっぱり出てこないかぁ……」
「やっぱり?」
「うん。私、家が近所だからちょくちょく来るんだけど、いつもこんな感じなの。親が共働きでね、この時間だと常次しかいないはずなんだけど。なぜか出てきてくれないのよねぇ……」
「幼馴染だから、余計に気まずいんじゃないの? 一対一で会って話すのがさ」
「そうなのかなぁ?」
「そういうもんじゃねぇの? ていうかちょっと待てよ……?」
「ん? なぁに?」

 辺りを見渡す俺に釣られてか、赤星さんもキョロキョロとする。
……あいつがいない。

「探してくる——」
「イヤァァァァァ!!」

 俺が動き出そうとした、まさにそのタイミングで異変が起こった。
 この家の2階から野太い悲鳴が聞こえてきたのだ。カラスたちもどこからともなく逃げていく。
「常次の声だ!」
「あいつ、あんな大声出せたんだな……それよりも!」

 叫び声がしたのは玄関から見て左側か?
そちらへ回ってみると、ハシゴが壁にかかっていた。2階へと伸びている。少し離れたところにある物置が開きっぱなしになっているので、まさかとは思いながら、赤星さんを残して俺は2階へ登った。

「うーわ、ビンゴだわ……」

 ハシゴの先はバルコニーになっており、顔を覗かせてみると、そこには仁王立ちした渦潮の後ろ姿があった。
「何やってんだよ」
「突撃! 友達大作戦だ」
「不法侵入だぞ、普通に」
「押してダメならもっと押す。それがボクの美学というやつだ。さて、もう逃げ場はないぞ、倉井常次!」

渦潮は窓にへばり付いて大声で凄んだ。
ひとまず俺は、地面にいる赤星さんに確認をとる。

「赤星さん。赤星さんの目標としては、倉井くんを不登校から脱却させたいんだよね?」
「そうよー?」
「不登校を加速させたいとかじゃないよね?」
「当たり前でしょ! 変なことしないでね!」
「俺じゃねぇよ! こいつがやべぇの!」

 らちが明かないので俺も参戦する。
「倉井くん、落ち着いて! とりあえずこいつは降ろすから! 玄関から来させるから!」
「な、なんの目的なんでしか!」
(なんでしか……?)
「それはー……えっとー……」
「キミを迎えにきたのでし」
「こらっ!」

 意外とそういう悪ノリもするのかと感心している場合ではない。
倉井くんは明らかに困惑しているので、補足する。
「大事な話があるんだ。玄関を開けてほしい」

 倉井くんは少し考える素振りを見せ、そのまま無言でカーテンを閉めた。

「えっ、ダメなのかな?」
「それは違うでし。常次くんを信じて玄関に行くのでし」
「お前もう黙ってろ……」



第2話

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