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一人の人間として(後藤正文『朝からロック』)

最近、訳あって音楽に関する本や記事、動画を見るようになっていた。そのため、後藤正文『朝からロック』(朝日新聞出版)も目についたので買って読んでみた。

正直なところ、最初の章を読んだときはよくある「バンドマン」のエッセイ本だと思ってしまった。ご飯のことやお酒の話、野球やサッカーへの概観など、日常に転がる些細な出来事を掬いとり、その人独自の感性を伝えてくれるような本なのだなと感じていた。そのようなタレントエッセイ本は多い。僕自身もそのような形式の本は好きな部類である。自分とは離れた場所にいる人間の日常を垣間見ることは面白い。まして著者である後藤正文(=Gotch)はASIAN KUNG-FU GENERATIONという日本のロックスターであり、そんな人間が考えていることはおそらく自分とは違う部分も多いし、逆にそんな存在でも自分たちと近しい人間でもある部分も少なくないかもしれない。そのような「自分とは違う存在を見る」という意味でタレント系のエッセイは面白く読むことが多かった。

しかし、それが2章、3章と進んでいくうちに、そのような類の本ではないということが徐々に分かってくる。

コロナについて、音楽について、果てはデモやBLM、国内政治などといった情勢や言語や日本人の民族性という普遍的な議論にまで発展していく。そのため、読み進めていくうちに驚いた。

Gotchという人間が政治にコミットし、様々な発言をしていることは傍目に認識していた。ただ僕が認識していたのは断片的なもので、なぜそのようなことを行っているのかをよく理解していなかった。しかし、このコラムで書かれている逡巡や葛藤を目の当たりにして、真摯にこの社会と向き合っていることを理解した。本作を読んで、自分が学生時分に聞いていたアーティストがここまで深い思索の世界に潜り込んでいることに素直に感服した。

そして何より最後の<震災の章>は考えることが多かった。

東日本大震災はすでに12年も前のことになる。これらは遠い歴史となりつつある。僕自身、高校生を相手に教育を行う身でもあるのだが、彼ら彼女らが経験した震災はすでに幼稚園や保育園に通う年齢の時の話であり、風化している。ただ避難訓練の動きを見ていると、やはりその切迫さが教育に反映されているのか、僕たちの時よりも真剣に臨む子たちが多いのは確かだと思う。このような行動が澱として震災の現在までの影響として認識できている。

僕はかつて震災に関する文芸評論集の編纂に関わった。その中で感じたのは、言葉について深く考えている作家たちが書くことを逡巡している様子である。それは天災的な自然現象も含め、原発事故という科学の問題、都会と地方の問題、死者の問題、そしてネットという新しいテクノロジーによる情報的な混乱と多岐にわたる論点がそれを難しくしている部分もあった。加えて言葉を容易に紡げないような雰囲気が漂っていたのも確かである。

東日本大震災はいまや歴史になりつつある。そんな中でフィクションとして考える大作映画もちらほら出てきている。記憶に新しいのは『すずめの戸締り』(2022年)だろう。『すずめの戸締り』は震災が歴史になりつつある今、どのように後続世代に震災を受け継ぐか、ということを意識したものになっている。賛否両論で誰かを傷つけてしまう可能性のある映画だが、継承のためにそれを乗り越えて描こうとした姿勢が見られる映画だった。

Gotch自身は震災での様々な取り組みをしている。ライブもそうだが、文学者とコラボし作品を作るなど、震災について様々に考え行動に移している。その理由である思想の一端をこの本で垣間見ることができるが、やはりこの「遠い場所であるが深刻な問題」に対して、どのように自分たちがそこに関わるのかを考えていた。それは一筋縄ではいかないことである。地理的な遠さも含め、徐々に歴史になりつつある事態を「自分事」として考えることは難しい。しかしそのことが未来へと繋がり、社会が培われていくのは確かだろう。

近年Gotchは若いミュージシャンたちのためのスタジオを開業しようとしていたり、Apple Vinegar Music Awardという若手アーティストの新人賞を立ち上げたりと、自身の楽曲製作以外のことを行っている。それは音楽に関する後続の人たちへの橋渡しであるはずだ。その行動が音楽業界をはじめ、それを含む社会が動いていくことになっていくのは間違いない。

そして、音楽はもちろん、社会や日本とそこで暮らす日本人としての「私」、そして震災について書かれたこの『朝からロック』という本も、「自分自身」がどう考え、「自分自身」がどうコミットしていくかを考えている。

本書を読み終わった時、最初に考えていたように彼を僕たちと切り離して考えてしまうことを深く反省することになる。Gotchという日本のロックスターはロックスターの前に、一人の僕たちと同じ今を生きる者であった。

僕たちの日々は続く。
世の中の出来事は時に遠くのこととして感じてしまい、自分とは無関係のものとして通り過ぎてしまうことがある。しかし僕たちの日々はそんな一人一人の個人が考え、行動した結果として存在している。だからこそ、僕たちも考えなければならない。

そんな事実を僕たちと同じ足場で考える言葉がここにはあった。

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