日本の学芸員という職業(3)

 さて、それでは日本において公務員学芸員が、大学教員や国立研究機関研究員などに比べて専門性が劣るのかというと、そうではない。学会・研究会などに参加しても、学術誌に発表された論文を読んでも、職業的研究者である大学・研究機関所属者と対等に渡り合い、あるいはそれらの人々を凌ぐような実力を示して一目置かれている公務員学芸員は少なくない。そうした優れた公務員学芸員の中には、先ほど述べた研究機関認定の博物館や組織に所属していたりする人ももちろんいるが、多くの人はそんなアドバンテージの無い通常の公務員学芸員だ。そういう公務員学芸員はどうやって研究費や研究時間を捻出しているのか。当然のこと、自分自身の給与・賞与と、自分自身の有給休暇や週末の休日を消費して、ひたすら自腹を切って研究活動をしているのだ。妻や夫、子供などの家族がいる人であれば、普通の公務員の給与で家庭の費用以外に、研究費用・学会費用・旅費まで負担し、時間的にも休暇や休日、毎日の勤務外の時間でやりくりをするのは相当な困難がある。
 もちろん、自分は公務員学芸員だけどマイペースに仕事も研究もやっていけてる、そんなにガツガツ研究に取り組む必要があるのか?という人もいる。それはそれで誤りではないけれど、あくまで個人の考え方や姿勢の差異でしかない。少なくとも、公務員学芸員にも学問的専門家として高い能力と実績を持つ人々が多数いるにもかかわらず、その基本的な職制上は研究者ではなく事務職員だから勘違いをしてはいけない、という位置づけをされていることが問題なのだ。
 そして、学芸員資格の性質もまたきわめて曖昧だ。日本の学芸員は、学芸員資格を取得することでその立場を公的に認定されるのだが、この学芸員資格は大学で必要科目の単位を揃えさえすれば、卒業時に取得できる。医師免許などのようにその専門性を問われる性質の資格ではない。だから、学芸員資格を持っていることが、文化財に関して高度に専門的な知識や技能を備えていることとイコールにはならない。その他のさまざまな要因とも相まって、失礼な言い方になるが、歴史や美術・文化財を個人として愛好するだけで好きな物に囲まれて仕事ができさえすればよいだけの人から、大学教員並みの高度な専門能力を持ち、社会に対して専門的職業人として責任感を抱く人まで、専門家としての意識・知識・技能にきわめてバラつきが大きい。
 実は、こうした問題点を踏まえて、内閣総理大臣の下で政府に対して科学・学問に関する政策提言をする日本学術会議という公的機関は、日本の学芸員の高い専門性を認めかつ養成し、科研費をはじめとする研究費申請も可能とするなどの提言をこれまでに幾度かおこなっている。その点では、決して学芸員が無視されているわけでないとも受け止めることはできる。しかし、それらの提言が実現されていない、具体的な政策立案と実現への見通しなども示されていないところをみると、日本政府としてはそれらの提言を積極的に受け止めてはいないと思われる。
 それに加えて、人文科学を非効率・不要のものと軽視し、学芸員は社会の癌だとする最近の日本政府の方針もある。大学教員などに専門的なことを委嘱すれば高くつくので、学芸員は、安く、便利に、使い捨てで交換がきく専門職員(≠研究職)という扱いをする傾向は強い。しかし他部署に異動させて使い回しするのが難しいので、効率性の低い雇用として、できれば数も減らすべきものとされる場合も少なくない。
 それなら、早く公務員学芸員を辞めて、どこか大学や研究機関に移ればいいのでは、という助言も当然出てくる。ところが、日本の大学・研究機関では、アカデミックポストでない公務員学芸員などというものを研究者とか、研究実績者とみなしていない。教員や研究員の公募では、大学・研究機関における教育研究経験が○年以上あること、とか、競争的外部研究資金の取得実績があること、などの条件が付いている場合が多い。兼業兼職が認められていない公務員学芸員に、普通はそんな経験があるはずがない。もちろん公務員学芸員から大学教員に転身できた人もいるが、これも今の時代にはとても数が少ない。出身大学や職歴の学閥的・利権的なコネクションであったり、権限を持つ教員の知人関係や弟子筋であったりする場合がおそらく大半と思われる。ただし、募集した大学自体が応募条件の一部に関して寛容で、それ以外の必須条件と実績を重視して公平に選考する方針であるという場合がごく稀にある。僕の場合は偶然これに出会うことができたのが幸いしたケースだ(といってもそうらしいとわかったのは採用決定後だが)。
 (4に続く)

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