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【書評】『ビジネスの未来』(山口周、2020)を読んで。

▮ 読むきっかけ

副題は「エコノミーにヒューマニティを取り戻す」。
最初に読んだのは出版されて間もない昨年末ころでした。もともと哲学や社会学系の本は好きなのでよく読んでますが、最近は山口周氏や斎藤幸平氏の本が読みごたえがあっていいなと感じています。

昨今、「新しい資本主義」が議論される中で、私もその方向性について理解を深めておきたいのと、社会課題解決のための官民共創について知見を深めるため、もう一度、読み直しました。

▮ 気になったところ(前半)

●ビジネスはその歴史的使命をすでに終えているのではないか?
・・・答えはイエス。ビジネスはその歴史的使命を終えつつある。
(p12)

●私たちの社会が今まさに転機にあるのだとすれば、私たちもまた、まず「何が始まるのか?」という問いの前に、まず「何が終わるのか?」という問いに向き合わなければならないということです。では、いったい「何が終わる」のでしょうか?・・・それは「経済成長とテクノロジーの力によって物質的貧困を社会からなくす」というミッションになります。
(p14)

●「高い成長率」は「文明化の未達」を意味することになります。「進んでいる」のではなく、「遅れている」からこそ成長率が高い、ということです。このように「成長の意味」を捉え直せば、世界認識の絵柄は180度反転することになります。
(p15)

●歴史的使命がすでに終了しているのにもかかわらず、あたかもそれを終了していないかのように振る舞っていらぬ混乱を世の中に巻き起こしてなんとか「使命終了の延命」を図っている。これが多くの企業が「マーケティング」と称して行っていることでしょう。
(p39)

●人間が抱く世界像には各人の個人的記憶や経験が色濃く反映されています。私たち現役世代が抱く世界像は「成長」が常態化していた自分たちの子供時代、あるいは親の世代の印象や記憶によって形成されているので、「高い成長率」こそが正常な状態であり、現在のような「低成長」は異常な状況だと考えてしまいがちです。
・・・ゴードンやピケティの指摘がもし正しいのだとすれば、多くの企業が高い成長目標を掲げ、その内部において人々が心身を耗弱させるようにして仕事に取り組んでいる現在の状況は、やっと取り戻しつつある「正常な状態」を、あらためて「異常な状態」へと押し戻そうとする不毛な努力だということになります。
(p65)

●「文明のために自然を犠牲にしても仕方がない」という文明主義
「未来のためにいまを犠牲にしても仕方がない」という未来主義
「成長のために人間性を犠牲にしても仕方がない」という成長主義
からの脱却が必要になります。
(p96)

●インターネットの普及が進んだ1990年代も、スマートフォンの普及が進んだ2000年代も、人工知能の普及が進んだ2010年代も、先進国のGDP成長率は明確な低下トレンドを示しており、反転の気配がありません。あれほどのインパクトをもたらしたインターネットや人工知能などのイノベーションをもってしていも明確な低下トレンドにある経済成長率を反転できなかったのだとすれば、いったいどれほどのイノベーションをもってくればそれが可能だというのでしょうか。
今日、インターネットや人工知能といったテクノロジーが21世紀のニューエコノミーを牽引するといった「能天気な雰囲気」が世の中に横溢していますが、そのような真実を示すデータはありません。
(p99)

●なぜ、あれほど巨大なイノベーションがGDP成長率に貢献しないのか。考えられる理由の一つとして、こういったイノベーションの多くは本質的な意味で「新しい市場」を生み出しておらず、単に既存の市場の内部でお金を移転させているにすぎない、という点が挙げられます。
・・・ここ20年で社会に実装されたイノベーションの多くは、既存の「儲かっている市場」にイノベーションを導入することで「ごく一部の人がさらに儲かる市場」に変えただけで、社会が抱える「未解決の問題」の解消には必ずしも貢献しておらず、むしろ「格差の拡大」という社会問題を生み出す元凶となっているからです。
(p101)

●ミルトン・フリードマンに代表される市場原理主義者は、政府は余計なことはせずに市場に任せておけばあらゆる問題は解決していくと主張したわけですが、それは経済合理性限界曲線の内側にある社会課題だけで、ラインの外側にある課題は原理的に解決できません。なぜなら市場とは「利益が出る限りなんでも行うが、利益が出ない限り何も行わない」からです。
(p117)

●「経済合理性限界曲線」の外側にあるということは、すなわち現在の貨幣経済のシステム、つまり「問題の解決を担う人」と「問題の解決を望む人」とのあいだに閉じた貨幣交換の仕組みに依存している限り、これらの問題は永遠に解決されることがないということを意味します。したがって、ここには「第三者による贈与」の介入が必要になります。
(p127)

●ハンナ・アーレントは著書『人間の条件』において、いわゆる一般的な「仕事」の種類を、「生存するための食糧や日用品を得る=労働」「快適に生きるためのインフラをつくる=仕事」「健全な社会の建設・運営に携わる=活動」という3つの種類に分けましたが、すでに第一章で確認した通り、私たちの社会は「労働」と「仕事」から解放されつつあります。この高原社会において、私たちに残されている役割は、もはや最後の「活動」しかないのです。(p130)

●物質的欲求の不満が解消された、というのは人類全体にとっては喜ばしい事態ですが、局所的には困った問題を引き起こします。先述した通り、ビジネスというのは常に「問題の発見」と「問題の解消」の組み合わせによって成立しますから「問題」がなくなってしますと、その「問題」を解消することで生計を立てていた人の仕事がなくなってしまうのです。
さてそうなると、一つのアイデアとして「人為的に問題を生み出せないか」という考え方が、当然に生まれてくることになります。すでに満ち足りている人に対して「まだこれが足りていないのでは?」とけしかけて枯渇・欠乏の感覚をもたせることができれば、新たに問題を生み出すことで「ゲーム終了」を先延ばしすることができます。これがマーケティングの本質です。
(p136)

●このような考え方、つまり「これがダメだからアレに変えよう」という「代替=オルタナティブ」の考え方は、対象となるシステムに悪化の真因を求め、それを別のシステムに切り替えることで解決しようという考え方で、大変安易で手軽ではありますが、結局は問題の根本を解決できません。
・・・どんなシステムを用いたとしても、その中で生きていく人間が変わらなければ、そのシステムが豊かさをもたらすことはありません。重要なのは「システムをどのように変えるか」という問いではなく、「私たち自身の思考・行動の様式をどのように変えるのか」という問いだ、ということです。
(p183-185)

●1 社会的課題の解決(ソーシャルイノベーションの実現)
  :経済合理性限界曲線の外側にある未解決の問題を解く
2 文化的価値の創出(カルチュラルクリエーションの実践)
  :高原社会を「生きるに値する社会」にするモノ・コトを生み出す
普遍的問題についてはあらかた解決してしまった高原社会において、私たちに残された仕事は上記の2つしかありません。
(p190)

●「イノベーションを起こそうとしてイノベーションを起こした人はいない」・・・彼らは「イノベーションを起こそう」というモチベーションによって仕事に取り組んだのではなく、「この人たちをなんとか助けたい!」「これが実現できたらスゴい!という衝動に駆られて、その仕事に取り組んだのです。
(p191)

▮ 気になったところ(後半)

●どのようにすれば、自分が夢中になれる仕事を見つけることができるのでしょうか。答えは一つしかありません。
とにかく、なんでもやってみる。
(p216)

●スミスは同著(「国富論」)のなかで、分業によって、自分の能力以下の仕事を果てしなくやらされることになった労働者は「愚かになり、無知になり、精神が麻痺してしまう。彼らは理性的な能力も、感情的な能力も失い、ついには肉体的な活力さえも腐らせてしまう」と書き残しています。スミスの「感情的な能力を失う」という指摘はそのまま、前節において紹介したチクセントミハイの「ほとんどの人が自分の感情について無感覚になっている」という言葉を思い起こさせます。
(p238)

●「祖先から贈与された感覚」を失ってしまった人のことを、20世紀前半に活躍したスペインの哲学者、オルテガは「慢心したお坊ちゃん=大衆」と名づけました。
オルテガによれば「大衆」には二つの心理的特性があります。それは「生活の便宜への無制限な欲求」と「生活の便宜を可能にした過去の努力、他者への努力への忘恩」です。つまり、大衆とは「被贈与」の感覚、「思いがけず贈与されてしまった」ことへの後ろめたさを感じなくなってしまった人たちのことなのです。
(p245)

●そのような大企業が社会を牛耳ることに批判的な人も多いのですが、彼らは別に権力者と結託してあのような支配的地位を獲得したわけではありません。彼らがあのような大きな権力を持つに至ったのは、なんのことはない、私たちがその事業者から多くのモノやコトを購入しているからです。
これはつまり、何を言っているのかというと、これをひっくり返せば、市場原理をハックすれば、私たちが残したいモノやコトをしっかりと次世代に譲渡していくことが可能だということです。
(p248)

●高原社会においてソーシャルイノベーションを力強く推進していくためには、一も二もなく、とにかく「取り組みの絶対量」を増やしていくしかありません。
(p256)

●すでに物質的不満の解消が進んだ高原社会において、私たちは「役に立つ」ことよりも「意味がある」ことを求めて活動に従事することになるわけですが、この「意味」はとても大きな「創出価値の格差」を生んでしまうのです。
(p260)

●いまの世界劇場に完全に適応できていない人、端役を押し付けられた人たちこそが変革者になりうるということを意味しています。このような人々が、やがて資本主義社会のハッカーとして世界を変えていくことになるでしょう。
(p312)

▮ 読後感

あらためて読んで感じたのは、帯に書いてるように「新しい時代を創るために資本主義をハックしよう」ということが書かれている印象です。

「ハック」とは、「打破」と同じような意味合いでしょうか。いや、「乗り越える」という意味でも、「利用する」という意味でも捉えられると思います。

経済合理性限界曲線の外側にある社会課題は、市場主義の中では解決が難しく、贈与の関係性の中でしか解決が難しいのではないか、資本主義はどのようにそうした問題を解決していけるんだろうかということがまとめられています。二回目の今回も深い感銘というか、思索を伴う本です。

人の働き方に、私はずっと関わってきたので、そうした部分でも大変考える材料に溢れているように感じています。

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◇藤井 哲也(ふじい・てつや)
株式会社パブリックX 代表取締役/一般社団法人官民共創未来コンソーシアム事務局長/SOCIALX.inc ボードメンバー
1978年10月生まれ、滋賀県大津市出身の43歳。2003年に雇用労政問題に取り組むべく会社設立。職業訓練校運営、人事組織コンサルティングや官公庁の就労支援事業の受託等に取り組む。2011年に政治行政領域に活動の幅を広げ、地方議員として地方の産業・労働政策の企画立案などに取り組む。東京での政策ロビイング活動や地方自治体の政策立案コンサルティングを経て、2020年に京都で第二創業。京都大学公共政策大学院修了(MPP)。日本労務学会所属。議会マニフェスト大賞グランプリ受賞。グッドデザイン賞受賞。

◇問い合わせ先 tetsuyafujii@public-x.jp

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