「ナチスのキッチン」(藤原辰史) 今も台所にはナチスの亡霊が……

 日本の公団団地やマンションのダイニングキッチンや「システムキッチン」は、20世紀前半のドイツの合理的キッチンがモデルという。そのキッチンはアウトバーンと同様、ナチスがつくったものだったというストーリーかと思ったらむしろ逆だった。
 機械のような合理性を追求するテイラー主義が、ワイマール時代のドイツのキッチンに導入されたのが「フランクフルト・キッチン」だ。流しや戸棚、コンロ、オーブン、調理台、水切り台などの要素を統一的に設計した。
 ナチスはそもそもは、装飾を廃し機能を追求するモダニズムに否定的だったが、戦時中の窮乏もあって、家事や台所の合理化を推進した。「伝統」と「テクノロジー」の共存はナチスの二律背反的な性格だった。
 テイラー主義にともなう合理化・数値化の波はレシピにも押しよせる。
 アメリカのケロッグの創立者は菜食主義で禁酒禁煙を実践するセブンスデー・アドベンチィスト教会の信者で、サナトリウムの病人食用に開発したのがコーンフレークだった。
 ドイツのレシピ本も、栄養学の発展とともに、ワイマール時代の1920年代後期から健康管理レシピが増えていく。
 「栄養」概念は労働者の食生活改善に役だった一方で、料理の地域性を失わせ、均質化・単純化をもたらす。「無駄排除」の運動は、調理の世界を味気ないものに変えていった。アメリカやドイツ、イギリスの料理がまずいのはこのへんに原因があるのだろう。
 こうした状況は、公益を私益に優先し、健康を国民の義務としたナチスに都合がよかった。
 ヒトラーは禁酒・禁煙で菜食をこのんだ。ヒトラーユーゲントの手引き書は、肉の代わりに大豆、便秘予防のために全粒粉、ドイツで収穫した旬のもの……をすすめた。「地産地消」「エコロジー」のさきがけとなった。食べものの栄養素への還元と健康至上主義は、ナチスのもとで軍国主義と合流し、屈強な兵士になるために「正しい」食生活を強要することになった。
 日本では左翼が長年エコロジー運動を牽引してきたが、最近は参政党をはじめ、右翼的エコロジー運動が拡大している。ナチス的な思想に近いのだろう。
 ナチス政権下の健康至上主義と軍国主義は、とんでもない「実験」もうみだした。
 強制収容所の囚人をABCの3グループにわけ、Aは、野菜と穀粉の食べものと濃いスープだけあたえ、Bは、通常の囚人の食事にくわえて毎日30グラムの栄養素をだし、Cは通常の食事だけとした。その結果、Aの死亡率は46%、Bは33%、Cは52%だった。できるだけ低コストで囚人の栄養状態を保ち、死亡率を下げる研究だった。
 ナチスは、安価なごった煮料理アイントップを日曜日に食べることを義務化する「アイントップの日曜日」運動を展開した。これは階級の存在を否定する「民族共同体」というスローガンと符合した。豚のエサ用に残飯を集める「食糧生産援助事業」を実施し、エネルギー消費量の少ない圧力鍋を推奨した。
 ナチスは女性を男性より低い地位の「第2の性」とよんだが、主婦のなかにも「マイスター主婦」といったヒエラルキーを導入し、競争心をあおった。「もっとも怠惰な」アーリア人主婦のさらに下位には東欧から強制連行したスラブ系の家事労働者をおいた。
 労働の内実を労働空間から変えようとしたテイラー主義者によって合理的な台所ができあがり、科学的な栄養学が健康至上主義を支え、主婦は戦争をになう「機械」にさせられた。
 ワイマール共和国とナチスは断絶しているのではなく、世界一民主的だったワイマールの血の正統な継承者としてナチスのキッチンや料理が生まれた。
 豚のエサを集める事業以外は、ほとんどがナチス以前に用意され、ナチス以後も私たちの生活に浸透している。戦後もナチスと断絶できていなかった。
 ナチスの亡霊は今も台所にただよっている。立派な研究論文だけど、からおそろしいホラーにもかんじられた。

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