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読書「狩りの思考法」と8歳息子。

6月のことだが、
角幡唯介さんの「狩りの思考法」を読み終えた。

日頃読んでいる本とは密度が違った。
密度の濃い本を密度が薄い私が読んだ。


角幡さんが毎年滞在する最北の村シオラパルク。
住人のイヌイットたちは何を訊ねても
「ナルホイヤ」
と答えるらしい。

「ナルホイヤ」とは「わからない」という意味だそうだ。

今日の予定を聞いても「ナルホイヤ」。
なにを食べたか聞いても「ナルホイヤ」。
息子が元気か聞いても「ナルホイヤ」。

乱暴にまとめると、
彼らはそれだけ不確かな時間を生きているということ。

なぜならば、状況はその場で変わる。
予め考えていたことなど役に立たない。
その都度自分の頭で考えて乗り越えるべきことなのだ。

私たちの予定に縛られた生き方とは正反対なのである。


ごはんですら家族で集まって食べるのではなく、
置いてあるものをお腹が空いた人が勝手に食べる、
という感じらしい。
(みんながみんなではないだろうけど)

「自らの意志で積極的に生きる」というのにとても近い気がする。

一方私たちは

「予定されたことをこなすために生きている」

我が家の話。

小3、8歳の息子。
平日7:40には家を出なくていけないから6時半に起き、準備をし、ごはんを食べる。
先生に怒られないように宿題をやる。
みんなに責められないように素早く行動する。
明日に支障が出ないよう夜更かしはしない。

本人の意思が反映されるとはとても言えない。


その実8歳息子は「ナルホイヤ」要素がとても強い。
小さな子どもの時はみんなそうだったのだと思うけど。

おやつ食べてて足りなさそうだなぁと思って
「おかわり要る?」
と訊いたら
「食べ終わるまでわからない」
と息子は答える。

そりゃそうか。確かに。
食べ終わってみないとさらに欲しいかどうなんてわからない。

でもおやつなんだし。
「要る!!」
と即答すると思いきや彼は律儀に「ナルホイヤ」なのである。
一人っ子なので「他の子にとられる」とかいう感覚がないってのもあるだろうけど、
がっつかないのが何とも優雅。

発達の特性で「見通しが苦手」な息子は休みの日に
「(ちょっと遠出して息子の好きな)公園に行くよ」
と言ってあるのに準備の途中で座り込んで本を読んでいたりする。

おやつや「行きたい公園」などの楽しいことに対してもそんな調子なのだから、
「やりたくないこと」に対しては余計に他に気が散りやすい。

だから彼にとっては
日常生活が学校生活がちょっと大変。

でもいいじゃん。
『ナルホイヤ』

息子よ、もしかしたら君は 
私たちが忘れてしまった『今』を生きるのが
ものすごく上手なのかもしれない。



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