見出し画像

役に立つとただのお節介

「私たちの人生の使命は、役に立つ違いをつくり出すこと。
私たちがいかに賢いか、いかに正しいかを証明することではない」
(ピーター・ドラッカー)

「TRIGGER」より
  • げんー部下がプレゼンで「◯◯に」というところを「◯◯が」と言った。あなたは文法の誤りを指摘する。懸命な指摘かもしれない(プレゼンのテーマが細かな文法についてであればだか)。とはいえ、そう指摘したところで会議室の雰囲気がよくなるわけではないし、部下がどう感じるかを考えても、意味がないことだ。

  • 「だから言っただろう」というセリフー8時開演のブロードウェイ・ショーに間に合うには、少なくとも1時間前には家を出なくてはいけないと、あなたは妻に言う。彼女が手間取ったので、あなたたちは遅れて到着し、最初の幕を見逃した。あなたは不機嫌になり、夜が台無しになったとチクチク言い、1時間前と言っただろうと言う。あなたは正しい。もちろんだ。だが、彼女があなたの夜を台無しにしたのと同じくらい、彼女の夜も台無しになってしまった。

  • 道徳的卓越性ー友達や大切な人にタバコを吸ってはだめだと言う、ビールのお代わりはやめたほうがいいと言う、家に帰るのに近道があると言う。相手のためを思って言うのに、相手に心からありがとうと言われることがどのくらいあるだろう?

  • 上司、同僚、ライバル、顧客の愚痴を言うー(平均的アメリカの労働者は1ヶ月に15時間、上司の愚痴をこぼしている)。誰かが決めたか、計画したか、やったことに同意しないときに愚痴をこぼす。当然のことながら、あなたは不愉快になっていて、あなたならもっと上手にやれるという含みをもっている。それがポジティブな貢献になることはないと思っていい。特に相手に直接言うのではなく、陰で言うときには。

◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆

いかがだったでしょうか。

わたしたちは、「目が覚めてから就寝するまで、誰か別の人間と接触する際に、役に立つ、傷つける、中立でいるという3つの選択肢がある。気をつけていないと、私たちは傷つけることを選んでしまう。自分は『他の奴』よりずっと賢い、できる、正しいと示したいからだ。(中略)仏教は心の内面を見る。他人と接触するとき、心の平静を保つためのものだ。ドラッカーは外を見ている。役に立つことだけに限りなさいと言っている」

ともこの本には書かれていました。

これを読んだときに思いだしたのが、

「求められてもいないのにするコンサルはただのお節介」

自分の日頃のコンサルも本当に役立っているのか、本を読んで振り返っていたのでした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?